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現代異聞・第終夜『行っちゃ駄目』

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 鍵子だ。
 こんなふうに楽しそうに──寂しそうに笑う女が、他にいるわけはない。
「ねえ……紘一郎さん。今ならまだ、取り返しがつくんですよ──」
 ──不幸なままで終われるんです。
「私と一緒にいると、もっと酷い目に遭います。稲毛洋子と一緒にいるっていうことは、そういうことなんです。紘一郎さんは私のことを優しいとか、そういうふうに褒めてくれることがありますけど……そんなこと、ないんです。私は優しくなんかないですよ──優しかったら、交際を申し込んできた男の人達全員、お付き合いはできませんって言ってたはずです」
 ──でも、寂しかったんです──それだけなんですよ。
「紘一郎さんはもう十分知ってるでしょう? 私と一緒にいると、こんなことがずっと続くんです。私はなるべく一人でいるようにしてますけど……でもね、時々凄く寂しくて、寂しいのを慰めて欲しいって、思ったりもするんです。それだけなんです──私はその程度の女なんですよ。優しくもないし、清らかでもないし──いい人なんかじゃあ絶対にない、そういう女なんです。だから余計に──紘一郎さんが一緒にいてくれて嬉しいし、申し訳ないんです」
 ──嬉しくて、嬉しいのが申し訳ないんです。
 窓の外で鍵子が言葉を連ねる。後ろの三人が耳を貸すな、あいつは化け物に違いないと叫んでいる声が聞こえたが、俺はもうそれらの声を聞き取る努力を完全に放棄していた。化け物だろうと何だろうと、鍵子は俺の恋人なのだ。恋人の言葉に耳を傾けなかったら、一体誰の言うことを聞いたらいいと言うのだろう?
「不思議でした。紘一郎さんはとても酷い目に遭って、親しい人達を亡くして、私が色んな人を不幸にしていかなければ一日だって生きていけないような女だって知ってるのに……他の誰より、お母さんよりお父さんより知ってるはずなのに、ずっと側にいてくれるんですから。ええ、本当に……この人は実は物凄い馬鹿なんじゃないか、何もわかってないんじゃないかって思うぐらい、紘一郎さんは私と普通に接してくれてましたから。本当に、涙が出るぐらいに嬉しかったんです。大好きです──大好きでした、紘一郎さん。だから、今こそはっきり言わなきゃいけないんです」
 ──私と、
 ──私と一緒に来てくれますか。
「行くな、紘一郎、こいつはもう死んでるんだ──行っちゃ駄目だぞ、お前も一緒に死んじまうぞ……」
「行っちゃ駄目だよ紘ちゃん。行くなら私達が一緒に行ってあげるから。明日になれば、一緒に行ってあげるから……今はまだ駄目だよ、こいつについて行っちゃ駄目だよ」
「紘一郎君──行っちゃ駄目だよ。行っちゃ駄目。行っちゃ駄目──」
 ──行っちゃ駄目。
 ──行っちゃ駄目。
 ──行っちゃ駄目。
 ──行っちゃ駄目。
 ──行っちゃ──駄目ェ──。
 俺は──悲鳴を上げた。
 把手を探り当てると錠を跳ね上げ、鍵を開ける。
 まるで骨がないかのように絡みつき、縋りついてくる六本の腕を振り払う。
 硝子戸に手をかけ、
 鍵子の声にだけ意識を集中して、
「私は嘘つきで、弱虫で、嫉妬深くて、皮肉っぽくて、素直じゃありません。何か取り柄があるわけでもないし、実家がお金持ちってわけでもありません──顔もびっくりするぐらい綺麗って程ではないし、頭が良いわけでもありません。優しくもないんですよ、紘一郎さん。私は寂しがり屋だから、一緒にいたらいけないのに、一緒にいて欲しいって……我が儘に、思ってしまっただけなんです。それだけです──私は、稲毛洋子は、それだけの人間です。私は──」
 ──紘一郎さんのことが大好きなだけの、
 ──ただの、どこにでもいるような女です──。
「それでも構わないって言ってくれるなら──」
 ──優しくなくても構わない、
 ──不幸になっても構わない、
 ──それでも好きでいてくれるなら──、
「紘一郎さん──そう言ってくれるのなら、私、本当に申し訳ないって思いますけど──それでも、ねえ、紘一郎さん……私は、とても幸せです。不幸ばかり起きる私にとって、たった一つ幸せなことがあるとしたら──紘一郎さん、それがあなたなんです」
 ──あなたといることが幸せで、
 ──あなたが恋人でいてくれることが幸せで、
 ──あなたを想い続けることが幸せなんです。
「だから……一緒に、不幸になってもいいって言ってくれるのなら──紘一郎さん、全部、見に行きましょう──私と一緒に行きましょう。

 ──その人達と一緒に死んだりしないで、

 ──私と一緒に生きてください」

 涙混じりの声を聞きながら、
 俺は自分でも意味のわからないことを叫びながら硝子戸をこじ開けて、
 墨で塗り潰したような闇夜りの中に佇む洋子の細い体を抱き寄せた。

「洋子──お前と一緒に、行くよ。不幸になってもいいから、だから──お前がいてくれるだけで幸せなんだから──」

 鍵子が──洋子が、薄く微笑みながらも頷いて、
 そして──

 ──俺の意識は、唐突に断絶した。