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Twinkle Tremble Tinseltown 7

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 じっと見つめる瞳から表情は読みとれない。色も含むものも違っているはずなのに、ルイスは彼のまなこを、今は亡き恋人の眼光と簡単に結びつけることができた。ルイスをモデルにしてデッサンに取りかかっているとき、普段はくるくるとよく動く大きな目玉がぴたりと固定され、射抜くような鋭さを帯びる。身を晒していられたのはその中から、純粋さをちゃんと汲み取ることができたからだ。悪意も好意もなければ打算や策略もない、体の奥底まで手を突き入れるような気迫。まるで自分が皿の上に乗せられた極上の料理にでもなったかのような気分になり、いつでも気持ちを高ぶらせたものだった。
「何か悩み事でも」
「ええ、まあ」
 何を考えてるんだ、落ち着け。男の薬指に光る指輪に眼を落とし、ルイスは頭を振り振り答えた。
「故人だけど、過去のことを」
「何歳? 職業は」
 僅かだが変化をはっきりと読みとれる口調で青年は訊ねた。
「亡くなったのはいつ」
「半年前。49歳で、職業は画家だった」
 引き攣れる胸を宥めるよう掌で押さえる。男は先を急かすでもなく、怜悧な沈黙を纏うことで話を待ちかまえていた。手の中のフォークをへし折らんばかりに込められていた力は、時間をかけることで抜くことができる。努力を続けたが、結局手汗が出るばかりですぐに力みは戻ってきてしまう。
「20年以上前、外国紙幣の偽造をして刑務所に入ったことがある。犯罪組織絡みだ。彼は話してはくれなかったけれど、後から新聞で調べた」
 アドバイス通りフォークの先端に切った魚を突き刺しはしたが、口へ運ぶ気にはならない。本当は分かっているのだ。彼がいなくなってもう半年。それなのにまだ思い出すだけで心臓が痛いし、眼球が膨張したように熱を帯びる。堰を切ったように言葉が溢れ、理性が叫ぶ制止の声を遠くへ押し流してしまう。
「関係者で逮捕されたのは彼だけだった。仲間の中には何もなかったみたいな顔で暮らしてる奴がいっぱいいる。けれど彼は4年間の刑務所暮らしで夢も希望も奪われて……あれだけの才能があったのに、犯罪歴がネックになって、ほとんどのコンクールでそっぽを向かれた。最後は苦しみながら死んでいった」
 泣くのは辛うじて堪えた。俯き、自ら気管を締め付けることで。目だけではなく鼻や耳まで燃えるように熱を持ち、フォークは今にも撓んで折れ曲がりかけていた。
「悔しいし、悲しいし、それに辛いよ」
 肉体のあちらこちらに掛かる負荷が、音のない悲鳴となって内側に響く。毎晩一人で目を閉じるときに感じる、体がばらばらになりそうな不安が蘇った。明るい場所では気丈に振る舞っていられると思ったのに。
「どうしてこんなことになったのか、真実を知りたいんだ」
「知ってどうするんだ」
 それまで黙って耳を傾けていた男が、唐突に口を開いた。持ち上げていた肉へ歯を立て、顎へ思い切り力を込めて咀嚼する。まだ半ば以上口腔内へ残っているしつこい脂身と平坦さを混ぜ合わせた口ぶりで、どう目するルイスへ語りかける。
「敵討ちでも?」
「そんなこと! 僕はただ」
 つい荒くなる語調の促されるまま、ルイスは顔を引き上げた。
「彼の才能を真っ当に評価して欲しいだけだ。そのためには真実を」
「あんたがさっき言ってた通り、その事件はシンジケート絡みだ。素人が下手に首を突っ込んだら碌なことにならない」
 噛み切る努力は遂に放棄され、逞しい喉が上下する。
「だから彼は、あんたに話さなかったんだろう」
「けれど」
「必要以上に踏み込まれたくなかったのさ。周囲に危険が及ばないよう」
「そんな。僕たちは」
 それから先は、辛うじて残っていた理性が引き留める。ぐっと息を飲み込み、ルイスは忘れかけていた酒瓶を引き寄せた。
「親友だった。かけがえのない」
「お互い、大切だったんだろう」
 低まった声音にも、男が表情を動かすことはなかった。肉付きのいい薬指にはまった指輪を弄りながら、淡々と言葉を繋ぐ。
「だからこそ巻き込みたくはないと考えるのは、悪いことか?」
「まさか」
 汚れたグラスに酒を注ぎ、ルイスは答えた。
「少し寂しいのは確かだけど」
 果実の芳醇な香りが漂うブランデーは確かに美味いが、このまま家に持ち帰って一人飲むには荷が重すぎる気がした。ちびちびとビールを傾けている男に掲げて見せると、彼は素直に頷き、立ち上がった。
「思うにあんた、友達が多いんだろうな」
 遠慮をしないところが逆に好印象だった。受け取ったボトルの中身を、男は持参したビール瓶へと注ぎ入れる。残っていたビールと等分になるほど流れ込むまで、瓶を水平に戻そうとはしなかった。
「あんたに手を差し伸べてくれる相手がいるって、彼はちゃんと分かってた」
「確かに」
 か細い音を立てて吸い込まれていくアルマニャックを見つめ、ルイスはつめていた息を吐き出した。
「支えてくれる人たちはいる。有り難いことだと分かってるよ。けれど」
 数時間前、テーブル越しに正当かつ真摯な苛立ちを向けていた女性の顔を思い出し、首を振る。せっかく止まりかけていたと思った熱い涙が、またもや眼球の表面に広がった。
「駄目なんだ。彼と比べることはできない」
 お互いの息づかいが分かるほどの距離だ。きっとこの無様な姿は全てお見通しに違いない。事実、後頭部に痛いほどの視線を感じている。意識すればするほど目尻が濡れていくのを、もはやルイスは理性で止めることが出来なくなっていた。聞こえてくるのは自らの荒い吐息と、瓶の中身が攪拌されるちゃぷちゃぷと柔らかい音。あどけなさすら感じる分。惨めさが一層募る。
「気持ちは分かる」
 男の声音は静かなものだったが、このダイナーにある全ての音を凌駕するほどの強さも持ち合わせていた。思わず顔を上げたルイスの目に映った表情も、涙の膜なんかでは到底うやむやにできないほど烈しさが刻み込まれていた。
「けれど生きていかなきゃならない。いや、死ぬわけにはいかない」
 混ぜ合わされた頃合いを見計らって一口、二口。緩やかな下目遣いが、見上げるルイスの眼を捉える。
「どんなに弱い奴でも、死んだ時点で勝ち越しだ。けれど俺は、そんなこと許さない。いつかきっと」
 さぞや乱暴な味がするのだろう。微かに眉を顰め唇を舐める男の表情は、ぞくぞくするほど獰猛で、それなのにこの上ないほど美しかった。
「例え何度繰り返そうとも、最後は」
 ほんの一瞬、深淵から顔を出した陰すら彩りとなるのだ。

 似ている、とルイスは思った。そんなことを考えてしまうなんて、本来ならば軽蔑や失望を覚え、自らを戒めねばならないはずなのに。
 自らのスペースへ戻った男は、すっかり冷えて脂の固まった肉と再び向き合い始めた。先ほどから密やかに感じている、コックの視線など気にならない。早く店を閉めたいと思っている彼には悪いが、ルイスはこの時間をできるだけ引き伸ばしたいと思っていた。目の前の男はあくまで赤の他人だが、少なくともここにいる限り一人ではない。
 飴色の液体が波打つグラスを持ち上げ、ルイスはすっかり血の気の上った目尻に穏やかな笑い皺を刻んだ。
「生者に乾杯」