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葉咲 透織
葉咲 透織
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ジェラシー・イエロー ~翡翠堂幻想譚~

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第一章 黒の出会いは紅茶の香りとともに






出来たばかりの友達に「じゃあな」と手を振って別れた。桜の花はすでに散ってしまい、あとは葉が青々と繁るのを待つだけの、4月後半のことだ。
翔威はうーん、と背伸びをした。ここ最近はずっと気を張っていたから疲れてしまった。人見知りしない翔威にとっても、初対面の人間が多いこの一月は精神的に疲れが溜まっていたのだ。
そのうえ高校に入った途端に家にいる兄やら世話役の人間やらが勉強しろだのなんだのとうるさい。家も学校もなかなか休まるときがない。
「心の余裕がないっていうか……」
ぽつり、と独り言。
きっと少し早めの五月病だ。ゴールデンウィーク明けには身体も心も新生活に慣れて、今までどおり普通に過ごせるようになっているだろう。楽天的なのが自分のいいところだ、と翔威は完結させる。
それでもなんとなく真っ直ぐ帰るのは癪だった。
ゲーセンに寄っていくか、それともハンバーガーショップで小腹を満たしていくか。どちらも騒がしくて気分じゃない。それならコーヒーショップか。
「うん」
なんとなく、そっちの方が気分だ。単価の高いショップだから、同じ高校の女子やにぎやかなギャルたちはいないだろう。最寄りだと確か、商店街の中にあったはずだ。
翔威は歩みを進めた。


商店街は地元であるから、勝手知ったる場所だ。幼い頃から愛想のよかった翔威は、店の女性たちのアイドルだった。
「あら〜、翔威ちゃん、大きくなってぇ……高校生だっけ? 早いわねえ……」
肉屋の女将にそう言われて「ありがと。でもおばちゃん、前会ったときも言ってたじゃん」と笑顔で答えた。
「男の子は一日会わないだけで変わるもんなのよ! ほら!」
と女将は翔威にメンチカツをよこした。このくらいの年の女性は固辞するよりも「ありがとう」と受け取った方が喜ぶことを知っているので、礼を言って笑った。
この店の特製メンチカツは小学生のときからおやつ代わりに食べていたので、変わらない味に「うめえ」と言いながら歩く。
その間にも八百屋やら魚屋やらの女将たちが翔威に声をかけるので、それらすべてに手を振って応える。特に容姿が優れているというわけではないのだが、人よりも少し背が高く、顔のサイズも小さめなので「ジャニーズのなんとかくんに似てるねえ」と言われるのも要因なのだろう。
あと2ブロック先に目的地だったコーヒーショップはある。
「ん?」
だが翔威の目に留まったのは、路地裏の、小さなレンガ造りの建物だった。新品ではなくてやや古ぼけたレンガでできている店は、新築とは思えなかった。だが、こんな建物はあっただろうか。
記憶を辿るのだが、絶対になかったと言い切れる。
母や兄、そして今は亡き祖父とともに何度も通った商店街だ。工事をしていたらすぐに気がつく。中学も高校も、週に一度もこの中を通らないなどということはなかったのだから。
見れば見るほど不思議な店だった。レトロなデザインの看板には「翡翠堂」と店の名前が書いてあり、妙に細長く作られたドアは興味をそそった。少し恰幅のよい人間なら入ることすら困難であろう。
入ってみたい。強烈にそう感じた。
こういうとき兄ならば止めるだろう。兄とともに口を出してくる(そのわりに二人は仲がよくないが)世話役も、同じだ。母や父は、何も言わないかもしれない。
翔威は家族の中の誰よりも、祖父を尊敬していた。敬愛していた。心臓に病を得て祖父が死んでしまったときも、現実味がなくて逆に涙が出なかったほどだ。
祖父は翔威を膝に乗せて、いつも話をしてくれた。フィクションのような話は、しかし、そのほとんどが祖父の経験した実際起こった話だった。兄は半信半疑だったし、機械いじりをしている方が好きだったのであまり真面目に聞いていなかったが、翔威はいつも、目を輝かせて聞いていた。
自分の話を聞いてくれる翔威を、祖父も特に可愛がってくれた。きっと祖父であれば、こう言っただろう。
『自分の勘を信じなさい。お前にはその力がある。面白いと思ったことはすべて、やってごらん。その方が後悔は少ないし、困ったときにはお前を助けてくれる人が必ずいるから』
そして翔威自身の信条にもそれは合っていた。やらない後悔よりもやって後悔、だ。
翔威は意を決して、ドアノブに手をかけた。



扉を開けると、チリン、という鈴の音がした。来客を知らせるためのものだ。だが店員の明るい声などはなく、他の客もいない。ただただ静謐な空間がそこにはある。大きな窓からは太陽の光が差し込み、バーカウンターの中にあるガラス戸棚がそれを反射して輝いていた。
テーブルは木製で、ニスが丁寧に塗られており、つやつやとしている。落ち着いた色合いのクッションがきいた椅子が置いてある。
恐る恐る歩みを進めると、店内にはいたるところに骨董品が置いてある。
花瓶や壷、皿。アンティークドールは洋風のものと雛人形のような和風のものがたくさんある。ビー玉の入ったガラスの小瓶のような、一見するとゴミのように見えるものや用途不明の器具まで、幅広いラインナップだった。
ここはアンティークショップなのだろうか。その割にはバーカウンターなどもあるのがおかしい。それに微かに鼻孔をくすぐるのは、コーヒーや紅茶の豊かな香りだ。喫茶店を兼ねているのかもしれない。
翔威は近くにあった、陶器の西洋人形に触れようとした。とても美しく、まるで生きている少女のようだと思ったのだ。
すると、
「お客様。それにはお手を触れないでくださいませ」
という声にいきなり引き止められ、びくりと翔威は肩を震わせた。もしも人形に触れていたら、壊していたかもしれない。セーフ、と胸をなでおろす。
しかしいつの間に人が現れたのか。
翔威はゆっくりと振り返った。
その人の印象を一言で表すなら、「漆黒」だった。髪も目も烏の濡れ羽色と形容できる。一本一本が上質の絹糸のようで、触ってもいないのに指どおりがいいのだろうと翔威は確信した。
黒とのコントラストで肌の白さがくっきりと際立っている。透明な、先ほど触ろうとしていた陶器の人形と同じくらい欠点のない滑らかそうな肌だった。
だが何よりも翔威を惹きつけ、はっとさせたのは、目だった。虹彩と瞳の境目がわからないほど黒一色に見える目なのだが、完璧にも見える美貌なのに、そこだけが不完全だった。
右目は一見すると穏やかさを装っているが、はっきりと意志を伝えてくる。
だがもう一方の目は、医療用の眼帯で覆われていた。ほぼ左右対称にも見えるのに、隠されているのが興味をそそった。
不完全なる完全。
パラドックスめいた言葉が脳裏をよぎる。もしも眼帯をしていなければ、彼はきっともっと近寄り難いのだろう。片方の目を隠しているからこそ、その美貌が際立っている。
「お客様?」
ぼんやりと青年の顔に見惚れていた翔威は、彼の声ではっと我に返った。
「えっと、こんにちは」
いきなりの挨拶に青年は不意をつかれたような表情になったが、すぐに柔らかな笑みを唇に浮かべた。
「ここは何のお店なんですか?」
「喫茶店ですよ。ご注文は何にいたしますか?」