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中川 京人
中川 京人
novelistID. 32501
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ももも太郎異聞 2012

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 かつて広域樵組合連合会青年部の幹部としてまずまず羽振りのよかったペールは、たびたび悪友連中と繰り出した色里で遊ぶうち、ひとりの戯れ女を見初めてしまった。千種ジュスカメールと名乗るエキゾチックな風貌のテクニシャンだった。十八という妙齢に加えて、熟達者ばりの床上手に、同い年の紅顔の青年守山ジュスカペールの下半身は、文字通りお性根を抜かれてしまい、腎虚の態で家にたどり着いたのちも、三日に空けずメール、メールとやかましい。仕事が手につかないどころか、樵のくせに最後まで切り倒さずに中途半端で放り投げてどこかへ行ってしまうものだから、この男の担当した斜面では、ビーバーの試食跡みたいな吉野杉の赤身があちこちでへらへらと口を開けている。やむなく同業者がフォローしようにも、いつ倒れてもおかしくない大木がうようよする山では、危なくておいそれとは入れない。再三の注意にも一向に耳を貸そうとしないうえは、同業組合からの除籍通知と入会権剥奪決議は時間の問題だった。
 挙句には実家から勘当されるも、どうせおれは次男じゃからとどこ吹く風の体たらく、てて親の帳簿からちょろまかして溜め込んだ相当の金子を懐手に握り締め、無職勘当これ幸いとばかりに悪所に通い詰めること連日連夜に及んだ。これが若気の至りのひとことで済まされようか。良かれと思って言い募る眷属知音をもことごとく退け、無為徒食の日々に耽ったのである。
 さては音に聞く連理の契りかくの如しと、人の嗤うのも意に介さず、日を追うごとにジュスカメールへの思慕万々まことに断ちがたく、幾度も店側と交渉した末に、ついに彼はメールを請け出すことに成功したのである。
 ──あほくさ。何が成功か。大失敗じゃ。
 集積所に向かって歩きながら、ペールはまた唾を吐いた。過去を思い出しているうちにむかむかしてきたのだ。何をそんなに怒ることがあるのか。この男はあかん。この期に及んで、自らの難儀は、この性悪女を娶ったせいだと決めつけているのである。
 よく考えてみろというのだ。
 メールが性悪女だという事実は、いちどたりともなかったのだ。小金持ちの次男坊が遊女である自分に惚れていると知れば、誰でも小さな夢はもつものだ。決して懐の金を狙っているのではなく、人間ペールに引かれていったのだというメールの言葉もあながち嘘とは言い切れまい。ペールはその言葉を信じた。己を高く評価する女の言葉に酔ったのだ。先ほどのとろい会話も、意味はなくても、お互いの信頼を交わすことはできる。それはそれでよかったのだ。
 だがその先を、この自己中老人に喋らせておくと、ろくなことにならないので、事実に忠実に客観的に筆を進めるとしようものなら、早い話が、悪いのは、まぎれもなくこの爺さんなのである、終わり。としたいところだがもうひとこと。
 無職が勘当がどうのと言っているのではもちろんない。そんな境遇は世の中にいくらでも転がっているし、希望を胸に裸一貫から財を成すものもある。大事なのは、心だ。やる気だ。どれほど自己啓発書を読み込もうが、どれほど八卦見の言葉にうなずこうが、暗闇に火を灯し続けられるのは、自分自身の心に他ならない。自己肯定。彼はすぐにその欠缺を口にするが、いやらしい自己肯定の意識は保持し続けているのである。彼の不満の本質は、世間や妻から受ける評価が極めて低いとの認識なのであり、それとて彼の心内での思い過ごしかもしれないのだ。そもそも自分ひとりで解決できる問題であるうえに、世間と妻をちゃんぽんにするのもどうかしてるし。
 柴狩り業、大いに結構。この先、付加価値でいくらでも商品性を高めることができる優良職種ではないか。何もくさることはない。いまではむしろ樵の存続の方が危うい。年金保険料未納だって、その分を自分に投資したんだと思えばよろしい。受給権者が満額を受け取る姿をみて妬むなど愚の骨頂である。
 新婚時代のメールは初々しかった。彼女の前職は、彼女の体を蝕みはしたが、心は清らかなままだった。少なくとも、二十歳のペールはそう感じていた。だが、年齢が倍になってもじつにメールの心は安定していたのである。二十年の歳月で変わってしまったのは、同い年であるペール自身だったのだ。
 結婚と同時に失業したのだから、貯金を食いつぶす前に、さっさと正業に就けばいいものを、ちんけなプライドが許さないのか、単なる鈍らなのか、御託を並べるだけでなかなか腰を上げようとしない。ことさらにわが身の不運をあげつらい、死ぬだの消えたいだの、子どもじみた言辞で妻を苦しめた。己を不幸だと本気で思っているのか。子ができないのがそんなにあかんか。おれは組織には馴染まないたら、権力の歯車にはならんたら提灯たら、まさに笑止千万、それならば柴狩りを真面目に続ければそれでいいではないか、と他人は密かに笑うのだが当然何を言うわけでもない。
 もちろん、ペールにも自身の心内のことであるから相当のことはわかっていた。たまには己のぶよぶよの心に針治療を試みようともしていた。前向きに生きようとした。だが、心の調子が悪いのは体の老化のせいなのかもしれないと、相変わらず外部に原因を求める癖は抜けなかった。そうして、妻のわずかな物言いや当てこすりをことさら大仰に受け取って騒ぎ立て、あるいは打ち沈んだふりをするのだった。
 妻メールに対する邪な怒りがあっても、長続きがしない。燃料が足りなくなる。むろん、自分で捏ち上げた怒りだからである。きっかけはあっても燃やす実体がない。行き着く先は、わが身の一部を燻らせて生ずる自己嫌悪に尽きた。きたない灰である。だが灰は燃料と違い、燃えず消えずに残るため、なおさら始末が悪い。量によっては災いになり得る。
 集積所の門扉は、突き当たりのT字路を左にとり、橋を渡って二町ほどの所にある三昧のとなりにある。ジュスカペール老人は、そこに向かってとぼとぼと歩いた。左足でとぼ。右足でとぼ。どんぶりの件を思い出していた。笹島の息子の大柄な体が頭のどこかに浮かんだ。おれも年を取った。きょうの仕事。どんぶりの回収とゴミ出しの後始末──柴狩り請負の新規開拓は年に数回しかしなかった。
 営業はとくにいやではなかった。組合の幹部時代には人付き合いもそれなりにこなしたし、営業と聞いて一様に尻込みする同僚を小馬鹿にしてもきた。だが所詮は他人事だったのである。遊びだったのである。営業しか生計の道が残されていないと自覚する事態とは程遠かったのだ。
 さらにその本質を探れば些細なことで、きっかけは八年ほど前の樵組合のOB会に遡る。その席で、徳利の糸底をさすりながら、今どうしているのかとしきりに聞いてくる男がいた。いくつか言葉を交わすうちに、男の態度に変化が現れた。当初のやや卑屈な態度から、見下すような仕草へと、見事なグラデーションを見せたのである。
 ──ああ、柴狩りの営業ね。営業なんだな。ほぉう。
作品名:ももも太郎異聞 2012 作家名:中川 京人