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 僕としては心からの賛辞を送りたかったのだが、どうもいつもうまくいかないのだった。
 高校卒業と同時に僕らは家を出る。おのおの通っている大学のキャンパスの中間ほどに位置する、小さな駅の近くに部屋を借りて、ルームシェアをした。シェアと言っても時々は性的なこともやっていたし(昔ほど旺盛にはやらなかったが)、やったってなんの文句も言われない歳になっていたのだから、同棲、と表現すべきなのかもしれない。
 このまま僕らは夫婦的なものになっていくんだろうか、と僕も思っていたし、ちーちゃんもおそらく、思っていた。彼女に素敵な彼女でもできればまた別かもしれないが、気の毒なことに大学デビューを果たしても、ちーちゃんが女にモテ出す気配は一向になかった。もうしばらく同じ状態が続いていたら、学生結婚なんてことも視野に入っていたかもしれない。
 ところが、である。僕らのもとに洋介が現れる。
 ちーちゃんのバイト先のコーヒーショップの新入りのひとりが、洋介だった。明るくて声が大きく、体は丈夫で力持ち、その手のバイトにはぴったりのタイプである。細かい仕事も決してがさつでなく、覚えも早かったという。重いものを運んだり棚の上のものを取ったりにも重宝された。
 「絵に描いたような好青年という感じだったわ」
 ちーちゃんはそう回想する。
 「端から見てそんな風に見えるようにいられるのって、もちろん持って生まれたものもあるだろうけど、りっぱなことだと思うのよね。洋介くんはそういうところ、きれいな人なのよ。ずっとそうだった。今でもそう」
 その最たるものが、彼の告白であったと、ちーちゃんは言う。
 一緒に働き始めてほどなく、洋介は、ちーちゃんに好意を持つようになったのだった。
 「ちーちゃんのさ、どういうとこがよかったの」
 「千里子さんはさあ、ちょっとおっかない感じすんだけど、仕事とかすげえ丁寧に教えてくれて、実はけっこう、やさしいっつうか」
 「うん」
 「やっぱ年上だったし、俺、前から年上好きだし」
 「うん」
 「年上っぽい、こう、落ち着きがある」
 「うん」
 「あとおっぱいがけっこうある」
 明快である。
 バイトに入って四ヶ月ほど経ったある日、洋介はシフト明けのちーちゃんをお店のビルの屋上に呼び出して、交際を申し出たのだという。
 俺は千里子さんのこと、真面目に好きだからさ、よかったら、考えてみてよ。返事はすぐじゃなくていいから。
 「漫画みたいに爽やかだったのよねえ、ほんとに。あの日は天気もよくって」
 ちーちゃんは目を細めてそう語る。
 ちーちゃんは男子との交際に全く興味が持てなかったので、丁重にお断りするつもりで、屋上へ行ったのだという。ところがいざ告白されてみたら、まさに絵に描いたような爽やかさで、
 「こんなふうに言われちゃったら、もうちょっと真面目に考えないと悪いかしら、って」
 そう思ったちーちゃんは、あえて断りの返事をすることはせず、颯爽と去って行く洋介の後ろ姿を見送ったのだった。
 「そのまま何事もなかったらちーちゃん、 OKの返事してたと思う?」
 「どうかしらねえ。真面目に考えて、丁重にお断りしてたかもしれないわ」
 たら、ればを言ってもせんのないことよ、とちーちゃんは言う。違いない。実際にはそのすぐ後に、大きな何事かがあった。その何事かというのは、僕の話だ。

 僕と洋介が出会ったのは、どこで、どういうきっかけだと思うだろうか。驚くなかれ、なんと初対面は大学の食堂である。大学の食堂で見ず知らずの人間にいきなり一目惚れなんて、現実に起こる話とは思われないかもしれないが、実際、起こってしまったのだ。
 僕と洋介とは大学が同じだったわけだが、学部は別だ。知り合った後から確認したら、大教室の講義がいくつか重複していた他には、互いの顔を見ていそうな機会などほとんどなかった。ちーちゃんのバイト先は、チェーン店の割に気取ったところがあり、その手の雰囲気が苦手な僕は、数えるほどしか訪れたことがない。つまりその日、混雑していた学食で偶然、同じテーブルに向かい合わせに座ったのが、僕らの初対面だったことになる。
 向こうが僕に、空いてますか、と聞き、僕がはいと答えた。よく通る声だな、と思い、食べていたカレーから一瞬、目線を上げて相手を見た。
 輪郭のはっきりした人、という感じがした。輪郭というべきか色彩というべきか、靄のかかったような背景の中にひとつだけ高彩度の写真を放り込んだ感じだ。Tシャツから伸びた逞しい腕を、目の前のとんかつに伸ばして、きらきらと瞳を輝かせている。鮮やかな人だと思った。それがまた、おいしそうに食べるのだ、学食の定食の、大して上等な品でもないとんかつを。もぐもぐするとき、目が少しつむって、半目になるのだった。そういうところ、すごく無防備で、チャーミングな感じがした。
 彼がふと、目を上げて、こちらを見た。パン粉のカスがついたままの口が、あんぐりと空いた。
 それから―
 お恥ずかしい話だが、それからのことを、僕はあまりよく覚えていない。気が付いたらなんというか、家で寝ていた。
 「おまえはさ、眼鏡を、外したんだ」
 洋介の談である。
 「眼鏡をね、こう、ちょっとずらして、俺のことを見てたの。じっと。それがなんかもう、すごい目でさ、いやあ、人から、しかも野郎からこんなに色気が出てくるもんかって、思ったね。ブワアって鳥肌立ってさ、俺もなんか、よく分かんなくなっちゃった」
 要するに僕は―これまで浮いた話が乏しかった反動なのかなんなのかわからないが―人生初の一目惚れというものを経験して、それと同時に、何かすさまじい色気的なものを発揮したらしいと、そういうことなのである。僕らはそのまま午後の授業をサボって、慌ただしく僕のマンションに向かい、あれよあれよという間に事を致したのであった。ちーちゃんとの間で、僕は受ける側のセックスというものをある程度経験しており、それがおおいに役に立った。
 一通りやることをやってしまった後で、洋介は我に返る。おりしも先日、女性に交際を申し込んだばかりであるという、自分自身の立場を思い出したのだ。まだ返事をもらっていない以上、付き合っているわけではないとはいえ、舌の根も乾かぬうちにこれはどうなのか、と。
 頭を抱えて目を白黒させている彼の様子を見て、さすがに僕もちょっとまずかったかという気がしてきた。
 「……ごめんね、なんか」
 「や、そんな」
 「だって、こんな、名前も知らない奴の家で、いきなり、ねえ……びっくりしたよね……?」
 「やめろよ、別に、おまえが無理矢理、つ、連れてきたとかじゃ、ねえじゃん……」
 「……」
 「……名前」
 「え」
 「名前、なんてんだ、おまえ」
 「……」
 「俺はさ、カガミヨウスケ、つうんだけど」
 言いながら、洋介はもう一度僕に向き直り、僕の頬に手を伸ばしてきていた。
 「カガミって、あの鏡じゃなくて、かく、に、つとめる、な」
 「……う、ん」
 「そんで太平洋の洋に、すけ……」
 頬に触れた手が、驚くほど熱くて、震えている。潤んで蕩けた瞳を見つめながら、返事する僕の声も掠れて、うまく言葉にならなかった。
 「……よ、うすけ、」