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Slow Luv Op.3

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 芸術家と呼ばれる人間は一般的に感受性が強く、自分の感情を素直に表現する。それが『空間(建築・彫刻)』となり、『時間(音楽・文学)』となり、『存在(映像・演劇)』となるのだ。感情は時に、本人の意思がコントロールしえないものを生み出すことがあった。それを最良のものとして転化し表現しうることが、芸術家の本領であり、才能の最たるものなのだ――と悦嗣は考えていた。
 今『時間』を創造しているユアン・グリフィスは、その『本領と才能』を遺憾なく発揮している。彼はリハーサルの一件から本番直前まで、かなり感情的だった。悦嗣がまともに相手をしないと見ると、なんだかんだ理由をつけて、ピアノの調律をさせた。傍らにはユアンが立っていた。こめかみには青筋が浮き、三白眼になった青い目が食い入るように悦嗣を見ていた。合間に彼が弾く本番の曲はひどいもので、マネジャーやプロモーターは気が気でない風だった。結局、「間もなく開場するから」と受け付けがあわてて告げに来るまで、悦嗣も英介も、当のユアンもステージ上にいた。
 そんな状態のユアンであったが、いざ本番でピアノに指を落とすと、
「やっぱり、プロはプロってことか」
と、悦嗣に呟かせたのである。
 プログラムは八曲。ノクターンにバラード、マズルカを四曲、スケルツォ、それからポロネーズである。ショパンの繊細な旋律が、端麗な指先から生み出され、存在する全ての耳を釘付けにした。
 完璧なまでのテクニックで、情感たっぷりに聴かせる。特に『英雄ポロネーズ』とアンコールの『革命のエチュード』は、怒りの気持ちがそのままエネルギーになっているかのような激しさで、圧巻だった。
「そうだね。ユアンは感情を無駄にしないタイプだから、エツが言うとおり根っからのソリストだと思う。何でも自分色にしようとするから、さく也は合わないんだ」
 駅弁の最後の一口を頬張って、英介がユアンのピアノの感想を言った。
 二曲目のアンコールが始まる前に、悦嗣と英介はホールを後にした。新幹線の時間もあったが、しつこいユアンにまた捕まるのも面倒だったので。
 新幹線に乗り込むと、二人はすぐに駅弁にぱくついた。昼食を取った後ユアンに関わってから、ろくに飲み食い出来なかったから、かなり空腹だったのだ。
「感情を無駄にしないタイプ、か。なかなか上手いな、エースケ」
 悦嗣は感心しきりに応えた。英介は悦嗣と違って国語の成績が良かった。大学のレポートは遅れたことがなく、立浪教授のそれは模範論文として、学内機関紙に載ったほどだ。
「唯我独尊っぽいけど、さく也は合奏するのが好きなんだよ。音を合わせて調和を楽しむって感じかな。だから面子揃えるの、大変なんだ。技術はそこそこいるし、合わせるのに音の相性も良くないといけないから。途中で弾かなくなることもあるくらいで」
「確かに、あれに合わすのは大変だ」
「でもちゃんと、弾き分けてる。最終的にファースト(第一ヴァイオリン)に合っていくけど、それだって他のパートに相応しい音で引っ張ってくから、違和感がない。ソロはともかくデュオも、ちゃんとピアノのメロディー・パートは尊重して弾くんだ。でもユアンはそうじゃない。自分の気分が盛り上がると、相手なんかそっちのけだ。たとえ伴奏ピアノであっても。ソロ気質がぶつかり合って、調和も何もあったもんじゃない」
 何かを思い出しているような英介の口ぶりだった。さく也とユアンが組んだ演奏会を、聴いたことがあるのだろう。浅いため息がセットについた。
 振り返って自分はどうなんだろう。さく也と組んだのは去年の六月のアンサンブル・コンサート――悦嗣は入院したピアニストの代替だった――と、年末の母校・月島芸大での模範演奏会の二回。前者は記憶がないほど引き摺られ、後者はそうならないように必死だった。余裕なんてまるで無かった。
 そしてあの埠頭で聴いた中原さく也の無伴奏でのヴァイオリンは、悦嗣に力の無さを思い知らせた。無駄にした時間を、くやしいとさえ思わせるほどに。
 相応の技術と感性。中原さく也との共通点が、自分のどこにある?
「自分はどうなのかって、顔だな?」
 途切れた会話を継いだのは、英介だった。
「そりゃ、思うだろ?」
「さく也がエツ以外の伴奏で、弾く気は無いって言ったのに?」
 駅弁の空箱を入っていた袋に突っ込んだ。
「ユアンなんたらを断る口実ってこともある」
 英介は、苦笑った
「最初に合わせた時、さく也は弾くのを止めなかった。あの時のエツは、決してプロ・レベルじゃなかったのに。彼は『恋は盲目』的なところはあるけど、音楽には妥協しないぜ」
と言って、英介は上着のポケットを探り、携帯電話を取り出した。マナー・モードにしているそれは、震えている。悦嗣に断って、彼は足早にデッキへ向かった。
 残された悦嗣は、窓の外に目をやった。明るい車内が映って、外はよく見えない。電話の相手は想像出来る。時間的に見て、何曲かアンコールを終え、控え室に帰って一息ついた頃だろう。マネジャーには演奏会が始まる前に、アンコールの途中で帰ることを伝えておいたが、ユアン本人には言わなかった。
 そんなことを考えながら、窓に映る自分の顔を見るとはなしに見ていると、まぶたが重くなってきた。一日仕事で、思ったよりも疲れているのかもしれない。
「ユアンからだ。黙って帰ったから怒ってる」
 ウトウトしかけた時、戻って来た英介の声に起こされた。指先で目をこすった。
「なんで怒られるんだ、まったく」
 昼間のやりとりを思い出して、悦嗣は顔を曇らす。普通なら気分良く帰途につくはずだった。予定通りに仕事を終えたら、その演奏会を聴き、音に浸りながら家に帰る――いつもなら。
「二十二日のオケ・コンもエツに頼むって。それで今度こそ、まともに一曲弾いてくれってさ」
 しかし今回は、一悶着あったあげく開場ギリギリまで調整させられ、終わってからも電話で追いかけられる。悦嗣に、またピアノを弾いてみせろと言う。
「この状況の元凶はエースケ、おまえなんだぞ。ユアン・グリフィスから謂われのない恨みを買ったのも」
 文句の一つも出ようってものだ。
「違うね、エツが素直じゃないからだろ」
 英介の応えは速攻だった。それに対する悦嗣の反応も速かった。
「どういう意味だ?」
 辛らつな物言いが返る。
「言った通りの意味さ。自分の指に逆らってばかりいたから、こうなったんだ」
 口元に笑みはなかった。
「エツはいつだって、音楽もピアノも捨てなかった。会社を辞めて調律師になったのが、いい証拠だ。ローズ・テールでのバイトだって、そうだ。違うか?」
 悦嗣は目を見開く。
「アンサンブルの件だって、その気が全くないなら蹴ってもよかった。常識で考えたら、俺の頼みは理不尽もいいとこで、動かない指なら受けられない話だった」
「だから、それは」
 英介は悦嗣に口を挟ませない。
「ちゃんと指は覚えてた。弾きたがってた。だから話を受けたんだ」
 じっと英介の目が、見つめている。
「断れなかったんだ。エースケ、おまえが持って来た話だからだ。おまえが一緒に弾きたいって、言ったからだ。おまえの頼みじゃなきゃ、誰が聞くか」
 話の途切れたのを見逃さず、反論する。
作品名:Slow Luv Op.3 作家名:紙森けい