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母から私 私から娘へと ~悲しみの連鎖~ (続)

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 初めてのアメリカ旅行はまさに未知との遭遇の数々だった。外国へ飛ぶ飛行機の、機内で過ごす時間がこんなに長いなんて、本当に遠いんだと実感した。
 現地に着いての見学地は、誰でもが知っている有名な場所ばかりだったが、中でも印象深く思い出として残っているのは、本場のディズニーランドを貸し切りで過ごしたこと。そしてユニバーサルスタジオで見た、映画『モーゼの十戒』の海が割れるシーンを撮影するためのセットだった。
『こんな物であんな凄い映像が作れるんだぁ』と、感心しきりであった。
 楽しい時はいつも素早く過ぎて行くもので、数日後、私は一緒に行った仲間たちと共に無事日本へ帰って来た。
 ――この先海外へ行くことなどまずないだろうから、多分この旅行が私にとっては、人生で最初で最後の海外旅行ということになるのだろう――そう思うと、成田空港での感慨はひとしおであった。

 アメリカから帰ってからの私は、次第に教える立場へとポジションが変化していった。
 夜遅くに、私の下になる人の家に出掛けたり、逆にその人がうちに来て深夜まで喋っていく。そんなことも頻繁になった。そういう時でも徹さんは、その人の前では愛想笑いを浮かべていたが、腹の中では面白くなかったのだろう。何でもないようなことで大声で怒鳴ったり、私が留守の時には菜緒に八つ当たりするようになった。ずっとあとで菜緒から聞いた話では、手を上げたりもしたらしい。
 結局はそのことを知った時に、離婚の意思が決まったのだけど……。そんなこととは知らない当時の私は、菜緒に頼んで家を留守にすることが益々増えていった。私には大義名分があった。それは家族のため、家計のため、そしてその頃徹さんが欲しがっていたクルーザーを買うためだった。私はそれを目標にして頑張っているのに、徹さんの態度は、次第にそれを邪魔するような言動を取るようになっていった。
 私たちは少しずつ口喧嘩をしたり、逆に口をきかなくなったりもした。
 私が働くということに対して、何も理解しようとしてくれない徹さんが、次第に憎たらしくさえ思えてきた。
 私は徹さんと何度も話し合ったが、彼には私の気持ちは通じないようだったし、私たちの溝は深まるばかりだった。
 そんな時だった。菜緒が徹さんから手を上げられてるという事実を知ったのが……。まさか……とも思ったが、菜緒がそんなことで嘘をつくとも思えない。そもそも徹さんと結婚したのは、菜緒に良いお父さんが欲しかったからで、私自身が徹さんを好きで好きで結婚したというわけではなかったのだから、私の三度目の離婚の決意は容易だった。ただ他の子供たちのことを考えると……辛い選択だった。しかしこのままいると、徹さんによく似た言動をする子供たちのことまで憎くなりそうで、私は焦った。
 その日、ついに私は徹さんに別れ話を切り出した。私からの離婚の条件は、菜緒と次女を連れて出ることだった。なぜなら、女の子のことは父親には分からないことが多い。私が経験した母のいない淋しさを、次女にも感じさせたくなかったからだ。男の子の場合はそれとは逆に、父親が必要だと思った。しかし徹さんは、私の条件以前に離婚すること自体がNOだった。私の気持ちは受け入れて貰えず、さりとて受け留めても貰えなかった。
 私たちの冷たい戦争は約一年続いた。その間私は、極力徹さんと顔を合わせないよう努力した。――できればしない方が良い努力だったが……。
 その間菜緒にどれほど嫌な思いをさせてしまったのだろう。