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天空詠みノ巫女/アガルタの記憶【零~一】

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零 闇と光の追走



 零 闇と光の追走

 昼日中といえ、天に輝き続ける『ペテルギウスの月』。
 だがここは、その煌々とした光さえ届くことのない漆黒の闇の世界――その中を一艇の潜水艇EX-マリナー5000が、水深約千二百メートルの深海へと静かに降りていく……。

 『ガス田開発の地質調査』という目的を与えられ、北の大地は東方沖二十キロのこの海域を目指し、最寄りの久城港(くしろこう)を早朝に出港してから三時間ほどが経過していた。
 海底の地形がサーチライトに照らし出されると、シンプルな楕円形のボディには不釣合いの『厳つい腕(アーム)』を展開し、早速サンプルの採集へと取り掛かっていく。
 今時には珍しい支援船とケーブルで繋がれた有線式の旧型ではあったが、『民間』ではその数も少なく、所有者でパイロットの向井尊(ムカイ タケル 三十二歳)と供に、国内外の海洋開発や海底調査に何度も携わってきた実績がある。
 オペレーター然としたパイロットが多い中、向井は『ガテン系』を思わせる日焼けした堅牢な肉体と、それでいて繊細な操舵技術を併せ持つ、業界でも名の知れた『潜水艇乗り』であった。

「――そりゃあ、新型とは比べもんにはならねぇけどさ……俺は、『コイツ』にしか命預けたかねぇもんなぁ……」
 酒が入ると、向井はいつもこう言った。
「だいたい、新型なんて買う余裕ねぇしな。いくら『優良』ですったって、ウチみたいな『零細』には金貸さねぇもの、銀行はさ……。まぁ、今のローンが終わってコイツが駄目んなった時は、俺も引退だべ?」
 そう言っては、「ガハハハ」と笑う。ブルース・ウィリスと、スティーブン・セガールのアクション映画をこよなく愛する、自称『海の男』である。

 そんな男の隣には、現在、黙々と採集作業に没頭している新米ナビゲーター、荒木優太(アラキ ユウタ 十九歳)の姿があった。
 まだ不慣れなせいもあって、海底に沈んだマネキンや奇怪な姿の深海魚がライトに照らされ闇の中から浮かびあがってくる度、いちいちビクつく態度が初々しくもある。
 普段から口数も少なく、あまり感情を表に出すこともないが、必死に『腕』を操作する表情はいつも真剣で、短く刈った髪型と精悍な面構えが凛々しく、どこか芯の強ささえ感じさせた。
 向井曰く――
「俺の甥っ子なんだけどさ……。『水産』出たのに漁衆(やんしゅう)は嫌だ、上の学校へも行きたくねぇってんだから……。だったら俺んトコさ来るか?ったら、『来る』って言うんだもの……俺が面倒見なきゃ仕方ないべさ?」
 とはいうものの、向井にしてみれば可愛い存在であった……と同時に、優太を引き受けた理由の一つには、『恩返し』という意味も含まれていたに違いない……。
「あの人には……政志さんには、本当に世話になったからなぁ……」

 向井の義理の兄――優太の父、荒木政志(アラキ マサシ)は遠洋トロール船の機関士を勤めていた。 
 向井にとってはなにかと頼りになる義兄であり、これまでの人生において『最大の恩人』と言っても過言ではなく、それこそ政志の持つあらゆる伝手を駆使して手に入れたのが、この潜水艇であった。

 だが、その義兄はもう、この世にはいない……。

 それは優太がまだ幼い頃――
 政志が乗ったトロール船が、遠くベーリング海での操業中の出来事であった。
 急な悪天候に見舞われた船は転覆事故を起こし、三十名余りの乗組員と共に冷たい海の底へと沈んでいった……。
 彼は、三十代半ばで帰らぬ人となった。
 人望も厚く、将来は漁労長になる器だと誰しもが嘱望していた人物だっただけに、その短過ぎた生涯を惜しむ声も多かった。
 それからというもの――
 向井の姉、荒木美奈子(アラキ ミナコ 三十八歳)は、久城市内に小さな炉ばた『あら木』を出店し、女手ひとつで店を切り盛りしながら優太を育ててきた。
 そんな姉の姿をいつも間近で見てきた向井が、いつか必ず義兄の恩に報いたい……と、そう想うようになっていったのも、至極当然なことであったのだろう。
 折りしも姉の美奈子から、「タケちゃん、優太のこと……くれぐれも頼むわね」などと頭を下げられた日には、何がなんでも優太を『一人前』に育てなくては、二人を残して逝った政志に申し訳が立たない気持ちにさえなった。
 加えて、両親を早くに亡くした向井にとって、美奈子はたった一人の肉親であり、母親代わりでもあった。それ故、彼女の言葉は『絶対』であり、向井が逆らうことのできない唯一の存在である。
 そんな姉から一人息子を託され、彼はこれまで経験したことのないほどのプレッシャーを感じずにはいられなかった。
(こいつは大事に育てねぇと……とはいえ、あまり過保護にならねぇようにか?姉さんに似て少々強情っ張りだが、根は素直そうだから扱い辛くはなさそうだが……)
 そんな向井の気持ちを察するかのように、優太は日々、着実に成長を遂げていく。また、その姿を見守ることが、向井にとって何よりの楽しみとなっていくのであった。

               ☆

 それにしても、実に使い勝手の悪いコックピットである。
 ただでさえ手狭なうえ、後付けでオプションを増設し続けるおかげで、たった二名の定員にも拘わらず窮屈なことこのうえない環境だった。
 そんな中で彼らは、体を小さく丸めたまま暗い海の底で数時間もの時を過ごす……。
 元々、『二十年落ち』の船体を格安で払い下げて貰ったものに、向井自らが改造を施してきた代物である。船舶検定をパスしたこと自体、奇跡に近く、同業者からは『浮かぶ棺桶』などと揶揄されることも度々あった。
 それでも尚、向井が改良を加えていくのは、年々多様化していく一方の需要に対応するためであり、同業者に引け劣りたくない気持ちの表れでもあった。
 故に、いつまで経ってもローンが減ることはなく、有限会社向井興産の自転車操業は果てなく続いていく……。

「この区画のサンプル採集、完了しました」
 四苦八苦の末、優太はようやく作業にひと区切りつけた。
「はいよ」
 まだ一人前にはほど遠いが、今はこんなものだろう……そう納得しながら、向井は天井に挿したバインダーを手に取り、挟まれた海図にチェックを入れていく。
 ……と、その時であった。
 ――ズン!と、重く鈍い振動が潜水艇を揺さ振ったのである。
「ん?……なんだ?」
 向井が思わず声を漏らした瞬間、更に大きな衝撃が彼らに襲ってきたのだった。