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瑠璃の海、琥珀の空。

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 カイムと私は、イルミネーションに燦めく並木通りをゆっくり歩いた。細く頼りなげで、どこか装飾的でもある木々の枝にLEDの蒼白い光が巻き付いて、明度の高い光を放っている。
 それとは対照的に柔らかく、暖かみのあるオレンジ色の光が足元でゆらゆら揺らめいていた。今夜はイヴだということで、特別にキャンドルが灯されているらしかった。キャンドルアートの光に瞳を輝かせながら歩く人々に混じって、私たちもオレンジ色の光の海に溺れた。
 とろんと燃えている琥珀色の光にうっとりしながら、何度もカイムの横顔を盗み見た。彫りの深い顔は、火に照らされるとより陰影が濃くなって、古代の彫刻のように触れがたいものに思える。
 ちらちらと彼の顔ばかり見ていると、何度か目が合い、カイムは笑って私の鼻先を、彼のものとは比べものにならないくらい小さな私の鼻を、くいっと摘んだ。小さな子どもや愛玩動物にするみたいに。
 それでも私は嬉しくって、喉の奥で笑った。彼の触れた、鼻の先から幸せが溢れ出すのが分かる。カイムが触れた場所は、それが何処であっても、たちまちに幸せの熱を孕んで、じんわり広がっていってしまうのだ。
 一緒に居るとあたたかいのは、たぶんそのせい。
 しばらく行くと、大きなツリーのある、駅前の広場に出た。時計台があって、その下で何人もの人たちが誰かを待っている。きょろきょろ辺りを見回す人、携帯の画面を一心不乱に見つめる人、待ち人が来て笑顔で手を振る人。ツリーの前で写メを撮っている人や、小さな子どもを連れた若い父親と母親。もちろん仕事帰りの人だって居て、黒っぽい人影が慌ただしく過ぎ去ってゆく。
 ツリーの前でプレゼント交換をしているカップルもいて、私は彼らの幸福な様子を目を細めて眺めた。羨ましい。私はカイムからプレゼントを貰ったことがなければ、あげたこともない。何か形の残る贈り物をしてしまえば、思い出がいつまでも目に見えるかたち、手に触れるかたちを持って存在し続けてしまう。それはきっとつらいことだ。いつか思い出になってしまうのなら。
 私は今のこの関係が永遠には続かないことを知っているし、カイムにも永遠に続けるつもりがないのだ。だから、お互いに、残るものは贈らない。
 ツリーには何やら短冊のような紙切れ(ハート型だったり星型だったり)がたくさん括り付けられていて、それで奇妙に愉快な風体になっていた。近付いて見てみると、紙にはサンタさんへのお願い事が書いてあって、まさしく七夕の短冊かといった様子だった。違いと言えば季節が真逆であることと、願いを吊す木がなよなよした笹ではなく重量感のあるもみの木であるということ。カイムはそれを見て笑って「日本人は何でも一緒くたにしてしまうんだね」と興味深げにそれを見つめた。
 人のお願い事を覗き見するだなんて、悪趣味だと思いながらも、ついつい読み入ってしまう。来年も健康でいられますように、志望校に合格できますように、あの人と両想いになれますように、ずっと一緒に居られますように――。顔も名前も知らない人の書き残したものをこうして垣間見るというのは不思議だ。会ったこともない人の人生が、私のものと一瞬間だけ重なる。交わって、すぐに過ぎ去ってゆく。
「ねえ、カイムもこれに何か書くとしたら、何をお願いする?」
「マリナが幸せになれますように、かな。僕はいつだって、マリナの幸せを願っているんだよ」
「……嘘ばっかり」私は、声が震えてしまわないように、細心の注意を払った。
「本当さ。僕は君に嘘を言ったりしない。本当だよ」
 カイムは私の両頬を、彼のその大きな両手で包んで言った。そうされると、頬がどんどん林檎になってゆくのが分かる。熟れて腐り落ちてしまうのではないかとさえ思えた。ほっぺが落ちてしまいそうになるほど、カイムの触れ方は甘い。
「じゃあ、私のお願いも聞いてくれる?」
「いいよ。マリナはサンタ・クロースに何をお願いするのかな?」
 言葉を出そうとして開いた唇が震えた。今私が言おうとしていることは、絶対に言ってはいけないことだ。私は多くを望んではいけない、ましてや永遠など求めてはいけない立場なのだ。それを言ってしまえば今の、均衡の保たれた状態もきっと崩壊してしまう。でも。
「ずっと一緒に居られますようにってお願いするわ。貴方とずっと一緒に居たいって。いつでもそう思っているの。祈っているの」
 案の定、カイムはとても傷付いたような、悲しそうな顔をした。それも、自分自身がつらくて堪らないといった類の悲しい顔ではなく、相手を憐れんでいるときのそれだ。カイムは優しすぎる。優しさというのはときに、分かり易い残酷さよりも深く人を傷付けるというのは、私はカイムと出逢って初めて知ったことのひとつだった。
「マリナ、それが君の望みなのなら、僕は君のサンタ・クロースにはなれない」
 清々しい悲しみが私の胸を襲った。
「貴方は正直者ね」
「だって僕は」カイムは寂しげに笑って言った。「僕は君に嘘は言えないよ」
 そのとき、時計台から時を知らせる音楽が流れ出た。時刻は七時ちょうど。流れてくる透明な電子音は、アメイジング・グレイスだった。聞こえるはずのない桃子の歌声までもが、この耳には届いた。