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恋せよ乙女 赤き唇 あせぬ間に

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『恋せよ乙女 赤き唇 あせぬ間に』
 
IT企業に勤めるナミエは『命短し 恋せよ乙女 赤き唇 あせぬ間に』というフレーズが好きである。大学生の頃、西洋史を専攻し、特にイタリアのルネッサンス時代に深く興味を持ち、『ゴンドラの唄』という歌を知ったのだが、その中にある『命短し 恋せよ乙女 赤き唇 あせぬ間に』というのが気に入ったのである。ルネッサンス期のメディチ家の当主ロレンツォが謝肉祭のときに書いた詩がヒントとなったといわれている。ルネッサンス期の女性たちの命は花のように短かった。華やぐ時は一夜の夢のように過ぎた。その一瞬を逃さず恋せよというのである。ロマンチストのナミエにふさわしいフレーズといえよう。恋する乙女に憧れていたナミエはもう二十九になる。もう少しで三十だ。乙女というには、少し勇気がいる年齢だ。
 
ナミエはどこか異国風の顔立ちをしていて妙に色っぽい。それでいて、清楚で知的な雰囲気もある。面長の顔、太めの眉、大きな美しい瞳、鼻は高く、口はやや小さい。髪を後ろに束ね、背はすらりと伸びている。胸は小振りで、足が長い。 確実に美人の部類に入るのだが、恋がなかなか実らない。なぜなら彼女自身が恋に近づこうとしないからである。恋に憧れながら、 恋することに恐れている。それは自由奔放に生きた母親を反面教師にしすぎているせいかもしれない。ナミエが十歳のときに、母親は父と彼女を捨て別の男のところに走った。以来、母親を軽蔑し憎み、安易に心のおもむくままに生きるような真似はしないと心に誓ったのである。だが、それでいて、どこか甘酸っぱい恋に憧れていた。何度か恋愛劇はあった。が、恋の炎が燃え上がろうとすると、結果的に彼女自身がその炎を消してしまった。付き合った一人がこう言った。
「君は隙がない。ある意味で面白くない」
 また別の男は「君はいつも鎧をつけてかまえている。女らしさがない」と捨てゼリフを吐いた。

 恋が破れるごとに、ナミエは仕事に熱中する。その度に彼女の評価は高まる。今年の春、入社して七年目、プロジェクトのチーフになった。 女性がチーフになるのは異例のことだった。 しかし、男には嬉しいはずのことが、ナミエはあまり嬉しくなかった。というのも、所詮、仕事は仕事でしかない。周りの女たちは冷やかに見ている。恋をしないで仕事に熱中するつまらぬ女だと陰口をたたく。

 ナミエはよく夢を見る。 プロジェクトチーフに任命された夜も、ナミエは夢を見た。どこか懐かしくて、心地よい風景だ。 近くに水辺がある。その周りには、桜の古木が見事な花を咲かせている。涙の出るような美しい。風もないのに、花びらが舞い散る。少女は一枚、 二枚、 三枚と数える。しばらくすると、少女は水の中を覗きこんだ。不思議そうに水の中の世界を見ている。そして、どこからか遠く呼ぶ声がする。ナミエははっと気づいて目覚めた。汗びっしょりだった。気持ち悪かったのでベッドから出て、パジャマも下着も脱いで 体を拭いた。ふと、 その手を止めた。夢の少女は自分だということに気づいたのだ。
 鏡を見ると、自分の裸体が映っている。乳房が少し垂れ下がっている。見ているうちに惨めな思いになった。恋が実らないうちに多くの時間が通り過ぎた。しぼんだ乳房だけが残った。何だか滑稽のような気がする。 笑いたかったのに涙がぽろぽろこぼれてきた。
「元気を出そう、ナミエ」と鏡の中の自分に呟いた。
 寒さを感じたので、あわてて箪笥から下着とパジャマを取り出して着た。すぐにベッドに入った。数週間前のカズコと飲んだ時の会話を思い出した。カズコは大学時代の友人で、一年に一回は必ず新しい恋人を見つける恋多き女である。まさに恋せよ乙女である。バイタリティが溢れていて、学生時代から羨ましいと思っていた。その時の会話はこんな感じだった。――
「春になれば、花が咲く。また、新しい恋を見つけようと」カズコはグラスを傾けながら呟くと、「いいわね。カズコは?」とナミエがうらやましそうにいった。
「何が?」
「だって、いつ見ても生き生きしているもの」
「いつも、恋をしているからよ。女にとって男は生きる力なの。ナミエは恋をしないの? 恋をしない女は老けるだけよ。ナミエも恋をしないさいよ」
「カズコみたいに男を見つけられないわよ」
「あら、失礼ね。私だって簡単に見つけられるわけじゃないのよ。でも、男の方から声をかけてくれるけどね。ナミエだって、男に声をかけられたことはあるでしょ?」
「あるけど……」
「ナミエは私よりずっと美人なのに掴まえられない。ナミエの悪いところはかまえてしまうことね。永遠の処女ですなんて具合に。まさか、ナミエは処女じゃないでしょ?」
「からかわないでよ」
「でも、ナミエ、 怒らないでよ。ナミエはいつもかまえすぎよ。どんないい男でもあきれてしまうわよ。少しリラックスしなさいよ。男を静かに迎えるような雰囲気を持たないと、どんな男だって近寄らないわよ。男は舟、女は港……。優しく微笑んで、そしてときに“好き”と呟いてみなさい。そうすれば、どんな男だって、イチコロよ。ゴキブリホイホイみないものよ」とカズコは大きな口を開けて笑った。
「だめよ、私はそんなふうになれないわよ」
 そう、ナミエはいつだって素直になれなかった。どこかで、もう一人の自分がいて、自分を見ている。 その目を恐れていた。幼き頃、母を冷たくみていた、あの目だ。
「そうね、 ナミエには無理ね、 いつも……」と口ごもった。
「いつも? はっきり言ってよ」
「 恐い」
「え? 何が?」
「ナミエの目、 怒っている」
「ごめんないさい」とナミエはぎこちない笑みを浮かべた。
「でも知りたいの。教えて。この頃、 自分が分からなくなってしまったの、 だから知りたいの。自分がどんな人間なのか。他人にはどんなふうに見ているのか」
「言いづらいけど、 ……いつもクールでお高くとまっている」――
思い出したら、涙が流れてきた。

翌日の昼休みのことである。
中村太一がニューヨークから帰ってきたという噂を聞いていたが、その太一から「久し振りに一緒に飯でも食わないか。話があるんだ」という思いがけない電話が入った。
ニューヨーク行く前は、ずっと席を並べていた。特に新人の頃は、よく一緒に食事したり飲みにいったりしていた。いつの頃からか、彼は気づいていなかったが、恋心に似た憧れを抱くようになった。彼はクールな顔立ちをしていて、それにシャープな頭脳を持っている。当然、女子社員には人気が高い。
ナミエは思わず「うん、いいよ」と答えると、嬉しくて涙がこぼれそうになった。
「それじゃ、一週間後、品川のAホテルのロビーで」
電話はすぐに切れた。

会社を終え、帰宅した。
入浴した後、下着を探していたら、久しく目にしなかった下着を見つけた。 ずっと前に店員に半ば強引に勧められて買ったものだ。
「下着ひとつで女は変わるもの。変わった自分をみてみたいとは思わない? 」