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Twinkle Tremble Tinseltown 7

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The Lives of the Living



 テーブルへのさばるアルマニャックに関して、コックは一瞥を与えただけで何も言おうとしなかった。日付の変わる寸前、閉店間際のレッドスナッパー・ダイニングには、店名にちなんだ白身魚のフライをつついているルイスの他に男が一人だけ。どちらも無害な客と言えた。例え瓶の中身が3分の2ほどに減っていたとしても、彼のフォークの扱いは正確だし、ほんのりと色づいた顔に埋め込まれたサファイアのような瞳は潤みこそ激しいものの濁りは一切見られない。蛍光灯が低い振動音と共に一瞬だけ明度を増すのをどこか遠くに感じながら、彼は切り分けたメインディッシュを口に押し込んだ。昼に残り物のロールパンを二つ腹に収めた以外、一日何も口にしていない。もちろんアルコールは除くが。


 計画通りに進んでいたならば、数時間前には食事を終えているはずだった。その店ロブスターが美味しいのよ、とモニークは電話口で言っていたし、応対していた時はルイス自身も笑みを浮かべていることができた。だがタクシーの中で気分は下落を開始し、小汚さと伝統が入り交じった店内の装飾を見回した途端不安と粘つきが心の奥底から湧き上がる。そして前菜を頼むときには典型的な鬱症状の完成。気のない相槌に、昔年の友人が苛立ちを募らせていたことすら気づけなかった。
「もう半年よ」
 看護士らしい荒れた手でグラスを引き寄せ、モニークは呻いた。
「あんたがそんなに愛情深いとは思いも寄らなかったわ」
 泡がない分縁の際まで注がれたビターへそろそろと唇をつけたのは最初だけ。後は一気に飲み干してしまう。仕事場から直接やってきた彼女の体からは消毒薬の匂いが、口からは大麦の甘酸っぱい芳香が漂う。ふうっとため息を付いてから、心持ち俯いたままのルイスをその大きな瞳でじっと見据える。
「そりゃ辛いのは分かるけれど」
 分かるわけがない、と即座に返してしまったから、結局繰り広げられる言い争い、心の弱いものから脱落していくサドンデスゲーム。あまりにも度が過ぎている。人目など気にしない性質のルイスですらも反省する程に、ここまでの道のりは無様だった。喚き立てるうちに自分でも頭の整理が付かなくなり、そうなれば後は一人で店を飛び出すしか決着を付ける方法は思いつかない。サラダすら口にせず、チップすら残さず。興奮する頭が弾き出した唯一の解決法に従いタクシーへ乗り込んだ後は、だめ押しのようにヤニ臭い後部座席で啜り泣くことまでした。家へ帰ったら彼女と二人で飲もうと思っていたカステルフォーを抱きしめながら。
 表現方法こそ間違っていたかもしれない。だが彼は、主張自体は頑として撤回する気がなかった。今でこそ女子大生と同棲しているとは言え、モニークはどちらかと言えば異性愛者寄りの性質だ。本当のゲイの気持ちなど分かるはずもない。愛する者の死に対する悲しみをひた隠し、素直に表現できない悲しみなんて。

 4年と少しの同棲期間と半年の単身生活を体感速度で表せば、それは等しく速い。前者は充実で、後者は虚無によって、時計の針はこれまでの35年間のいつよりも速く回り続けた。滲んだ血は特にこの半年間身を苛み、噤んだ唇からボキャブラリーを奪う。ルイスはここのところ、『たった』という言葉をとみに使用している自らに気付いていた。たった4年の幸せな時間ーーしかも最後の数ヶ月は彼の体調が不安定で心休まる時がなかったー−たった半年で癒える訳のない傷、たった一人で耐える悲しみ。
 自己憐憫だとは薄々理解しているが、ルイスは持ち前の厚かましさで事実に対し開き直っていた。そうでもしないと生きていけない。痛痒い感傷に浸っていることで、かろうじて朝起きて会社に行くことができる。
 尤も暗い夜道を歩いて帰宅しても、家の中が闇の延長上であるならば、人生は無価値でしかないのだが。
 

 そっけないほど白いマッシュポテトに味のしないことは口にする前から予測出来た。テーブルに据え付けてある塩に手を伸ばす。湿気ているらしい、こんなにも空気は乾燥しているのに。乱暴に容器を振っても、お愛想程度にぱらぱらと数粒の結晶がこぼれ落ちただけだった。保っていた平静の殻を怒りが撓ませる。
 一度唇を引き結び、顔を上げる。正面の席に腰掛ける、この店における自ら以外の部外者を初めて認識した。高くはないスーツに収めた背中を丸め、Tボーンステーキに取り組んでいる顔はガラス窓の闇と焦げるような音を立てる蛍光灯の影になり、容貌は伺えない。ただ眉間に皺を寄せ、口の中へ突き入れるようにしてフォークを使っている様子からして、この店の料理に満足しているわけではないようだった、ルイスと同じく。
 勝手なシンパシーに、ルイスは腫れた目を細めた。
「塩、貸して貰えます?」
 持ち上げられた青い瞳は否定的な色など一切含んでいないが、それでも突き刺すような強さをはらんでいる。ハンサムな青年だと思った。これで年上ならば、うっかりよろめいてしまいそうな程に。
 男は傍らの塩を掴むと、テーブルの端に置いた。ルイスが近づいてきても反応は返さない。まるでいないのも同然の顔で格闘を続けている。結局固い肉を切り分けるのは諦め、直接フォークを突き刺して皿から持ち上げる。かぶりつく歯は彼の体躯と同じく、いかにも頑丈そうだった。ふっと微笑めば、ようやく目を合わせる気になったらしい。訝しげな表情と向き合っても、ルイスの表情は一層緩まっただけだった。
「すごいウェルダンだね」
「ここの名物だからな」
 ほぼ黒に近い牛肉を示すと、納得したように頷く。
「メニューの中で唯一まともな食い物だ」
「そうかな。魚は食べられるけれど」
 ルイスの皿に視線を走らせ、男は首を振った。
「量が少なすぎる」
「確かにね」
 塩を受け取って席に戻っても、ルイスは口を閉じなかった。相手も積極的ではないが、かといって拒むこともしない。眼を皿に落としたまま、意識はこちらに向けられていると確かに感じた。
「この辺りではこんな小さい魚が当たり前だなんて」
「ロンドンではそんな乱暴なブランデーの飲み方を?」
 肉を噛む合間に、男は返した。塩を振ろうとしていた手を止める。
「ここ数年、気付かれたことないのに」
「ヤンキーは魚をフォークの背中へ乗せて食べたりしないもんだ。あとlittleの発音に気をつけた方がいい」
 思わず押さえた唇に投げかけられる柔らかい苦笑は、子供っぽい彼の顔にはめ込まれると、恐ろしいほどの魅力を発揮する。
「それ以外は特に。綺麗なアメリカ風の英語だ」
 おかしな言い方だが、との前置きに、ルイスは遂に破顔した。
「すごいね、シャーロック・ホームズみたいだ」
 添えられたマッシュポテトを嚥下するまでの間に一瞬躊躇してから、結局男はフォークを床に置いた。側で控えていたバドワイザーを引き寄せる。
「調査員をやってる」
 ホップが渋いのか、眉間に刻み込まれた亀裂が一層深まる。それに全く頓着せず、ルイスは自然な笑顔を引き延ばすことができた。
「本物なんだ。人探しとかやるの?」
「ああ」
 頷き、それから付け足す。
「小説みたいな殺人事件の捜査はやらないが」
「じゃあ身元調査は?」
「やってる」