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Slow Luv Op.3

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 リハーサル終了後、悦嗣達はステージに呼ばれた。仏頂面のユアン・グリフィスが、ピアノの前に座っていた。悦嗣に気づくと立ち上がり、ピアノの前を空けた。無言で座ることを促している。
 悦嗣はため息をついた。
「俺がここで弾く理由はなんだよ?」
 英介が悦嗣の言葉を伝えると、
「僕が聴きたいからだ」
とユアンが一歩踏み出し、悦嗣の前に立った。
 自重しているのか、先ほどのようにすぐには噛み付いてこない。ただ、悦嗣をまっすぐ見据える青い目と、引き結んで紅くなり時折り震える唇は、感情を隠さなかった。
「サクヤがどうしても僕の申し出を受けてくれない。最初は感性が合わないからと言われた。その次はオケに専念したいから、ソロもデュオもする気はないって。最近の理由は、エツシ・カノウだ。彼以外の伴奏で弾く気はないと言った」
 白磁の眉間に、縦線が入る。
「ここ一年、オフ・シーズンには日本に行ってばかりで、やっと捕まえたと思ったら、答えはいつも『No』だ。聴いたことのないピアノと比べられる気持ちがわかるか? どうして聴かずにいられる!? 僕のどこが君に劣っているんだ!?」
 どんどん語調が強まり、声も大きくなり始める。頬も紅潮するに至って、マネジャーがいつでも抑えにかかる態勢をとった。通訳のためのタイム・ラグが、今のところ歯止めと言ったところだった。
 どうして自分の周りには、レベルの違うものを比較しようとする輩が多いのか――悦嗣は英介を見やる。その意味を知ってか知らずか、彼は笑んだ目を返した。目は「弾いてやったらどうだ」と言っている。
「やれやれ」
 悦嗣はピアノの前に座った。
「劣ってるわけないだろ。プロとアマチュアじゃ土俵が違うし。俺の本職は知っての通り調律師なんだから」
 イスの高さを調節し、スケールを弾いてみる。ユアン・グリフィスのメニューに合わせているので、鍵盤の重さは一般向きではない。このテンションでは、細かい音符やアルペジオを多用した曲を、イメージ通りに弾けるとは思えなかった。
 指が鍵盤を叩いた。調律後の試し弾きや指慣らしで弾く中から、和音が中心のエチュードを選んだ。卒業以来、暗譜で曲を弾いたことがなく、レパートリーは少ない。程度で言えば中級と言ったところ。技術も解釈も可もなく不可もない。
 ユアンが期待したものとは開きがあったらしく、弾き終わるや否や、高音域の鍵盤に指を叩きつけた。甲高い不協和音がホールに響く。
「馬鹿にしてるのか!?」
「だから言ってるっつーに。 プロじゃないんだから、スラスラ暗譜で弾ける曲なんてあるもんか」
 悦嗣が立ち上がる。すぐ目の前に首まで赤くしたユアンが、自分を見下ろすように立っていた。十数センチ上にその目がある。言葉を出すための短いブレスが鳴ったが、悦嗣の方が早かった。
「それに感性に優劣つけることは出来ないぜ」
 見下ろすことはあってもその逆に慣れていない悦嗣は、右手の甲で軽く彼を払い距離を取った。
「さっきリハを聴かせてもらったけど、デュオや伴奏には向いてないと思うぞ」
 ピアノに掌形がついていることに気づき、悦嗣は商売道具の入ったバックの中から布を取り出して、その部分を拭いた。
「自己主張が激しすぎる。きっと曲が進むにつれて自分の音楽を優先する…っつうか、出てくるんだ、抑えても。そういったピアノだ」
 揺るぎない自信――ユアン・グリフィスのピアノは、そんな音から成り立っている。挫折を知らない、知る必要のなかった才能が、服を着て演奏している…という印象だった。
「あいつもそう言ったところがある。オケやアンサンブルの時はそれなりの弾き方をするけど、ソロやデュオじゃ容赦がないからな、似たタイプとは演りにくいんだろーよ」
 中原さく也の『容赦のない』音が、悦嗣の耳に蘇る。
 最後に聴いたのは去年の年末の、月島芸大での模範演奏…と、野外で悦嗣の為に演奏された『シャコンヌ』だった。すごく懐かしい気分がする。ぴくりと指が反応した。
「そんなことはない! サクヤほど息の合うヴァイオリニストは、今までいなかった」
 ユアンが反論する。彼は一度、さく也と組んだことがあるとかで、その時、どれほど息が合っていたか、気分良く演奏出来たかを、悦嗣にたたみかけた。言い終えるまで口を挟む余地を与えないところなど、妹の夏希を思い出させる。彼女のマシンガン・トークは愛嬌たっぷりだが、ユアンのそれは相手を疲れさせる。
 こういうことは慣れているし、英介が必要なことを簡潔に訳してくれるから、悦嗣は雑音だと思って大人しく聞いていたのだが、
「…って、言ってるけど?」
英介の方はさすがにうんざりした表情だ。
「思い込みの激しい奴だな。中原が自分と同じに思ってるって、どうして言えるんだ」
 道具が入ったカバンを、肩に掛け直した。
「一度きりで二度目がないのは、よっぽど合わなかったってことだ。感性が合わないって最初にはっきり言われてるんだから、俺に責任転嫁するなってんだ。行くぞ、エースケ。これ以上話してると、説教くさくなっちまう」
 英介が訳し終わるのを待たずに、悦嗣はステージから飛び降りた。訳された内容に一瞬怯んだユアンは、あわてて背中に向かって声を飛ばす。
 それを遮るように、悦嗣は振り返らずに手を振った。

作品名:Slow Luv Op.3 作家名:紙森けい