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橋ものがたり〔第2話〕~恋心~

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《其の一》

 真っすぐに差し込む夕陽に心もち眼を細め、お民は小首を傾げた。どうも、ここのところ、肩の懲りが気になって、しようがない。特にこれといって何をしたというわけでもなく、原因も思い当たらない。
―私もそろそろ歳かねえ。
 お民は苦笑いを刻み、肩をすくめる。
 本当に月日の経つのは早いものだ。所帯を持ってからの年月だって、こうして容易くは思い出せないほど昔のことになってしまった。
 あの子が生きていたら、もう―と、お民は指を折って数え、また微苦笑を浮かべた。
 止そう、止そう、死んだ子の歳を数えるほど空しいことはないって、昔からよく言われる言葉だ。
 でも、と、お民は思わずにはおられない。そんなことは、所詮は自分が我が子を失うという哀しみを知らぬ者の科白だ。現実として自分の子どもを失った親は、いつまで経っても、亡くした子どもを忘れるなんてできないのだ。それがいかに空しい行為かと知りながらも、あの子が生きていれば今頃は幾つと指を折り、亡くした子に想いを馳せずにはいられない。たとえ、いかほど愚かと誹られようとも、それが、親の情愛というものなのだ。
 お民は心の中で独りごちながら、指を折る。
―そうか、もう、十一になるのだねぇ。
 お民は淡く微笑し、そっと吐息を洩らす。
 お民が兵助と所帯を持ったのは、今から十二年前のことになる。兵助は腕の良い大工で、二人の間を取り持ったのは兵助が世話になっている棟梁だった。言わば、見合い婚ではあったものの、二人は仲も睦まじく、一年後には長男に恵まれている。
 良人の名を取って兵太と名付けられた倅は、出来の良い子だった。眉目形も小柄で風采の上がらぬ小男である父親とも、またその反対に女にしては大柄なお民のどちらとも似ても似つかなかった。色の白い、眼鼻立ちの整った子で、しかも利発だった。
 お民も兵助もこの一粒種の兵太が滅法自慢の種であった。だが、二人の掌中の玉である兵太を天は羨むかのように、ある日突然奪い去った。五歳の夏、兵太は友達と遊んでくると言って出かけたまま、二度と戻ってくることはなかった―。発見されたのは、その日の夕刻で、既にその時、小さな身体は冷たく骸となり果てていた。
 兵太は川に落ちて死んだのである。親子三人が身を寄せ合うようにして慎ましく暮らす長屋の近くに、小さな川があった。本当は名前もうるらしいのだが、知る人もなく、川にかかるこれまた小さな橋は〝和泉橋〟と呼ばれている。この橋に続く上手には閑静な武家屋敷町がひろがり、下手には町人町と呼ばれる、文字どおり町人の町があった。こちらは大店が軒を連ね、通りをあまたの通行人が行き交う、活気溢れる商人の町である。
 兵太と遊ぶ約束をしていた友達は、近所の八百屋の子であった。その日、親戚に急に不幸ができたとかで、母親に連れられ実家方にまで出向くことになった。八百屋に誘いにいった兵太は手持ち無沙汰で一人、ぶらぶらと川沿いを歩いていた際、何の弾みで誤って川に落ちたらしい。或いは子どものことゆえ、川縁から魚でも探して覗き込んでいたのかもしれない。
 とにもかくにも、その小さな川が、お民の大切な一人息子の生命を奪ったのであった。
 倅を突如として失った当時、お民は毎日、泣き暮らしてばかりいた。本当に同じ長屋の連中からも羨まれるほどに出来の良い倅であった。同じ長屋の浪人者夫婦が寺子屋を開いており、そこにも通い始めたばかりだった。まだ手習いを始めてふた月ほどであったにも拘わらず、憶えが良いと賞められ、お民でさえ何とか読めはしても書けない仮名文字をすべてすらすらと書いてみせ、兵助とお民を随分と歓ばせた。
 顔立ちといえば、末は役者にでもしたらと通りすがりの本物の役者に言われるほどで、男の子ではあっても、まるで女の子のようにきれいな顔をしている。
―あたしは、こんなだから一生しがない大部屋役者で終わるしきゃないけど、こんな可愛い子なら、今から仕込めば将来は立て役にもなれるさ。その気になったら、いつでもおいでよ。あたしが師匠に口を利いてやるよ。
 いつだったか、お民が兵太を連れて両国界隈を歩いていた時、女形だという若い男が寄ってきて、真顔でそんなことを言った。
 むろん、兵助もお民もたった一人の倅を椰子くゃ謎にする気はさらさらなかったけれど、そう言われて悪い気はしなかった。
 長屋の連中からも〝到底兵さんとお民さんの子にゃア見えねえな。拾いっ子か貰いっ子じゃねえのかい〟と揶揄されることも、しばしばだった。
 しかし、兵太は紛れもなく正真正銘、お民の生んだ兵助の倅であった。良人もお民も兵太の将来にどれほどの期待をかけいたことか。
 いや、たいした人物になぞ、なれなくたって構やしなかった。ただ、元気で生きてさえいてくれれば。役者になぞならなくても、難しい書物が読めなくても構いはしない。ただ、ただ、ずっと傍にいてくれさえすれば、それだけで望むことはなかったのに。
 兵太は旅立ってしまった。あの子の刻は五歳の夏で永遠に止まったままだ。
 兵太を失って、どれほどの間、泣き暮らしていただろう。何をしいていても、愛盛りで逝った倅の顔が眼の前をよぎり、夜も眠れず飯もろくに喉を通らなかった。それでも、何とか死なずには済んだのは亭主の兵助がいたからだろう。
 兵助にとっても、兵太はかけかげえのない息子であった。お民とは違った意味で、兵助はまた息子に自分の跡を継いで大工にという夢を抱いていたようだ。
―だがよ、あいつは俺と違って頭も良いし、夜書き算盤もできるみてえだから、いっそのこと、どこかのお店に奉公に出した方が道が開けるかもしれねえな。
 などと、倅の将来について語ったことがある。
―でも、お前さんは、あの子には自分の跡を継がせたがってたじゃないか。
 お民が言うと、兵助は笑った。
―それは単なる俺の夢さ。俺はな、あいつが幸せになれるのなら、その道を選んでやりてえ。あいつにとっていちばん良い道を選ばせてやりてえんだよ。
 兵助にしろ、お民にしろ、兵太のゆく末に幸多かれと心から願っているのだ。そして、息子にかけていた期待もその分、大きかったといえよう。
 兵太は二人にとってかけがえのない倅て゜あり、そのった一人の我が子を失った哀しみは同じであった。流石に兵助は自らの哀しみを表に出すことはなかった。野辺送りの日も気丈にふるまい、立派に倅の葬式を出してやった。
 兵太を失ってからというもの、兵助はお民に優しくなった。以前はよく些細なことで夫婦喧嘩をしていたものだった。売られた喧嘩は必ず買う―というようなところが兵助にあったのだが、お民が突っかかっていっても、前のように一々怒り出すことはなくなった。むしろ、小さなことで苛立つお民を幼子のようになだめ、優しい眼で見つめている。
 そんな亭主の姿を見るにつけ、お民はいつまでも自分ばかりが哀しみに浸ってもいられないと思うようになった。
 哀しみは兵助も自分も一緒なのだ。であれば、良人のためにも、自分も一日も早く立ち上がれなければと思い直し、健気にも再び歩き出そうとしたのである。