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火焔の月~淀どの問わず語り・落城秘話~

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★第一夜~小谷落城~

 月が、燃えている。
 紅く染まった満月が紺碧の夜空に危うげに浮かんでいる。まるで秋に咲く彼岸花のような、禍々しいほど鮮やかな紅の色だ。こんな月の夜は、はるかな昔―まだ私が少女だった頃の記憶を誘(いざな)い、眠っていた想い出を甦らせる。
 そう、あれは、いつの年のことだったか。庭一面に群れ咲く曼珠沙華のまたの名を彼岸花、死人(しびと)花(ばな)とも呼ぶのだよと母が教えてくれたのは。
「―お方さま。お方さま」
 誰かが呼んでいる。はるか彼方から私を呼ぶのは誰だろう?
 ゆるゆると振り向くと、背後には見慣れない娘が畏まって頭を垂れていた。
「済まぬ、そなたの名は何と言いやったかの」
「せつにございます」
「せつ―」
 思い出そうしても、なかなか思い出せない。
 娘は気を悪くした様子も見せず、やわらかに微笑んだ。
「つい最近、入りましたばかりの新参者ゆえ、まだ、ご記憶にないものと存じます」
 そこで、はたと思い出した。記憶が深い水底(みなそこ)から急に浮かび上がってくるように、ぽっかりと顔を出す。
「おう、そう申せば、そなたの出所は近江であったの」
「はい」
 やはり出身地まで憶えられていたことは嬉しかったらしい。娘は大きな黒い瞳を輝かせた。
「おかしなものよ。度重なる連日の戦続きで、頭がボウと痺れてしもうて、つい昨日のことどころか、今し方の出来事すら思い出すのが覚束ぬ有様じゃ」
「お疲れなのでございましょう」
 生来心優しい質なのか、娘は控えめに言い添える。
「そうかもしれぬのう。人というものはげに不思議な生きものだ。自らの記憶にとどめておきたいと願うことはしかと憶えておるが、忘れたい嫌なことは無意識の中に忘れようとするものじゃ」
 しばらく応えはなかった。私も特に返事を期待していたわけではなかったが、どうやら娘は口にすべき言葉を探していたらしい。
 ややあって、静かな声音が返ってきた。
「お方さま、いえ、お袋さま。少しお寝(やす)みになってはいかがでしょう。お眠りになれば、疲れも取れますし、嫌なこともお考えにならずに済みまする」
 私は淡く微笑し、かぶりを振った。
「眠れば眠ったで、また怖ろしい夢を見る。焔に灼かれる夢、どこまで逃げても紅蓮の焔が追いかけてきくるのじゃ」
 娘は一瞬、痛ましげな表情になり、私を見つめた。私も彼女を見つめ返す。娘というよりは、まだ少女という呼び方がふさわしい。年の頃は十三、四ではないだろうか。
「大蔵卿が先頃、召し抱えたばかりの侍女の中に心利きたる者がいると申していたが、もしや、そなたのことではあるまいか? 確か、名はせつという娘だと聞いたぞ」
「私のようなはした女の名をお袋さまに憶えて頂いているとは恐悦至極に存じます」
 娘が興奮した面持ちで白い頬を染めた。
「今日日、この城にもどこに徳川方の間諜が混じっておるかは判らぬゆえと、敢えて我が故郷近江より新しき侍女を召し抱えたと聞いたが、そなた、ようも仕える気になったのう」
 徳川家康が我が豊臣の息の根を止めんと隙あらば獲物に襲いかかろうとする蛇のごとく執念深く遠巻きに監視していることは判っている。
 その最中に、たとえ奥向きの下女といえども、わざわざ豊臣に仕えようとは殊勝ともいえるし、時勢を知らぬとも言えるだろう。
 せつという名の少女は薄く笑んだ。
「我が家は微禄ながら代々、浅井(あざい)さまより扶持を賜り、お仕えして参りました。たとえいかなるときであろうと、主家の求めに応じて誠意を尽くすのが武門に生まれた者の務めと幼き頃より教えられて参りましてございます」
「さようか。おなごながら、何とも見上げた心映えよのう。我が豊臣に仕える家臣の中にも、そなたのような者がおれば良かったに」
 今更、繰り言にしか聞こえないであろう科白を零し、私はせつを見た。
「そうじゃ、思い出したぞ」
 は? というように、せつが私を見上げる。
 私は遠い眼になって首を振る。
「先刻、大昔のことを思い出しておったのだ」
「大昔、と申しますと?」
 心優しいだけでなく、聞き上手でもあるらしい。わずかなやりとりだけで、この娘の賢さが知れるというものだ。これが戦のただ中などではなく、泰平な世であれば、息子秀頼の側近く仕えさせて側室にしても良いと思うほどの娘だ。
「そうよの、私がまだほんの頑是なき童の頃だ。そなた、今、幾つにあいなる?」
「十四にございます」
 即座に応えが返ってくる。私は頷き、続けた。
「当時、私は五つであったと思う。今思えば、随分とませた子どもであったのだろうな。その日は殊の外、月の美しい夜で、私はどうしても天守から月を愛でたいと一人、天守に昇ったのよ」
「お一人で?」
 眼を丸くする娘に、私は片目を軽く瞑って見せる。
「さよう。乳母の眼すら盗んで、五歳の幼子が真夜中に一人、床を抜け出して天守に昇った。されど、そこには先客がいたのだ」
 せつの眼がきらきらと光っている。月明かりを受けて冴え冴えと煌めく瞳に、私は十四歳という若さの放つ生命の輝きをかいま見た。
 戦は何と無情なものか。この今、漸く開き始めたばかりの蕾のような少女の生命まで無残に奪うのだから。
「その先客とは誰だと思う?」
 幾分、笑いを含んだ声で問うてやると、せつは大真面目な表情で首を振った。
 私はとっておきの菓子を出す母親のように、わざとゆっくりと応える。
「我が両親が先に天守で月見をしていたのよ。二人だけの月見をな」
「まあ、浅井のお殿さまと、お市御寮人さまがいらっしゃったのですか?」
 せつも流石に予期していなかったらしい。心底愕いているのに、私は笑いながら頷いた。
「その夜、私は更に、二度、愕くべき事実を知ることになったのよ」
「まあ、それは何でございますの?」
 物語の続きをせがむように言われて、悪い気はしない。私は軽く眼を瞑ると、その夜の出来事をゆっくりと語り始めた。

 秋の虫が一斉にすだいている。
 茶々は天守まで続く階段の最後の一段を上り終えると、ハッとした。確かに話し声が聞こえる。ひそやかなもので、よくよく聞き耳をたてなければ聞き取れないほどのものだけれど、人がいる。
 こんな夜半に誰がいるのだろう?
 小さな身体を更に縮めて気配を殺しながらも、耳に全神経を集中させる。話し声はどうやら男と女のもののようだ。
「―そなたには済まぬと思うている」
「―私は―ただ、殿のお心のままに―」
 所々、声が極端に低くなり聞き取れないが、大体は判った。しかし、その会話そのものが何を意味するのか、幼すぎた茶々には皆目見当がつかなかった。
 後に、その夜、父母が話していたことは怖ろしい現実となって茶々だけでなく、浅井一族を見舞うことになるのだ。しかし、その来るべき運命の夜から一年前のこの夜、月はあくまでも美しく、静かなひとときが小谷の城を包み込んでいた。
 やがて、それまでのうち沈んだ雰囲気がガラリと変わり、女の華やいだ笑い声が響いた。
 そこで、茶々は弾かれたように顔を上げ―、その拍子に父と顔を合わせることになった。
「ととさま」
 茶々はパタパタと足音を立てて駆け、腕をひろげた父の懐に飛び込んだ。