月も朧に
『えぇ、尻腰《しっこし》(※6)のねぇ。もうちっと我慢すりゃいいのに』
もう武士のふりをしなくても良いのでべらんめぇ口調。
上方での佐吉にはかなり難しい。
『べらぼうめ。男と見られたうえから、窮屈な思いをするだけ無駄さぁ。もしお侍さん。お察しの通り、わっちゃあ、男さぁ。どなたもまっぴら。ごめんね!』
またまた客席からドッと笑いが起こる。
中には永之助の正体を知っているものも居るだろう。
本当は女なのに、男の格好をし芝居をしている。それが女に化けているが、男だとばれてしまった。
滑稽極まりない。
武家の女の衣装は窮屈だと、菊之助は着物を脱ぎ始める。
力丸もそれにならって身なりを楽にする。
菊之助の下帯まで見えるだらしのない光景に皆笑う。
それは楽屋さながらの光景だった。
最初、永之助の正体を知らないうちは楽屋での着替えや風呂に、何とも思わなかった佐吉。
しかし、彼の正体は女の子だと分かったとたん、気になるようになってしまった。
そして先日、とうとう聞いてしまった。
稽古後の風呂場で……
「……無理してないんか?」
「無理って、どういうことです?」
「楽屋、みんなと一緒やろ? こうやって風呂も一緒やし。菊之助は下帯見えるし、半分裸やし……」
「え? 初舞台から一日の半分以上は男です。平気っていうより、当たり前です」
「へぇ……」
「それに、男でお風呂のほうが楽。皆で入れるから楽しいし。あ、又蔵兄さん、お疲れ様です!」
「おう、お疲れ」
「兄さんが初めてです。気にしてくれたの。でも、心配無用です。ね?」
「わかった」
それ以降、気にすることはなくなった。
この身形を崩す場面は、終演後の楽屋のつもりでやることにしていた。
芝居が無事に終わって張りつめていた気持ちが緩む。
家に帰る前の一時そのものだった。
二人の盗賊の着替える光景を、傍で呆然と見るしかない番頭。
彼に菊之助は煙草を所望する。
番頭はどう見てもお嬢様だったのに、騙りに来るとは太いやつだと文句を言う。
玉島逸当はこの肝の太い二人組に問う。
『巧みし騙りが顕れても、びくとも致さぬ大丈夫。ゆすりかたりのその中でも、さだめて名ある者であろうな?』
その言葉に菊之助は驚く。
この俺様達を知らないのかと。
店の者も、口々にどこの馬の骨だか知ったことかと言う。
むっとした菊之助。ここからが聞かせどころである。
「待ってました!」「藤屋!」
『知らざぁ言って、聞かせやしょう!』
「たっぷり!」「藤屋!」
『浜の真砂と五右衛門が、歌に残した盗人の、種は尽きねぇ七里ヶ浜。
その白浪の夜働き、以前を言やぁ江ノ島で、年季勤めの児ヶ淵。
|百味講《ひゃくみこう》で散らす|蒔銭《まきせん》を、当てに小皿の|一文字《いちもんこ》。
百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮。岩本院で講中の、枕捜しも度重なり、お手長講と札付きに。
とうとう島ぁ追い出され、それから若衆の美人局《つつもたせ》。
ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた音羽屋の(※7)、似ぬ声色で小ゆすりかたり。
名せぇ由縁の弁天小僧菊之助たぁ。俺がことだぁ!』
「藤屋!」「よくできました!」
続いて南郷力丸の口上である。
「その相ずりの尻押《しりおし》は、富士見の間から向うに見る、大磯小磯小田原かけ、生まれが|漁夫《りょうし》に波の上。
沖にかかった元船へ、その舶玉の毒賽をぽんと打ち込む捨碇《すていかり》。|船丁半の側中《ふなちょうばんのかわじゅう》を引っさらって来る|利得《かすり》とり。
|板子《いたご》一枚その下は、地獄と名に呼ぶ暗黒の、明るくなって度胸がすわり、|櫓《ろ》を押しがりやぶったくり。
舟足重き兇状に、昨日は東、今日は西。居所定めぬ南郷力丸。面ぁ見知って貰いてぇ』
「芳野屋!」
二人の名乗りにはっとした玉島逸当。
『さてはこのほど世上にて、五人男と噂ある日本駄右衛門が余類よな?』
『えぇ、その五人男の切れっぱしさ。先ず第一が日本駄右衛門、南郷力丸、忠信利平、赤星十三、弁天小僧。わっちゃほんの頭数』
とうとうすべて白状してしまった盗賊二人組。
潔く斬られようとするが、浜松屋の主が止めに入る。
命が助かった菊之助は、自分たちは万引きの罪を着せられた上に傷を負わされたと言いがかりをつける。
そして膏薬代をせしめるのであった。
菊之助は十両では少ないと文句を言うが、力丸が説得し帰ることに。
甲斐甲斐しく弟分の身支度を手伝う力丸。
菊之助の重い女物の着物を持ってあげる力丸。
額の傷がまだ痛いと言う菊之助を心底心配する力丸。
弟分を大切に思う気持ちが佐吉の芝居からにじみ出ていた。
客席からは温かみのこもった小さな笑いが絶えなかった。
そして花道引っ込み。
『おめぇ、何か忘れもんありゃしねぇかい?』
遠慮気味に聞く力丸。
『忘れもん? べつにありゃしねぇよ』
『そういわねぇで、何か忘れもんないか?』
『なにもねぇよう』
『それじゃ、すまねぇがな、胸に手ぇ当てて、よく考えてみてくれよ』
スパッといわず遠まわしにそう言って、菊之助に気付かせようとする。
『変なこと言うなぁ。胸に手を当てて? ……あ』
いたずらっぽく笑う菊之助。
それに微笑み返す力丸。
佐吉の少し大人しく遠慮がちな性格が、ここでは功を奏していた。
『思いだした。今日の立ち前だろ?』
『そうよ』
『そんならそうと、早く言やぁいいじゃねぇか』
『いや、いくらお前と俺の中でも。それは言えねぇよ』
『遠慮はいらねぇよ。よし、兄ぃ。いちいち勘定するのが面倒だ。たてんぼ(※8)だ。どっちかとりな』
二つに割った小判の塊を力丸が取った。
自分の分を数えた菊之助。
「いけね、兄ぃの方が一枚多い!」
「いいじゃねぇか、今日のところは辛抱しな。埋め合わせはきっとするからよぅ」
取り分を多くもらえてご機嫌な力丸。
しかし、ただ一つ不満が。手に持った大小とそれに巻き付けた菊之助の着物。重くてしょうがない。
お互い重いものは持ちたくない。
菊之助はひらめく。
『兄ぃ、坊主持ちってのはどうだい?』
『坊主持ちってのは、どうするんだい?』
『向こうから、坊主が来たら、この荷物の持ち手を変えるんだよ』
『じゃ、おめぇが言い出したんだから、おめぇから持てよ』
『え? 俺から持ってくの? ……しかたねぇな。わかってるだろな? 坊主が来たら、兄ぃが持つんだぜ』
『わかってるよ。でもな、坊主なんてそうざらに来るもんじゃねぇよ』
そういう力丸だったが、花道の向こうから按摩がやってきた。
『あ、兄ぃ、按摩が来たぜ。交代だ』
喜ぶ菊之助、がっかりする力丸。
しかし、按摩は鼻道を引き返す。
『按摩がひきかえしゃあ、荷物も逆戻りだ』
再び重い荷物が戻ってきた菊之助は見栄を切る。
『あ、いまいましい、按摩だなぁ』
「藤屋!」
意気揚々と歩きだす力丸だったが、再び按摩が戻ってくる、