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充溢 第一部 第二十一話

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第21話・4/5


 ネリッサは蒼白で、まるでフランチェスカの顔色を見るようだった。 
 話では、鏃には神経毒が塗られていたようだ。
 処置が早く、毒が大きく作用する事はないと言う。鎮痛剤と解毒剤を処方したため、ネリッサは深い眠りに入っていた。

 戸口に人影が現れた。マクシミリアンだ。
 誰かが知らせたのだろう。状況を説明すると、男は静かに腰掛けに向かった。
 二人向き直すや否や、男は口を開く。
「こんな時に不躾ですが……
 この世界の事、どうお考えですか?」
 まるで公然と聞きにくい質問かのように、探るように質問してくる。
 こう言うのを不躾と言うのだろうか? 適切ではないけれど、上手く表現する言葉が見つからない。
 答えられないのも頭の悪いような気がしたので、適当に答えてみることにした。
「どうって? あるものはあるし、見えるとしか。
 満足か不満かと言われれば、不満ですけど――人間がそうである事を、私自身がどうしようもないですからね」
 マクシミリアンは穏やかな顔をしている。
「ある理想の状態があると分かっていてもでしょうか?」
 低い声で聞いてくる。横でネリッサが寝ているからだろう。
 ある状態が理想的だと信じるのは、その状態に対する想像力の欠如だ。他の可能性を見捨てる――良く言っても信仰だ。
 好きな人と結婚さえ出来れば幸せになると信じている人は多いのだけど、結婚した直後に自由を望み出す人もいる。欲しかった物を手に入れれば、もっと高価な物を欲しがる。"これさえあれば"は、それが手に入った後を考えない近視眼だ。
 何か理想的な状態を設定など出来るだろうか? 出来たとして、現実に存在しうるのだろうか? 各々の理想と矛盾せずにいられる一つの状態が存在するとは考えにくい。
 マクシミリアンは、それらの事を聞くと、そう言う根本的な事ではなく――詳細を別にしても、はっきりした何かが大まかにでも存在するのではないかと投げかける。
 平和とか、幸福とか、はたまた豊かさとかを指して言っているのだろうか。抽象的すぎて、他意が入る隙が多すぎる。
 すると、相手はまた少し考えるポーズをして、話を個人レベルにまで落とした時の事を語る。私が研究を進めるに当たって、世界の真理に興味があったりしないのかと。
 真理という言葉を信じていない。あれば、各々の心の中にあるのみだ。
 科学的な法則性……と言う意味での真理ならば、興味がないと言えば嘘だが、それに近づくのは相当な難事業だ。一つの現象を寸分違わず説明するには、外乱が多すぎて人間の手に負える仕事ではない。各々の作用を個別に説明するのがせいぜいなのだ。
 科学、錬金術の世界にしたって、法則や過去の研究と矛盾しない説明が、暫定的な真理である限り、人間が好き勝手に設定する真理、真実と同類なのだ。
「犬には犬の世界があるように、人間が――私自身がそう思い込んでいる範囲の中だけで、それがあるのかもしれませんね」
 彼の追求をこれまでかと追い詰めたつもりでいたら、独我論に走るのかと笑われた。
 確かに、それはお手軽な方法だ。立派なことを言ったつもりで、最後そこに落ち着く"知恵者"だっている。だけど違う。
 それぞれが、それぞれに価値を与え、そのように解釈している。真理に相当するものがあったにせよ、どれがそれに近しいと決めることは出来ないし、きっとどれ一つとして正しくない。
 男は、錬金術も同じだという。そうだ、同じだ。しかし、それでも現象は追える。それぞれがなるべく矛盾のないように理解されている――この無矛盾性が一つの価値なのだ。
「無矛盾性と言うのも一つの固定的な見方かもしれないが」
 彼の探るような手先が、いつの間にか、挑戦的な腕となっている。この挑戦こそ人類に必要なことなのだ。"それっぽさ"の価値に満足していてはいけない。
「不思議な事を言いますね。錬金術の有用性については至極当然のように口にしながら、何が幸せであるかとか豊かであるかと言う、身に迫る問題は恣意的だと仰るっていた……」
 真理や存在をあれこれ語ってそれを生業にする人間とて、日々食事と睡眠を摂り、その為には日常の生活をしなければならないのだけれど、それを一緒くたにするのは無理のある批判ではないか。
 自分が必要だと言う"深いこと"は、抽象的な言葉で飾った話ではない。価値の絶対性を疑うことだ。それぞれがそれを理解し、許容し、前進し続ければ、今よりもっと実りある世界を見いだせるはずだ。
 それに対し、あのような"知恵者"は、閉じた系で、独自の言葉を使ってマッチポンプをやっているだけだ。新しい造語を、また別の造語で説明している。言葉遊びをしているようにしか見えない。
「私に冗談のセンスがあれば、デタラメの論文を書いて、投稿してやりますとも。きっと、多くのレフェリーが賛同してくれるでしょうね」
 マクシミリアンを煽ってみる。
「実際に貴方には冗談のセンスがないですね」
 今まであんなやりとりをした割に、この返答というのは、面白味に欠ける。この言葉で全てが白けてしまった。
 男は、私が自分に分からないことから逃げているだけだと評する。
 逃避とは忘却だ。
「さぁ、幽霊からは逃げられませんからね。存在しないのですから。それに対して彼等は、存在しないものを存在するものとして、お祓いやお守りを作っては高値で売りつけているではないですか。
 おばけなんてないさ、おばけなんて嘘さって子供が歌えば、その勇気を馬鹿にする。
 そうやって、馬鹿にされた子供は、嘘と分かっていても、それが現実にあるかのように、パントマイムをしなければ、人の世では暮らしていけないのだなと理解する訳ですよね」
 男は、この言葉を、主観的だと言う――頭脳に一歩ずつ足を踏み入れる音がする。
 世界を外から眺望できる訳でもないのに、何故、本物の客観なんてものを手に入れられるのだろうか。手に入れられるのは、考えたことと取り重ねたデータぐらいなものだ――それすら怪しい。
 言えるのは、せいぜい精度の良い主観なのだ。
 彼はそれでも、真理は一つだと言う。また真理か、うんざりする。自分がそれと認めたことを、世界全部に適用しようという無理の事を真理というのではないか。
 『君の考えは、世界を世俗化させる発想だ』とやり返された。
 一つの真理を見せて、それに人が従う事が世俗化ではないのか。
 主観で重要なのは、その主観をどれほど大きく持てるかと言う事ではないか。狭い視野の中で暮らす人の世界は狭いままだし、下賎な認識で満足するなら世界はそのようにある。その逆もまた然り。人は愚かになる自由と共に、そこから離れていく自由もある。
「それに耐えられなくなったらどうなる? いまあるように世界を認める事ができなくなる時とか……それに絶望するとか。それも現実の世界の中で」
「それが分かれば、私も苦労しませんよ……」
 それこそが、"知恵者"のすべき仕事の筈だ。宗教がそれなりの方法で人々を救うのと同じく。
 彼には散々否定されたが、その道は間違っていないと考えている。何処か決まったところで満足したくないからだ。
作品名:充溢 第一部 第二十一話 作家名: