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龍虹記~禁じられた恋~最終話【龍になった少年】

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それから一刻余り後のことである。
 小屋の外では、なかなか出てこない主君を待ちくたびれた二名の従者がいた。
「それにしても、殿は遅いな」
 一人が呟くと、もう一人が不安そうに小屋の方を見やった。
「何かあったのだろうか」
「我らが殿はああ見えて、なかなかの手練れでおわされる。たかだか、女のような子ども一人に殺(や)られるなんてことは、まずないだろう」
 確信に満ちた口調で言う同輩に、丸顔の背のやや低い男がそれでもまだ気遣わしげに言う。
「さりながら、いかに何でも、これは遅すぎる。何なら、俺が様子を見にいって参る」
 その時、小屋からかすかに人の声らしきものが洩れ聞こえてきた。
 二人の若い従者は耳を澄ませた。
 それは―、泣き声に混じった、悲鳴とも喘ぎ声ともつかぬ声だった。小屋の中で何が起こっているか、二人はすぐに理解した。
「なっ、折角、三日ぶりに恋しい奥方の顔をご覧になったんだ。殿が城にお帰りになるまで、お待ちになれぬお気持ちも判るというもだろう?」
 背の高い相棒は、苦み走ったなかなかの男前だ。そちらが我が意を得たりとばかりに言い、
「それもそうだな」
 と、今ひとりも心得顔で頷く。
 二人の若者たちは意味ありげな笑みを交わし合った。
「さあて、もう少し刻がかかりそうだな。俺はもうひと眠りするよ」
 それまでうつらうつらと太平楽に船をこいでいた長身の男は、再びゴロリと横になった。
 大あくびを一つしたかと思うと、すぐに寝息を立て始める。
 そんな男を呆れたように眺め、片割れは大仰な吐息をついた。
「殿はそれで良いがなぁ。俺のところだって、これでも一応、新婚なんだぜ? 早く帰って、かみさんの顔を見たいんだがな」
 ―だが、幼時から共に育ってきた彼は、主君の性癖を誰よりもよく知っている。
「これは、当分、帰れそうにないな」
 呟くと、居直ったように彼もまた横になった。
 そろそろ茜色の夕陽が地面に影を落とす頃合いになっている。
 何の鳥かは知らぬが、群れをなして夕焼けに染まった空を塒(ねぐら)へと帰ってゆくのを眺めながら、仰向けになった男はまた、大きな溜息をついた。
 
 千寿は筆を文机に置くと、小さな吐息を零した。眼前には一枚の紙切れが置かれており、その小さな限られた空間には、ふた色の花が描かれていた。繊細な筆致でありながらも、大胆に描き切った花は紅海芋、白海芋であった。予(あらかじ)め墨で下書きしたものに、顔料(絵の具)で色づけしてゆく。一度に色をつけるのではなく、淡い色を重ねづけしてゆくため、なかなか根気の要る作業になる。
 が、今の千寿にとっては、そんな作業もかえって気を紛らわせるすべになっていた。
「何をしている」
 ふいに背後で嘉瑛の声がして、千寿は思わずピクリと身を震わせた。
 半月前、嘉瑛に木檜城に連れ帰られてからというもの、千寿は再び、以前と同じ日々を過ごすようになった。嘉瑛は夜毎、千寿の許に通い、二人は褥を共にする。
 千寿が逃げ出したことについて、嘉瑛は特に何も追及はしなかった。どのような咎めを受けるかと内心怯えていた千寿は、正直、呆気に取られた。
 だが、それは大きな間違いであることに、すぐに気付く。
 あの森の中の廃屋で、千寿は嘉瑛に陵辱の限りを尽くされた。嘉瑛は泣いて許しを乞う千寿を執拗に追いかけ回し、幾度も烈しく貫いた。幾ら厭だと訴えて逃げようとしても、腕を摑んで引き戻され、藁の褥に押し倒された。あのときの嘉瑛はとりわけ容赦がなかった。
 城に帰ってからの嘉瑛の愛撫は、日毎に常軌を逸してゆく。共に夜を過ごした翌朝、これまでは明け方には表に帰っていったのに、今は陽が高くなるまで千寿の許にいるようになった。明るくなっても、果てのない情交は延々と続く。
 漸く昼前に嘉瑛から解放されると、千寿は一人でよく泣いた。自分は何のために生まれてきたのだろう。何をするわけでもなく、日々を無為に過ごし、ひたすら男に抱かれるためにだけ生きているようなものだ。
 人同士があい争うことのない世を作りたいだなんて、今の千寿にとっては夢のまた夢にすぎない。今の自分には何の力もない。
 あまりにも惨めだった。
 そんな中で、千寿は気慰みに絵筆を握るようになった。
 元々、幼い頃から、絵を描くのは好きだった。昼間、時間だけはたっぷりとあるので、ひたすら机に向かい、絵を描き続けた。
 今日も朝からずっと、こうして絵筆を握っている。絵を描いていると、厭なことも―閨での耐えがたい恥ずかしさや屈辱も忘れられる。嘉瑛に抱かれる度、千寿はいつも死にたいほどの屈辱を憶えた。どんな無体な要求でも命じられれば従わなければならず、厭だといえば、更に辛い想いをすることになる。それが判っているから、千寿は心を殺して、嘉瑛の求めるがままに身体を開いた。
 嘉瑛に触れられる度、千寿は自分の身体が穢れてゆくように思う。男の愛撫に順応してしまった身体だけは触れられれば敏感な反応を見せ、男を悦ばせたけれど、どんなに男の腕の中で乱れても、千寿の意識はいつもしんと醒めていた。
 この頃では、穢れ切ったこの身体が厭わしいとさえ思うようになった。
「ホウ、見事なものだな」
 身を固くする千寿に頓着する風もなく、嘉瑛は後ろから腰を屈め、千寿の描いた絵を覗き込んでいる。
 男の吐息が首筋にかかり、嫌悪感に膚が粟立った。
「どれ」
 嘉瑛は事もなげに言い、千寿の身体を軽々と抱き上げた。
「あ」
 千寿は声を上げた。
 嘉瑛は身を捩る千寿を抱いたまま、部屋を横切った。
 文月の末、昼間は部屋内でじっとしていても、じっとりと汗ばんでくる。部屋の障子戸はすべて開け放たれていた。濡れ縁の向こうには、小さな庭が望める。
 紫の桔梗が灼けつくような真夏の陽光の下で、やや萎れて見えた。
 嘉瑛は庭の見渡せる場所まで来ると、どっかりと腰を下ろし、千寿を膝に乗せた。
 嘉瑛は何を話すでもなく、ただ庭に茫漠とした視線を向けている。意識してなのかどうか、骨太な指が千寿の艶(つや)やかな髪を梳いている。その中、嘉瑛が黒髪のひと房を掬い上げ、そっと唇を押し当てた。
 刹那、千寿の中で嫌悪感と共に、もう一つの全く別の感情が駆け抜けた。
 触れられているのは髪の毛のはずなのに、まるで夜、褥の中で一糸まとわぬ姿となり、素肌に触れられ口づけられているかのような気持ちになった。
 一体、この得体の知れぬ感覚は何なのか。
 千寿はおおいに狼狽え、混乱の気持ちが眼尻に涙を押し上げる。
 嘉瑛はなおも千寿の髪を弄っている。
「いやっ」
 千寿は思わず叫び、嘉瑛の逞しい身体を両手で強く
押した。
 嘉瑛がたじろいだのが触れ合った身体越しに伝わってく
る。
 しまったと、と思った。
 反抗的な態度を取ったと、どんな酷い目に遭わされるか判らない。また、折檻のような性交の相手をしなければならないのか、怒りのままに男に犯されるのかと想像しただけで、千寿の眼に涙が湧く。辛くてたまらなかった。
 千寿のその不安は、次の瞬間、ことごとく覆されることになった。
 嘉瑛は千寿の身体を向こうへと押しやり、膝から降ろすと、立ち上がった。そのまま何も言わず、居間を出ていったのである。