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「静かの海」より



 僕の、胸の下のところ、あばら骨のあたりは、結構こけていて、骨の凹凸が一本一本、体の表面に浮き出ている。といっても、栄養失調ばりに骨と皮だけの体、というわけではない。単に人より少し痩せ気味で、少し鳩胸なだけなのだ。とはいえ、貧相と言えばいかにも貧相な体型で、自分ではあまり気に入っていない。筋骨逞しくなりたかったわけではないけれど、それでも、体育の前の着替えで教室で裸になるのとか、ああいうのは、いやだった。
 ちーちゃんは、僕のあばら骨を眺めて、さわるのが好きだ。ひとさし指で上から下へ、凹、凸、凹、凸、凹、凸、するすると撫でる。また上へ行ったり、下へ行ったりしながら、思いつくままの言葉を口にする。
 「梯子」
 「階段」
 「線路」
 線路の枕木? 「そう」
 「駅の、ホームの端」
 ホームの?
 「あの、黄色い点字ブロックより外側、黒い滑り止めみたいなのが、平行に並んでいる……」
 なんだっていいよ。
 ちーちゃんは真面目な顔で僕のあばら骨をさわり、洋介が、うしろでそれを見ている。生きものの不思議について教わる子供のような、屈託のない顔をして、ちーちゃんの言葉に耳を傾けている。洋介は素直な人だ。どんなことに対しても素直な人で、それが彼のいちばんの美点だと思う。
 あばらの浮いた体の上に、生成りのパジャマを羽織って、僕は彼らと肩を寄せ合って眠る。布団が凪いだ海のように静かで、深い。


 僕とちーちゃんと、それから洋介の話をしようとすると、省略できることがらがあんまりない。ディテールは省くけれど、事実関係はきちんと昔に遡って追っていく必要がある。
 ちーちゃんと僕とは親類の関係にある。詳しく言うと、はとこだ。血縁としては決して近くないが、すぐ隣同士の家で生まれ育った。隣と言っても実際、敷居はあってないようなもので、僕らの家の間では家人が毎日行き来していた。ほとんど二棟の多世帯住宅のようなものだった。ちーちゃんの家には叔父叔母夫婦も住んでいたので、のべ三世帯。親を含む大人たちは、みなざっくばらんな人々で、二つの家と海外のいろんな都市の間を、どこも自分のホームであるかのように気軽に移動した。いつも誰かが出掛けている。そういう中で、僕らは、自律性と冒険心の豊かな子供として育った。
 同い年だったせいもあり、僕とちーちゃんは、物心ついたころには毎日一緒に家中を探検する仲になっていた。なんたって僕らの家は広かった。二棟もある。いつでも必ずどこかに死角のような隙間ができていて、その秘密の空間へ、二人で懐中電灯とおやつを持ち込んでは、たわいのないお喋りを飽きもせず続けた。僕とちーちゃんとは素晴らしく息が合っていた。お互い、よそに友達ができなかったわけではないが、それとはまた別の話だ。魂の双子、そういった表現が、おそらく一番適切だろう。
 性的な遊びを覚えたのはわりと早い時期だった。十歳前後だろうか。実際のところそれは、家の中の色々な隙間で、大人たちや従兄弟の兄さん姉さんらが、相手を変えて入れ替わり立ち替わりやっていたことを、なんとなく真似てみた結果である。真似といっても、つぶさに観察する機会は得られなかったせいで、推測と創作によるところが大きい。みんな隠れるのが上手だったのだ。
 ちーちゃんは男の子の、僕は女の子の、だいたいの体のつくりというものを、お互いから学んだ。実際のところ、僕らは異性への関心をお互いで満たしてしまった感がある。
 「男の子はね、カズくんで、だいたい済んじゃったと思う」
 ちーちゃんはよくそんなふうに言う。僕で済んでしまっていいのかどうかと考えると、甚だ恐縮な話ではある。
 さておき、異性についてはひととおりの理解を得たと思っていた、およそ十二歳頃のことである。衝撃的な出来事が起こった。保健体育の授業というやつで、僕らはいわゆる性交渉と呼ばれるものについて学んだのだ。そういったことを知識として教えられたのは、そのときが初めてだった。
 その日の放課後、ちーちゃんの部屋で、二人して教科書をぱらぱらとめくっては、呆然とため息をついたことを覚えている。
 お互いの体のどこをどう触れると気持ちがよいのか、ということはよくわかっていて、実際に気持ちがよくなることもできた、しかし、なにをあれに入れるというのは、僕らのレパートリーにはなかったことだった。
 「とんでもないわ」
 両足を投げ出して座ったちーちゃんが、保体の教科書を棒状にくるくる丸めながら、繰り返しそう呟いた。
 「世の中の人って、とんでもないのね……ねえカズくん」
 「なんだい、ちーちゃん」
 「わたし分かったわ。いままで、うちが変態なんじゃないかとか、わたしたちが変態なんじゃないかとか、思っていたこともあったけど、甘かった」
 そう言うと、ちーちゃんは丸めて握った保体の教科書で、膝をパシン、と勢いよく叩いた。
 「世の中みんな変態なのよ」
 ちーちゃんは重々しくそう告げた。窓から射す西日に照らされ、彼女の表情はいっそう真に迫って見えた。僕は大きく頷いた。世にあまたある家の中の、たくさんの隙間のことを思いながら。みんな表向きはあっけらかんとしながら、こっそり秘密の隙間に籠もって、変態しているに違いないのだ。僕らの遊びなんて、なにほどのことだろうか―
 「そんなわけあるかよ」
 このころの話を洋介にすると、どうもいまひとつ信じてもらえない。
 「ほんとだよ」
 「ほんとかよ、だってさあ、おまえ河原で友達とエロ本拾って読んだりとかしなかったわけ」
 「そういう話に入るの嫌だったんだよ、なんか、怖そうでさあ」
 「猫の交尾とか、見ることあっただろ、そのへんで」
 「猫なんて去勢済みの飼い猫か半野良しかいなかったと思うよ、新興住宅街だもの」
 「そういうもんかあ?」
 さておき、中学高校を通して、僕とちーちゃんは相変わらずの関係だった。学校ではほとんどきょうだいのようなものとして通っていたが、同級生の三割くらいからは、恋愛関係を疑われていたようである。僕は特に好きな人ができることもなかったし、女子からモテるといったこともなかったので、どう思われようとさほど困らなかった。女子からはいわゆる根暗として認識されていたようだ。実際、根は明るくないので、仕方がない。
 ちーちゃんは僕よりも外向きだった。さっき言った通り、男子には興味を持たなかったけれど、女子にはおおいに恋をした。同級生に先輩、後輩、先生、いろんなところに意中の人を見つけては果敢にアタックした。好きだかわいいといったことをあまりにも堂々と口にするものだから、おおかた冗談として受け取られていたようである。
 それでも僕は、ちーちゃんの勇敢に恋するさまを見ているのが好きだった。何子ちゃんがホームルームの時間に背筋を伸ばしたまま居眠りしていて、時折目が半分開くのが大変かわいらしかった、といった話を、遠い目をしながら語ってくれるのが嬉しかった。
 「ちーちゃんの恋はさ、すごく、いいと思うんだ。夢がある」
 そう言うとちーちゃんは決まって眉根を寄せた。
 「なによそれ、馬鹿にしてる」
 「してないよ」
 「ひとごとだと思って」