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偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅲ

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★惹かれ合う心たち★

 三鷹が出勤した後、由梨亜もまた時を経ずしてマンションを出た。ここからN病院までは歩いてもせいぜいが五分程度である。
 三階の病室に行くと、母の姿は見当たらなかった。俄に不安になり、慌てて病室を飛び出すと、三階のナースステーションに駆け込んだ。
「済みません。三百一号室の城崎ですが、母が病室にいません」
 まだ外来も始まる前の時間のせいか、ナースステーションには三人の看護士たちの姿が見えるだけである。
 その中の年嵩の若い看護士からは〝主任〟と呼ばれている女性が顔を上げた。
「あなたは城崎さんの娘さん?」
「あ、はっ、はい。おはようございます」
 慌てて頭を下げる。
 母とほぼ同年配の主任看護士が微笑んだ。
「黒住さん、さっき朝の巡回に回ったのは、あなただったわよね」
 傍らの三十過ぎの看護士に声をかけると、こちらも見憶えのある顔が由梨亜を見た。
「ああ、城崎さん、おはようございます。お母さんなら、確か二十分前の朝の検温のときには部屋にいらっしゃいましたよ」
「特に変わりはありませんか?」
「はい、回復の方も順調だし、かえって病院暮らしが退屈みたいで」
 その看護士は明るい笑顔で言い添えた。
 由梨亜は礼を述べ、また母の病室に引き返した。ノックもせずにドアを開ける。
「あら、もう来たの?」
 母はちゃんとベッドに座って、文庫本をひろげているところだった。
「何が、〝もう来たの〟よなの。少し良くなったからといって、ふらふらと歩き回っちゃ駄目じゃない」
 由梨亜が怖い顔で言うのに、母は笑った。
「だって、何かしてでもいなけりゃ、退屈でそれこそ死にそうなのよ。だから、一階の売店まで本でも買いにいったの」
 呑気な口ぶりは入院しているというよりは、旅館にでも泊まっているかのようである。
「呆れた。私はこんなに心配してるのに」
 由梨亜は首を振り、ベッド脇の丸椅子を引き寄せて座った。
「そろそろ行かなくちゃ、会社に遅刻するよ」
 指摘され、初めて由梨亜は気づいた。母はまだ由梨亜が退職したことを知らないのだ。
「そうね。会社に行く前に、ちょっとお母さんの顔を見とこうと思って寄ったの」
 立ち上がりながら言うと、母が窺うような視線を向けた。
「そんなに毎日、顔見せにこなくて良いんだよ。そりゃ、私は淋しいけれど、あんたが疲れてしまったら元も子もないだろ。それでなくとも、会社の方でも色々とあるんだろうし」
 思わせぶりな言葉に、思わずドキリとした。
「な、なに?」
 母が気遣わしげに由梨亜を見ている。
「昨夜、泣いたでしょ」
「えっ」
 由梨亜が眼を押さえると、母が笑いながら言った。
「これでも母親だからね。子どものちょっとした変化はすぐに判るんだよ。眼が赤くなってるし、腫れてるじゃないの」
 由梨亜は殊更明るく微笑んだ。
「ちょっとね、ミスってしまって。上司から厳しくお説教されたのよ」
 母は頷いた。
「大方、そんなところだろうね」
 ところでと、母が逡巡を見せてから言った。
「その後、あの男(ひと)とはどうなってるの?」
「あの男って?」
 刹那、三鷹の顔が瞼に浮かび、由梨亜は慌ててその面影を追い払った。母は偽装結婚のことなんて知らないのだ。
「ええと、三村浩二さんとかいったっけ。あんたがお付き合いしてるって人」
 浩二のことは母にそれとなく話してはあった。元々、あまり隠し事はしない母子関係なのだ。
「ああ、三村さんね」
 由梨亜は浩二をつい最近まで〝三村君〟と親しみを込めて呼んでいたのがもう随分昔のことのように思った。
「あの男はもう会社にはいないのよ」
「そうなのかい?」
 今度は母が愕く番である。
「うちの会社も色々とあるでしょ。今は少し持ち直してきたけど、かなり経営悪化が深刻化してたのよ。だから、三村さんは早々に見切りを付けて辞めたの。自分で会社を作ったって」
「それで、お前とはどうなの?」
 母の問いたいことは判っている。由梨亜はまだかすかに疼く心をひた隠した。
「別にどうってことはないわよ。三村さんには新しい仕事場で恋人もできたって聞いてるわ。職場も違うことだし、これからはもう逢うこともないんじゃないかしら」
「そう、なのかい」
 母は落胆を隠せないようである。
「私はてっきり―」
 由梨亜は言いかけた母に覆い被せるように告げた。
「私、当分、結婚はしないつもりよ」
「無茶を言うものじゃない。私に何かあったら、お前が一人になってしまうじゃない」
「そんなことにはならないわ。お母さんはこれからも元気だし、私はずっとお母さんと一緒にいる。ただ、それだけ」
 それじゃあ、行ってくるわね。
 まだ何か言いたげな母を残し、由梨亜は逃げるように病室を後にした。
 その日はコンビニのバイトも休みだ。別にこれといってすることはない。
 由梨亜はひとまずマンションに戻ることにした。マンションに戻ると、男一人の住まいにしてはきちんと片付けられた内部を改めて見回した。
 元々、三鷹は几帳面な性格なのだろう。もっとも、二週間に一度は家政婦が来ていたとは話していたが。その家政婦には由梨亜との〝結婚〟期間だけは来なくて良いと言い渡してあるという。
「家政婦なんて、贅沢よね」
 由梨亜は腕まくりしながら、リビングを見回した。あまり必要はなさそうだけれど、掃除機くらいはかけておこうと思ったのだ。
 しかし、広いとはいえ、部屋の一つ二つに掃除機をかける手間などたかが知れている。由梨亜が掃除したのは結局、リビングと自分の部屋だけだった。三鷹の寝室と仕事部屋はやはり私的な空間なので、彼の留守中に無断で入るのは躊躇われた。
 更に風呂場まで磨き上げたが、それでも時間を持て余してしまった。風呂場も広さはさほどでもないが、なかなかのものだ。ゆったりとした浴槽はスイッチを押せば、ジャクジーにもなるし、まるで外国映画に出てくるホテルのお風呂のようなクラッシックで優雅な装飾が施されている。
 風呂場を丹念に磨き上げた後はいよいよすることがなくて、いつのまにかリビングのソファで眠っていた。〝美男ですよ〟を観ていたはずなのに、大好きなパク・シネの〝ラブリー・デイ〟が子守歌代わりになってしまい、つい眠りの国にと誘われてしまったのだ。
 意識が水底(みなそこ)から急速に浮上するような感覚があり、ゆっくりと眼が覚めてくる。うーんと両手を持ち上げて伸びをした時、初めて同じソファに誰かが座っているのに気づいた。
「―三鷹さんっ」
 由梨亜は慌てて飛び起きた。
 三鷹が掛けてくれたのか、綿の毛布が跳ね起きた勢いでフローリングの床に落ちる。
「おはよう」
 三鷹がにっこりと笑う。
「あの、いつからそこに?」
 確かに由梨亜が眠り込んでしまう前には、彼はまだいなかった。ということは、由梨亜が熟睡している最中に帰宅したということだ。
「帰ってきたのなら、起こしてくれれば良いのに」
 恨めしげに言うと、三鷹が含み笑った。
「よく眠っていたようだから、起こさなかったんだよ。それに、あんまり可愛い寝顔で眠っていたし、起こすのも勿体ないと思ってさ」
「それで、ずっとそこにいたの?」
 そう、と、彼はしれっと言った。