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山の中はほとんど歩く隙間もないほどしんしんと樹が繁っているのに、どうしたわけかどこへ行っても雨が容赦なく降りつけて、陰が一向に見つからない。
さまよいながら登り続けて、とうとう頂上へ至り、峠を越えてしばらく歩くと、山の面が急に平坦になって、家がぽつぽつと見え始めた。
家は先へ行くほどどんどん増えて、その間にはきれいにならされた路地までできていた。
どの家も示し合わせたように屋根が破れていて雨宿りには使えないのだけれども、諦めずに歩いていくと、路地の突き当たりに大きな屋敷が現れた。
屋敷の中には灯がともり、庭へ面した居間の障子に人の影が映っている。
私は門をくぐって玄関の扉を叩いた。
するとしばらくして、法衣を着た坊主が顔を出した。
「どうされましたかな」
坊主はらっきょうのような形をした頭を、わずかに左へ傾けながら、私の顔を覗き込んだ。
「旅の途中で連れが病気に罹ったのです。せめて雨が上がるまででも、休ませていただけませんか」
「南無さん山火事、もちろんです、どうぞお上がりなさい」

坊主は居間の前の廊下を過ぎて奥の部屋へ私たちを通すと、布団と浴衣を出してきて妹を寝かせた。
そうして私には、温かい山芋汁の入った椀を出した。
坊主は医者でもあるらしい。
しばらく妹の身体を拭いたり、腕をとって脈を調べたりしていたが、やがてこちらをむいて、
「夜の明ける頃が峠でしょう、私が附いて看ていますから、あなたは私の寝室で少し休んでおいでなさい。あなたがいると、患者の精神があなたを気遣って乱れてしまうのでいけません」
と言った。
それでも私が妹の傍にいたいと思って、汁を啜りながらぐずぐずしていると、坊主はさらにだめを押すような口調で、
「まだ当分は大丈夫です。峠が近づいたら、お鼻をくるくるして呼んであげますから、早くお行きなさい」
とぴしゃりと言った。
ぴしゃりと言った割には言うことの間が抜けている。
何か別のことを言ったのを聞き間違えたのかもしれないけれど、よくわからない。
何にせよ、看病の仕方も分からずに傍にいて、坊主の邪魔をしても悪いからと考え直して、私は部屋を出ていった。

離れは屋敷の隅から渡り廊下を渡った先にあった。
途中、屋敷の廊下にも、渡り廊下にも、手に乗るぐらいの大きさの、犬や猫や様々な動物の形をした陶器の置物が、両脇にほとんどすき間もなく並べられて、こちらを見ているのが気になった。
そうかと思えば廊下の真中に、まん丸い大きな穴が三つも四つも立て続けに開いているところがあって、落ちないようにして渡るのに随分と骨を折った。
離れへ近づくにつれて、あの坊主一人に妹を預けて大丈夫だろうかという不安が、今更ながらに首をもたげてきたけれど、廊下は途中で何度も道が別れたので、戻ろうにもどう戻ったらいいのか分からない。

そのうちにようやく離れへついて、中へ入ると、半開きになった雨戸から、狭い庭を挟んだすぐ向うに、居間と妹の寝ている部屋の障子とが並んで見えた。
渡ってきた廊下の長さや曲がり方から考えると、そんな位置に部屋が見えるのはどう考えてもつじつまが合わないのだけれど、障子に映って動いているらっきょうのような形の影は、まぎれもなくさっきの坊主の頭である。
私は安心とも不安ともつかない、曖昧な気持ちで、畳の上へ座った。
そのまま目をつぶって闇に耳を傾けていると、犬の唸るぐうぐうという音が、どこからともなく庭の中へ入ってきて、庭の中を歩き回った。
と思うとそれが不意に途切れて、今度は猫の鳴くぎゃあぎゃあという声が、庭の真ん中へ鮮やかにあがった。
その後も、鳥やら蛙やら、いろいろな動物の声がとっかえひっかえ出てきては、ひっきりなしに庭をざわめかせた。
おかしなことに、鳴くのはいつも決まって一匹ずつで、二匹以上の動物の声が混じり合うことはなかった。
さっき廊下に並んでいた置物は動物の霊魂を入れておく壺だったのだ、そうして夜の間だけ、その中の霊魂が抜け出してきて、こうやって庭で順番に鳴くのだろうというような事を、私は何となく考えた。

それらの声を聞くうちに、私はいくらか眠ったらしい。
梟の声がミミズクに変わったきり、妙に長い間続くので、おかしいと思ってよく耳を凝らすと、もう庭にはミミズクの声も何もしなくなっていて、はっと思って起き上がったら、畳の上へ強い日差しが差していた。

私は慌てて離れを飛び出し、はだしで庭を飛び越えて妹の寝ている部屋へ飛び込んだ。
するともう遅かった。妹は筵にくるまれ、その前で坊主が経を上げていた。
「誠にお気の毒様です。夜が明けてからも随分頑張られたのですが、もういけません」
読経が終わると、坊主はそう言って妹の体を包んだ筵を私に渡した。
「裏口を出て、少し行ったところに小さな空き地があります。とても静かな、安らぐところです。そこへ放しておやりなさい。それからあとは、煮るなり焼くなり、自由です。放し飼いにしても構いません」
坊主はひどく同情した口調でそう言うのだけれど、途中から先は何のことを言っているのだかわからない。
私がまごまごしていると、坊主は、
「さあ早くお行きなさい。愚図愚図していると仏さまの体が腐ってしまいます。さあさあ」
と言いながら、私の体をずいずい押して裏口の外まで追いやり、ぴしゃりと戸を閉めてしまった。
その間際、坊主の口から真っ赤な舌が飛び出して、唇の周りをべろりと舐めるのがはっきり見えた。

私は筵を抱きしめて歩き出した。
裏口の前は、高い塀に挟まれた狭い抜け道である。
その抜け道を歩いていくと、じきに大きな通りへ出た。
通りには夕方のような、色の褪せた日が斜めに差していて、その中を黒っぽい色をした人の影が盛んに行き交っている。
私はその通りをひたすらに歩いた。
けれど、同じような店の並びや民家の連なりが続く中をどこまで歩いても、坊主の言う空地にはいつまでたってもたどり着かなかった。
そのうちに体中が自分のものと思われないほど気だるくなってきて、足が小刻みに震え、眼のぎらぎらしてくるのが自分でもわかった。
口からは言葉にならない声がしきりに漏れ出し、歯の根が合わずにがちがちと鳴った。
皮膚は黄ばんで汚らしい毛がじっとりと生えだした。
その毛を空気にざわつかせながら足を引きずって歩くうち、何か大事なことが、頭から水の抜けるように失われていき出すのが感じられた。
それだから私は慌てて腕の中の筵をきつく抱きしめてみたけれど、筵は力を込めるに従って感触も重さもだんだんぼんやりしてくるようで、それが私にとってどのように大事なものなのか、よく分からなくなってきた。
作品名: 作家名:水無瀬