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火焔の月~淀どの問わず語り・落城秘話~

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 紅く紅く染まったお城と月。子を宿した女の腹のように太った月が不吉な血の色に染め上がっていて、城もまた血の色を彷彿させる真っ赤な焔に包まれていた。
 轟々と城が唸りを上げて焼け崩れる音、火の粉を上げて焦がされる夜空にぽっかりと浮かんでいた紅い月はあれから気の遠くなるような歳月を重ねた今でも、忘れられない。
 いや、忘れようとしても忘れられるものではなかった。
 
 話を終えると、私はホッと小さな吐息をついた。まるで長い長い旅からやっと戻ってきたような心地だ。
 だが、疲れてはいたけれど、けして不愉快ではない。
 私は閉じていた眼をゆっくりと開いた。
 眼前には、あの娘―せつが変わらず控えている。
「存じませんでした。浅井のお殿さまとお市御寮人さまが最初は不仲でいらせられたなんて信じられません」
 いかにも子どもっぽい口ぶりに、私は微笑む。
「幼かった私も初めて知ったときには、随分と愕いたものよ。されど、人の縁(えにし)とは、そのようなもの。たとえ政略で夫婦(めおと)となろうと、惚れ合うて一緒になろうと、結ばれるべきさだめの者たちは結ばれる。せつよ、そなたもいずれは、どこぞの男に嫁して母となろうが、自分が嫁いだ場所がついの住み家と思い定めて生きることじゃ。武家に生まれしおなごは、嫁いだ先が我が死に場所ゆえな」
 言い終え、私はハッとした。
 せつの大きな黒い双眸に涙の滴が浮かんでいる。
「どうしやった」
「私は嫁ぎませぬ。ずっと、ずっと、お袋さまのお側におりまする。お側を離れませぬ」
 一途なその忠義心を嬉しくは思うけれど、あたら若い生命を巻き添えにする必要はさらさらないのだ。
 私は笑顔で言った。
「せつ、そなたの心は嬉しく思えど、最早、我が豊臣の命運は尽きかけておる。ましてや、そなたは一年足らず前に入ってきた新入りの侍女じゃ。何もこの城や我らと共に破滅の運命を共にする必要はない。いずれ遠からず、この大坂城は落ちよう。悪いことは申さぬゆえ、今の中に城を出なされ」
「お方さまッ」
 せつがわっと泣き伏した。
 私は内心、途方に暮れる。この様子では、このせつという娘、冗談ではなく私や秀頼と共に城ごと焔に包まれる覚悟を果たしかねない。
 最後まで側にいたいと言うその心根はいじらしくもあり、あっぱれ忠義の者よと褒めてもやりたい。
 多くの者ども―殿下がご信頼していたあの片桐且元までが我らを裏切りし今、豊臣と行を共にと願う者がいかほどいることか。しかしながら、今この時、先のある若き者を道連れにしたとて何になろうか?
 この娘は私の子ではむろんない。が、かつて小谷の城を、越前北ノ庄城を私や妹たちが逃れたとき、母が私たちを逃してくれたように、私自身もこの年若い娘を落城前に逃してやりたい。
 それが、かつて無念の死を遂げた母の志にも報いることになると思いたい。未来有る若い生命にこの身の内に燃える生命を託し、豊臣では果たせなかった太平の世をこの娘に見て欲しい、生きて欲しいと願わずにはいられなかった。
 人は私の想いを綺麗事と笑うだろうか?
 だが、私はもう、疲れ果てた。豊臣であろうが、徳川であろうが、そんなことはどうでも良いのだ。ただ諍いのない世に一刻も早く逝きたい。
 ああ、太閤殿下。私のただ一人のお方。
 懐かしい面影が私の瞼に甦り、笑いかける。
 せつは相変わらず、顔を覆って泣いている。
 私は考えた末、優しい声音で語りかけた。
「せつ、されば、この世の名残にもう一つ、面白き話をいたそうかの。聞いてくれぬか」
 案の定、泣いていた娘が顔を上げた。
 私は笑顔で続ける。
「今は亡き太閤殿下と私の馴れ初めを聞きたくはないか?」
 せつは大きな瞳をせわしなくまたたかせた。月の光を受けて煌めく滴を宿した娘の何と可憐であることよ。
「お袋さまと、太閤殿下の―」
 意外な話に愕いているようでもある。
 私はうっすらと笑みを湛えたまま頷いた。
「世間では私が太閤殿下に無理に側妾にされと思うておるようだが、真実は大違いなのじゃ」
「え―」
 せつが眼を一杯に見開く。
 いつしかこの娘を翻意させるつもりで私と殿下の出逢いを語り始めたことが、私自身の心を慰めることになっている。そのことに、私も愕いていた。

★第二夜~大坂落城~

 その男と出逢ったのは、ほんの偶然だった。その日、茶々は小谷城の一角、中庭で一人、遊んでいた。最初は二つ違いの妹の初と一緒だったのだけれど、途中で喧嘩してしまった。
 初は昔から要領の良い子だ。まだやっと四つになったばかりだが、とにかく立ち回りが上手い。きっと大人になったら、ととさまがよくおっしゃっているように〝時勢を見く〟すべを身につけることができるに違いない。
 一方の茶々といえば、初よりも二つも年上なのに、いつまで経っても立ち回りが上手くならない。
 例えば。初と二人で遊んでいて、喧嘩になったとする。そんな時、初は真っ先に泣き出す。しかも、しくしくとすすり泣くのではなくて、その辺り中に響き渡るような大音声で泣きわめくのだから、たまったものではない。 その泣き声だけを聞けば、到底、ただ事だとは思えず、大人は取るものも取りあえず駆けつける。そして、泣きじゃくっている初を見つけ、
―大姫さま、一体、何があったのですか?
 と、傍らで茫然としている茶々に訊ねる。
 口調は丁寧だけれども、これはもう完全に茶々を疑っていることが乳母の表情からもありありと読み取れる。
 案の定、
―また、二の姫さまを苛められたのですか?
 と、茶々の乳母ですらもが困惑し切った顔で嘆息するのだ。
 しかし、初のその大泣きが実は真っ赤な空泣きだと茶々はちゃんと知っている。ならば、大人に言えば良さそうなものだが、仮に告げ口したところで、信じて貰えないことは判っているから、絶対に言わない。
 全く割に合わないというか、損な役回りばかり引き受けさせられるのが姉というものだ。だが、そんな初は父長政のとてもお気に入りである。
―初は大人しうて泣き虫だ。
 と、初を抱き上げては、高い高いをする。
 茶々はいつも横目でそんな立ち回りの上手すぎる妹を眺めてきた。
 初は喧嘩をしても、大人が来る前に泣く。泣いて勝つのだ。泣けば、どちらが悪いかという原因をただす以前に、泣いた方が勝ちになる。ましてや、初は茶々より二つも下の妹なのだ。当然ながら、妹を泣かせるようなことをした茶々が悪いということになる。
 初はちゃんとそれを心得ている。一方の茶々は、そういう曲がったことは大嫌いだ。性に合わないというのかもしれない、間違いは間違いだし、嘘をつくのは何より大嫌い。茶々の基準でいえば、自分が悪者になりたくないがために、嘘泣きをするなど言語道断。
 だから、茶々は昔から初が嫌いだ。見かけはおとなしくて良い子。誰からも可愛がられるし、反感を抱かれることもない。大人受けの良い子だ。
 裏腹に、茶々は勝ち気だし、思ったことははっきりと口にするから、昔から小谷の城に仕える者たちから
―大姫さまは可愛げのない子。
 と陰で囁かれているのを知っている。
 そんな茶々だったが、それでも何とかひねくれずに済んでいるのは、母お市の存在があるからである。