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偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅲ

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「君の寝顔を独り占めにできるチャンスなんて、そうそうあるわけじゃない」
「忘れ物か何かを取りに帰ったんですか?」
 由梨亜の問いに、彼は笑い出した。
「違うよ。可愛い奥さんの顔を見に帰ってきたの」
 もう昨晩のことはなかったかのように、見事なまでにいつもの彼に戻っている。三鷹が拘っていないのなら、由梨亜だけがいつまでも悩んでいるのも馬鹿げた話だ。
 これで良いのだと思いながらも、心のどこかで薄ら寒い風が吹き抜けるようだ。彼が〝可愛い〟を連発するのは、ほんのお世辞。人は心にもないことは平然と幾らでもまくしたてられるものだ。逆に、心の底にある真実はなかなか口に出せない。つまり、三鷹にとって、由梨亜は所詮はその程度の、からかいがいのある遊び相手でしかないのだろう。
「心にもないことは言わないで下さいね?」
 由梨亜は立ち上がった。リビングの時計はもう十二時近かった。かれかれ二時間近く眠っていたことになる。だが、そのお陰で、瞼の重さや腫れも取れて、心も幾分かは軽やかになっていた。
「何か作りましょうか?」
 とは言ったものの、やたらと大きな冷蔵庫は殆ど空で、あるのは食パンと牛乳、卵、バターくらいのものだ。
「家で食事しないんですか?」
「ああ、あまり食べないな。一人で食べても味けないだろ。だから、大抵は外食だよ」
「まだ若い中から外食ばかりしてたら、歳取って身体壊すんだから」
 由梨亜は仕方がないので、あるものだけでフレンチトーストを作った。ボールに卵を割り入れ、ミルクと砂糖を入れる。十分にかき混ぜた中に小さく切り分けたパンを浸し、フライパンで焼く。
 由梨亜が持参したエプロン姿で料理している間、三鷹もずっとキッチンにいた。
「こんなものしかできないけれど、外食よりは健康にも良いし、はるかに経済的だわ」
 いかにも高価そうなボーンチャイナのプレートに乗せて、紅茶を付けて出した。
「美味(うま)そう」
 三鷹は子どものように歓声を上げ、フレンチトーストに囓りついた。
「由梨亜ちゃん、良い奥さんになるね」
「貰ってくれる男がいればの話ですけどね」
 由梨亜は負けずに応戦した。
「何なら、俺はどう? このまま籍入れちゃおうか?」
 由梨亜はその冗談は無視して、やり過ごした。三鷹もそれ以上は追及してこない。
「今日の午前中は何をして過ごした?」
 向かい合ってテーブルにつき、由梨亜も食べ始めるのを待ちかねていたように三鷹が問うてくる。
「ええと、三鷹さんが出勤してから、私も母の病院に行きました。それから、ここに戻ってきて部屋の掃除をして、あ、お風呂場も磨いたっけ」
「そんなことはしなくて良いんだよ」
 三鷹がまた毎度の科白を繰り返すので、由梨亜は言った。
「別にたいしたことじゃないですよ。だって、一日中、何もすることがないのって、退屈だもの。明日はまたコンビニのバイトがあるから、少しは時間が潰せますけど」
「バイトなんかしてるんだ?」
「そりゃ、せめてバイトでもしなきゃ、現金収入がないじゃないですか。優雅なお坊ちゃまと違って、失業者は仕事なんて選んでいられいんだから」
「ああ、まだ俺のこと、信じてないね~。だから俺は」
「真面目な会社員でしょ、もう聞き飽きました」
 由梨亜は向かいの三鷹をじろじろと見た。
 真っ白なTシャツには〝イッツ・スモール・ワールド〟と大胆にプリントされ、地球のイラストがついている。その下は相変わらずの古びたジーンズ。このいでたちで、真面目な会社員だと名乗る方が怪しすぎる。
「三鷹さんの会社って、よほど寛容なのね。幾らクールビズだって、その格好はラフすぎるでしょうに」
「こいつは一本取られたな」
 三鷹は怒りもせず、笑っているだけだ。
 ふと彼が表情を翳らせた。
「ところで、君はS物産の社員だったと言ってたね」
「ええ、それが何か?」
 由梨亜を見つめる三鷹の表情はいつになく真剣である。
「あそこをクビになった社員はどれくらい、いるだろうか」
「さあ―。それは私にも見当がつかないけど、経営悪化が眼に見えてからは積極的に会社の方が首切りしてましたから、結構な数になると思いますよ。興味があるのなら、人事課に電話でもすれば判るんじゃないかな」
「これから首切りは一切しないとしても、既に大勢の社員が犠牲になっている。とすれば、彼等を救済する方法はあるだろうか」
 由梨亜は吹き出した。
「別に三鷹さんが考えても、仕方ないでしょう」
「もし、由梨亜ちゃんが会社側の人間だったら、どうする?」
 意外な話をふられ、由梨亜は眼を見開く。
「私? そうだな、私なら、クビにした人の中でもう一度、S物産で働きたいと思う人がいるなら、その人たちを再雇用するとか。または、ちゃんと次の仕事が見つかっている人は別としても、まだ見つからない人には一定の生活保障できるだけの一時金を給付する? 場合によっては、次の職場を斡旋してあげるっていうのもありかも」
「なるほど」
 三鷹は今はいつものように茶化しもせず、由梨亜の話に熱心に耳を傾けた。
「どれも考えてみる価値はありそうだね。君は何で、クビになったんだ?」
 由梨亜は頬を膨らませた。
「当たり前すぎることを訊かないで。役立たずだから、会社から見切りをつけられたんですよ」
「そんなはずはない。君の今し方の失業社員救済の対策案はなかなか先見の明のあるものだったよ。解雇するには惜しい人材のはずだ」
 由梨亜は肩を竦めた。
「三鷹さん、S物産って会社は結構、封建主義がいまだにまかり通ってるんですよ。何しろ社長が頭の固いコチコチの頑固爺ィだもの。社長が一手に権力握ってたから、誰も逆らえない。元々、経費節減のために首切りを言い出したのも社長だし。そんな会社だから、女子社員なんて会社は結婚までの腰掛け、使い捨ての雑用係くらいにしか見てくれないの」
「理不尽な話だな」
 三鷹が暗い声で呟く。
 由梨亜は首を傾げた。
「でも、それが現実ですよ。私ね、会社をクビになってから、コンビニでバイト始めたの。本当はS物産からも近いし、昔の同僚に逢う機会はありすぎるから、避けたかった。でも、さっきも言ったように、失業中の身は職場を選んではいられないでしょう。だから、そこの店で即決したんです。仕事始めて三日目くらいだったかな、昔の同期の子が後輩たちとお弁当を買いにきて、ばったり。そのときに彼女に言われちゃった。もう少し踏ん張って会社に居座ってれば、首を斬られずに済んだのに、残念だったわねって」
 三鷹は何も言わず、翳りを滲ませた端正な面をうつむかせている。
「嫌みったらしいなとは思ったけれど、彼女の言うことは正しいです。今は社長も実質的には引退したも同然で、アメリカから帰国したっていう若い副社長が采配ふってるでしょ。ミラクル・プリンスが帰ってきてから、首切りもなくなったし、経営も奇跡的に持ち直してきてるっていうじゃないですか。これからはS物産は昔よりは社内の雰囲気もマシになるでしょうね。少なくとも、女子社員をただの雑用係と見なすような風潮はなくなるんじゃないかな」
「由梨亜ちゃんは、これからどうするつもり?」
 三鷹に思いつめたような眼で見つめられ、由梨亜は眼をまたたかせた。