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有刺鉄線

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vol.7 嘔吐


真夜中に藤崎は自宅マンションに帰って来た。面倒な仕事が多い一日だった。疲れていた。
部屋に明かりがついているのに気づき、急いで鍵を開けた。

「圭佑か?」
彼が来ることなどありはしないのに、なぜかその名前がついて出た。胸騒ぎがした。
急いで靴を脱いで上がる。
居間の黒い光沢のある革張りのソファに圭佑が横になっているのが見えた。テーブルにはキッチンボードに置いていたウィスキーが半分ほどもなくなっている。
まったく。会う度に馬鹿なことをする奴だ。
舌打ちしようとする間もなく、当の圭佑がううん、という不機嫌な声を出して身体を起こした。
「あ・・・藤崎さん・・・」眉間にしわを寄せて焦点の合わない目で藤崎を見る。
「なにやってんだ。こんなに飲んで・・・」
「う・・げ。気持ち悪い・・・」
そう言うと立ちあがってよろよろとトイレへ向かった。ドアを開けるや嘔吐しようとする様子が聞こえてくる。
藤崎は急いで圭佑の後を追った。
圭佑は便器に顔を突っ込むかのような姿勢でまだ嗚咽を繰り返している。が、上手く吐けずに苦しんでいるのだ。
「大丈夫か?」
はあはあと息をする背中をさすってやる。
藤崎は彼の口に指を入れて嘔吐を誘った。
藤崎の指が刺激になり圭佑は体を痙攣させながら嘔吐した。
白い便器の中に圭佑の吐瀉物が刺激臭を放つ。
藤崎はその臭いにさえも感じている自分に気づく。
苦痛で圭佑の顔は真っ青になり涙と鼻水と涎が溢れて落ちる。
若々しい筋肉質の身体が今は力を失い藤崎に倒れかかってくる。
「ごめん・・・なさい・・・」
「いつも謝ってばかりいるな」藤崎はできるだけ怒りを表そうと努めた。そうしなければ自分が何をしでかすか、判らなかった。
「汚いの、見せちゃって・・・。ごめ・・」
「そんなのはいいが、いい加減馬鹿なことをするのは止めろ」
圭佑はうん、と頷いて見せた。藤崎が差し出した絞ったタオルで顔を拭き元いたソファへ転がった。
「まったく」藤崎は手早くトイレの汚れを拭き取ると、手を洗い、圭佑のためにポカリスエットを注いでやった。「一体俺は何の為に家に帰ってきてるんだ。おまえのゲロの世話をする為じゃないぞ」
圭佑はおとなしくポカリを口にした。少し落ち着いたようだ。
それを見た藤崎は安堵のため息をついて自分のためにビールを開けた。煙草に火を点け、暫く自分自身を落ち着かせた。
「どうしたんだ?なにかあったのか?」
圭佑は「別に」と言葉を投げ出す。
「別になにもないなら、おまえの年で酒なんか飲むな。急性アルコール中毒で死んでしまう場合もあるんだ。いきなりボトル半分も飲む奴があるか」
「いつ死んだっていいよ」そう言って圭佑は啜り上げた。
藤崎は一瞬答えに詰まった。「・・・死ぬのは勝手だが、俺の家を死に場所に選ぶなよ」
圭佑は顔を上げてちょっと笑う。「そうだった。なんか、ここって俺、落ち着くから飲み過ぎたんだよ。ごめん」
その笑顔を見て藤崎は安心する。「家で何か、あったのか。それとも先輩にふられたか」
「その両方。家では親父とお袋が大喧嘩。両方浮気して財産がどうの慰謝料がどうのって。先輩は彼女ができてもう前みたいに一緒にいられなくなったんだ」圭佑は声をあげて笑い出す。「当たり前だよね。今までいなかったのがおかしかったんだよ。あんなにさ。かっこよくて優しいんだから」
大げさに笑う圭佑を見て藤崎は煙草の煙を吐き出し、ビールを飲み干した。
「そうか。おまえも辛いな・・・」
「辛くないよ。俺も作るよ、ガールフレンドくらい」
「へえ。やれるのか?」
「ふん。知らないだろ。俺、童貞じゃねえんだから」
「そうか。お見それしたね」
「そうだよ。やってやるよ。学校で一番可愛い女の子とね」

笑顔の圭佑の目からは止めどなく涙が溢れ落ちた。


作品名:有刺鉄線 作家名:がお