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約束~リラの花の咲く頃に~再会編Ⅰ

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 遠い時の彼方で生きるあの男に恥じない生き方をしたい。そう思って、自分に与えられた新しい職場、仕事に真摯に打ち込むことにした。
 現在は勤務する会社から電車でふた駅のR町のマンションで気ままな一人暮らしを送っている。Y町には両親がいるが、実家に顔を見せるのはせいぜいが夏と正月の休みくらいで、なかなか子離れのできない母を大いに嘆かせていた。
 それに、女の二十六歳という年令は何とも微妙ではある。二十代は仕事や自分の生活を十分に愉しみ三十代で結婚、出産する女性も増えている昨今、女の適齢期が二十四歳までだなどと主張する輩は流石にいない。
 しかし、二十代前半は何も言わなかったどころか娘の結婚問題に関して無関心にさえ見えた両親が二十五歳を過ぎた辺りから俄に口煩くなってきたのは確かである。
 それでもまだ父はマシな方で、母はたまに帰ってみれば、〝真田さんのところの博美ちゃんはね、良いお話が決まったそうよ。お相手は歯科医で―〟云々と小、中学校時代の級友たちの結婚話をまるで自分の手柄のように滔々と話すのだ。
 むろん、その口調には、〝よそのお嬢さんは早々と良い縁付き先が見つかって羨ましい〟という母の気持ちが透けて見えている。
 莉彩の中学時代からの親友である泰恵(やすえ)も去年の六月、二年間付き合ったという恋人と結婚したし、今一人の友人遥香(はるか)にも結婚を前提に付き合っている男がいるらしい。
 泰恵の結婚披露宴でたまたま隣の席になった男―新郎の友人でさる有名家電メーカーに勤めている―から交際して欲しいと頼まれたりもしたが、莉彩は丁重に辞退していた。
―ごめんなさい。私、好きな男(ひと)がいるんです。
 ただ断っただけでは到底納得しそうにない男に対して、莉彩はやむなくそう言った。そして、この言い訳は満更、全くの嘘や出たらめというわけでもない。
 ただし、その好きな男というのが今を遡ること五百六十年前の朝鮮国王だ―と言えば、莉彩は気違いと思われるか、もしくは相手を馬鹿にしていると激怒されたことだろう。
 そう、今では莉彩自身ですら、彼―朝鮮を統べる国王徳(ドク)宗(ジヨン)と恋に落ちたことが信じられないときがある。あれは束の間見た美しい幻であったのではないかと。
 実際、そうであってくれた方が莉彩にはよほど良かった。たとえどれほど困難な障害が立ちはだかっていようと、想う相手が同じこの現代―二十一世紀に生きる人であれば、まだしも一縷の望みは持てたはずだ。
 が、よりにもよって莉彩の愛した男は、はるか時の向こうにいる人だった。
 十年前の秋のある日、車に轢かれそうになった莉彩は、危ういところで時を飛び、約五百五十年前の朝鮮へと行った。そこで徳宗と知り合い、王とは知らずに惹かれ、恋に落ちたのだ。
 その時代で四ヵ月を過ごし本来いるべきはずの二十一世紀の日本に戻ってからも、一日たりとも王を忘れた日はなかった。
―逢いたい。
 日に幾度、切なく疼く胸の想いに堪え切れなくなり、涙しそうになったことだろう。たったひとめでも良い、あのひとに逢わせてくれるというのなら、今、自分が持っているものすべて―この生命すら投げ出しても良いと思うほどに逢いたかった。
 あなたのいないこの(現)世界(代)は、あまりに淋しすぎる。私は何をしていても、自分が本当に生きているという気がしない。
 多分、私は、身体だけはこの現代に戻ってきたけれど、心はあなたのいる朝鮮王朝時代に置いてきてしまったのだろう。だから、何をしても―美しい花を見ても、あなたと一緒にこの花を見られたらと思い、夜空に浮かぶ満月を眺めては、あなたと最後に別れた朝のことを思い出して、泣かずにはいられない。
―私ったら、また、あの男(ひと)のことを考えてる。
 莉彩は自らの想いを振り払うように、小さく首を振る。一時間以上かけて入力し終えた明日の会議用の資料をざっと眺め、入力ミスがないかどうか確認する。
 後は、これを人数分コピーしておけば完了だ。
 自活していると言えば聞こえは良いが、この会社は莉彩の父が常務を務める大手アパレル・メーカーの支社であり、てっとり早くいえば、莉彩はコネでこの会社に入ったのである。
 十年前、Y町にある本社で営業部長を務めていた父は現在、常務取締役にまで昇進していた。
 だが、いかに常務の娘であろうと、遠く離れたこの北海道支社にまでその影響力は殆ど及ばないと言って良い。莉彩は相変わらず、十年前と同じで要領の悪さは筋金入りだ。学生時代もやはり他人から何かを頼まれると厭な顔もできず笑顔で引き受けていたけれど、今も全く変わっていない。
 今だって実香子から残業を言いつけられて、〝ハイ〟とにこやかに応じてしまっている。むろん、他人のいやがることを笑って引き受けられるというのは、けして悪いことではない。むしろ、長所と言えるかもしれない。
―それが莉彩の良いところなんだよ、気にするな。
 ―と、そう言って励ましてくれた人が昔、いた。
 遠い朝鮮時代で徳宗と恋に落ちる前、付き合っていたB.F.の和泉慎吾だ。慎吾とは中学二年から高一までの三年間付き合ったが、結局、莉彩の方から別れを切り出すことになった。
 徳宗と知り合うまでにも、莉彩は慎吾への気持ちを今一つ、掴めないでいた。手をつないだことはあっても、キス一つしたことのない慎吾に対して、よく同年代の女の子が頬を紅潮させて話していたように胸が時めいたり、慎吾のことを考えただけで切なくなって涙が止まらなくなったりする―ということが全くなかったからだ。
 それが、ある日突如として朝鮮王朝時代にタイム・トリップして徳宗と出逢って初めて、かつて同級生たちが語っていたのと全く同じ体験をした。
―彼のことを思い出しただけで、居ても立ってもいられなくなるの。
 女友達の話として聞いていただけのときには、そんなことがあるのかと半ば懐疑的に思ったものだったけれど、現実に自分が味わってみると、まさにそのとおりなのだと思い知った。
 〝恋〟というものが何であるか知ったそのときはまた、慎吾への想いが異性に対するそれではないとはっきり自覚した瞬間でもあった。
―莉彩、一体、行方不明になっていた間に何があったんだ!?
 当然、慎吾の疑問は莉彩があちら(朝鮮王国時代)に飛んでいた空白の期間に向けられた。
 だが、莉彩は哀しげに微笑んだだけだった。
 第一、SF小説や映画でもあるまいに、タイムトリップして、はるか過去の―しかも歴史に名を残す有名人物と恋に落ちただなんて話しても、信じて貰えるとは思えなかった。
 たとえ、理解力のある慎吾だとしても、事が自分の恋愛問題に関するとなれば、冷静に話を受け容れるのは難しいだろう。
 ただ一つだけ、はっきりとしたことは、莉彩には心から愛する男性が現れた―、それだけだった。莉彩にはその事実だけで十分であったが、当の別れを突如として宣告された側の慎吾には到底、十分とは言いかねたに違いない。
 慎吾を必要以上に傷つけまいとして、敢えて好きな男ができたとは言わなかったことが、彼のもどかしさをかえって強めたようだった。
―三年も付き合った俺に対して、莉彩は何の説明もなしで、黙って背を向けるのか?