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内裏 蓮(だいり れん)
内裏 蓮(だいり れん)
novelistID. 37648
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0円ネットオークション(ほぼ同人販売)向け作品サンプル7

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無視し、英語のみによる実学授業を大学校で彼の任期中続けさせている、日本語

の断食道場といえば現在の英会話教室にも通じるが、キリストという言葉を口に

すれば留置場行きの時代に先見の明とは言え、命を懸けて次代への教育を、そし

てやがて戦死するかもしれない若者たちに人間の何たるかを伝えようとした、更

に言えば、彼の部下とも生徒ともいえる直轄の人間が、将来いつかは今継続中の

戦争あるいはその先の事態で英語の知識をまるで持たず、人材として用いられな

いのは、ただの恥以外の何者でもない、敵国語が理解できないということは、恥

ずかしいだけのことと断じきっていたからである、鉄砲の弾だって1つきもすれ

ば的のはじにあたる、同じ事だ、と−−−



航空戦への移行も認識していた、船の時代ではない、と、上申したが、いわゆる

軍縮条約前の88艦隊政策は変わらなかった、ハチハチ艦隊政策とは、8の大和

級の大艦(たいかん)と、8の大型航空母艦(空母)を、新造して絶えず新しい

状態に保つことこそ、軍拡時代大正において他国に打ち勝つ政策として、大艦巨

砲主義の真骨頂として国策の第一に掲げられたスローガンであるが、第2次大戦

の引き金となった0軍縮条約で(パリ条約だったか?要確認)待ったがかかった

恐るべき世界の脅威一大プロジェクトであった、これがなければ、当時の日本の

国防費の占める帝国国家予算の16パーセントが浮いたといわれるほどである、

歴史のイフ(if=もしも)にすぎないが、もし初期段階で陸軍ではなく海軍が

政権の実質を握っていたのなら、日本は、もっと大きく戦ったのだろう、しかし

ながら、私がこんな事をかけるのも、御破算ありうるべくもなかっただろうが−

−−

たった一機の爆撃機が、1000倍はある巡洋艦を一撃で沈める、対費用効果は

、絶大なことさえ、年を食いすぎた陸軍上層部は認識できなかったのである−−



それは当時空軍の未組織であったことが正気の証左だ(正気〜、造語的表現)手

垢(てあか)のつきすぎた表現にすぎないが、大和のつぶしがねで、何百機のゼ

ロ戦が作れたのか、木製モノコックのゼロ戦は、かなりの戦果になる目算はできる、

無論しかしながら、それは原爆が製造不可能であったとしてだが−−−

残念といえるが、日清日露、そして前第1次大戦の焼きなましにすぎない、戦争

というものは、死んだ数だけおつりがくる、それが講和だ、そう思い込んでいたと

しか言いようがない、原爆で一つの町が一瞬にして消え失せる、ほとんど数万しか

ない町を、順番に数えるがごとく超高度単独飛行で消して行ける、その万事が一事

ひっくるめて「講和」というものが以降の戦争においてありえなくなったとわかっ

たから、われわれは今こうして、平和を享受(きょうじゅ)できることになった、

一部の未開アメリカインディアンを対象とした秘密裏の核実験が、失敗していたと

したら、特効の数は、既成事実の30倍になったという研究推測もある、原爆の発

明は、それまで戦線において死んだ数の分だけあった戦争判断を、まるで一人対

全員、もっといえば1機対一国の諒解(りょうかい)にまでおとしめた、アメリカ

大統領と、原子力潜水艦の艦長の権力は、この世でもっとも絶大であり、両者は五

分に対等である(19××年=要取材、に原水艦長の権力を規制しているが)だが

その結果の苦しみは変わらない−−−

話が先走った、妄言多謝−−− /





2.26事件が起きた−−−井上は早朝官舎でまだ寝ていたが副官の電話のベルに

すぐにおうじた、

「新聞記者からの情報です、陸軍がやりました、首相官邸を襲って・・・」

ここまできいた井上は

「もうあとは鎮守府で聞く、一刻を争う、幕僚全部に出勤命令、すぐ行く」

とすぐさま命じて急行した、

井上の前に幕僚はみな到着し、砲術参謀を東京実視に急派、海軍省への水兵急派、緊

急呼集、陸戦隊用意、戦艦那珂(なか)急遽出航準備、自衛警戒など、万事順当に経

過−−−

「海軍省が攻撃されたたら、やれ」

内命一言−−−

横須賀鎮守府参謀長としての仕事である、井上は陸軍のクーデターを予期していたとい

うのは、彼の非公式の日記兼自伝「思いでの記」に堂々と記されている、これに対抗する

ため、昭和10年(19××年=必須記入)11月15日づけで横須賀鎮守府参謀長就任

の手始めに急造ごしらえの横須賀鎮守府、および中央海軍省の有事における護衛として

(海軍省そのものには、たいした武装も、兵員もいなかった、井上、そして親友だった山

本五十六、米内中将=この3人海軍三羽がらす、らの暗黙の内に憂慮した点で、立場を得

れば実行することをかねてよりきめていたらしい)海軍陸戦隊を編成した、極秘裏にであ

る、井上はリベラリスト=革新派、および自由主義者で通っているが、同期の山本五十六、

米内00の影のスポークスマンといっても過言ではなかった、もし先(せん)に軍務局第

一課長を中途更迭(ちゅうとこうてつ)されなかったならば、井上の方が(参謀長=少将

クラス、実際法的には少将の肩書きになった)先にも中将になり、3人対等に仕事ができ

たが、3人の中で一番ハンデを抱えた井上成美(しげよし)は、1個下の立場で、天皇の

手前不利とは言い難い山本中将、米内長官の同じ留学派としての戦争における正しい物言

いを命懸けでやっていた、

井上は何度となく脅迫状を受け取っている、彼の謹直を是(きんちょくをぜ)としていた

周囲の人々は、祈る思いで彼の背中を見ていたという−−−

横須賀にある帝国海軍御用達(ごようたし)の料亭であった「小松」のおかみ山本直枝は

「本当に命を張ってやっていらっしゃる感じでした。米内長官の言えないことを井上さんが

すべておっしゃるんです。よく最後までご無事だったと思います、殺してしまおうという人

の話を私どもも耳にしておりました」とのちにかたっている。

日独伊防協協定、井上は忌み嫌っている、彼はヒトラーの「我が闘争」の原訳に目を通し

ている、そこに「日本人は馬鹿だが使いようによっては戦局を有利にできる道具になる」

とかかれているのを知り、周囲に教えたが、冗談に取られている、しかし三羽がらすのメン

バーはこれを知って危惧し、井上のいうように日英同盟の継続を上奏した、しかし結果は日

米戦への架け橋、三国同盟へと発展する、これは陸軍の独断である。どうして陸軍が正常な

判断を阻害するのか、それは一種のマインドコントロールが陸軍において教育制度化されて

いたからだということはあまり知られていない、海軍には直営の幼年学校がないのに対し、

陸軍の幹部は、幼稚園も陸軍営だったからだ、したがって留学制度もない、陸軍を動かして

いた人間は、戦艦さえ多く作れば、どんな戦争だって勝てると信じきっていたし、若い陸軍

士官たちも、その一方向固定的ものの見方しかできなかったからである、これまで完全な敗