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二人の王女(8)

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 ノアの箱船で、世界が水に飲み込まれたように、
 毒は刻々と国を蝕み、世界を暗黒に染めていく
 いつ終るともわからない終焉への秒読みに、
 人間は恐れおののき、自身を創りし神への反抗を試みる






 夜明けと共に、一行は泉を出発した。
 マルグリットとアーク、キーチェとゼブラ、そしてシェハとあすかという馬の割当てとなった。ただ、あすかは馬を走らせる側でなく、シェハが前に乗り、馬を走らせた。
 シェハの背に掴まりながら、この状況に相応しくないとわかってはいても、昨日の泉でのマルグリットとの会話を思い出さないわけにはいかなかった。
「シェハは、おまえを気に入っているようだ」
「シェハは、おまえを守ってくれるだろう」
 その言葉が、頭の中で幾度となく反芻される。心臓の鼓動がどくどくといつも以上に鼓鳴るのを身体に感じながら、あすかは火照るような思いで馬に揺られていた。
 泉の樹々の間を、三頭の馬はすり抜けるようにびゅんびゅんと駆けて行く。
「見えたぞ」
 先頭を行くマルグリットが、声を上げた。
 森に終わりを見つけ、その向こうには城壁と思われる大きなクリーム色の壁が見えた。
「これが、エンゲルンだ」
「ずっと右手を進んだところに、確か中へ入る通用門があるはずだ」
 ゼブラの言葉にマルグリットは頷き、馬の方向を変えた。
 城壁がずっと続いている。五メートル以上はあると思われる壁の向こうを垣間みることはできなかったが、人の声一つ聞こえなかった。
 一行が通用門を発見したときも、誰の姿も見られなかった。城壁と同じくらいの高さのがっしりとした鉄の門は、誰の侵入も拒まないように、開け放たれたままであった。
「本来であれば、見張りが立っているだろうに…余程の窮状と見て取れる」
 歩を緩め、中へ入る。あすかは、その門の向こうに広がる惨状に、思わず目を見張らないわけにはいかなかった。
「これは…ひどい…」
 城壁と同じクリーム色をした豪奢な建物が立ち並ぶが、そのあらゆるところに紫の蔓が伸びており、あちこちにどす黒い紫の染みを作っていた。道には、昨日目にした爆発の痕が至る所に見られた。
 地面にこびりついた紫の血を避けるように、馬の歩を進める。あちこちで、肉の焼けた嫌な匂いが充満していた。
「皆の者、一気に突破するぞ」
 マルグリットの言葉に、一斉に馬の横腹を勢い良く蹴り、馬を走らせた。
「知らない国なのに、道がわかるの?」
 あすかがシェハに聞くと、シェハは静かな口調で、「国を守る者たちは、あらゆる敵国の地形・地図を把握しているのです」と答えた。
 どこまで行っても、光景に変わりはなかった。これほどの人があれば、少しくらい人の声が聞こえてもいいはずなのに、ただ果てしない静閑がそこにあるだけだ。
 そのときだった。
「人だ!」と、マルグリットが声を上げた。シェハの背からあすかも進行方向を覗き込む。人の姿とははっきり見てとれないが、ずっと向こうで何やら蠢くものがあるのがわかった。しかも、一人や二人ではない。大勢いるようだった。
「進路を変えるか!?」
 アークが訊ねた。その言葉に、キーチェは、「しかし、エルグランセへ抜ける道は、この道しかない!」と、悲痛な声を出して云った。
「このまま突破する!」
 マルグリットは、馬をより加速させた。シェハが、あすかに「しっかり掴まっていてください」と声を掛けた。あすかは、シェハの背にぴったりとしがみついた。
 より加速させた馬が、大勢の蠢く人へと近づいて行く。予想通り、昨日見た人と同じように、皮膚を紫に変色させ、身体の至るところから蔓を生やした人たちが、這いつくばるようにしてこちらに向かっていた。
 実際に見たことはないが、あすかは学校の授業で聞いた第二次世界大戦の様子を思い出した。
 数えきれないほどの声、言葉が、まるで大合唱のように耳に響く。
「助け…て…くれ…」
「毒が…」
 言葉という言葉をもって、人々は馬の方向を目指して歩いてくる。ついにその人の集団に差し掛かった。
「必ず助けにくる!だから、こちらへ来てはいけない!」
 あすかは叫び出しそうになるのを堪えながら、ただ恐ろしさに身を震わせ、シェハの身体にしがみついた。
 馬が、何人もの人間をはねる。その度に、鈍い衝撃が走り、馬が大きく揺れた。
 はねられてもなも、人が馬にすがりつこうと手を伸ばしてくる。マルグリットは必死に叫んだ。
「必ず助けにくる!馬に近づくな!我々はエルグランセへ向かうのだ!必ずラズリーの花を得て、そなたたちを助けにくる!だから…!」
 しかし、そんな声も、群衆に掻き消されてしまった。聞く耳を持たない人々は、一斉に馬を襲った。
 必死にその人たちを避けながら、三頭の馬は紫に染まった道を駆ける。
 そのときだった。
「きゃーっ!」
 あすかは恐怖に叫び声を上げた。毒に冒された人間の一人が、あすかの足を掴んだのだ。馬が駆けて行くのも構わず、引きずられてもなお、あすかの足を掴んで離さなかった。
 シェハが慌てて剣を抜き、その者の首を刎ねた。それをかわ切りに、幾人もの人間が馬に股がる騎士たちの足を掴んだ。馬を走らせながら、剣を抜き、幾度となくその首を刎ねていく。あちこちで、人の爆発が起こる。それに恐怖おののいた人間らは、余計に騎士らにすがりつこうと、その身体を追った。
 剣を持たないあすかは、必死に鞄でその人間たちを振り切ろうとした。何度振り落としても、また這い上がってくる。
 ようやく城門が見えた。しかし、城門の外にも、人々がたくさん喘ぎ、蠢いているのが見える。
 なんとか城門を切り抜けても、事態は変わらなかった。
「あの森に入るのだ!」
 マルグリットが叫ぶように云った。一行は、指された森の方へと一心に馬を走らせる。
 それは、一瞬の隙だった。蠢く人間の一人が、シェハとあすかの馬の足を掴んだのだ。馬は大きくバランスを崩し、そのまま倒れ込んだ。あすかとシェハは振るい落とされ、そのまま地面に叩き付けられた。
 鈍い痛みが、身体全身を突き抜ける。しかし、倒れたままでいることはできなかった。
「シェハ!アスカ!」
 急いで身を起こし、体勢を整える。同じように身を起こし、シェハはすでに剣を抜き、構える体勢を作っていた。
 蠢く人たちが、こちらにじりじりと歩み寄ってくる。あすかはどうすることもできず、頭が真っ白になって、その場に立ち尽くしていた。
「シェハ!あの防御術は…?」
「使えません!あの防御術は、日を置かずして使えない」
 群衆の数人が、一気に襲いかかってきた。あすかは、自身の恐怖の叫び声を聞いた。
「アスカ!後ろに下がっているのだ!」
 シェハが剣を振るい、その者たちの首を刎ねる。しかし、襲いかかってくる人はどんどん増えてくる。剣術を身につけないシェハには、そのすべてを振り切ることは困難だった。それでも、あすかに指一本触れさせやしないと、必死に剣で襲いかかる人をさばいた。
 そのとき、急にシェハのものではない剣が、目の前に現われた。
 ゼブラだった。ゼブラが前に立ち、あすかに襲いかかろうとしていた人間たちを斬っていく。
 他の三人も参戦し、歩み寄ってくる人々を、次々に刎ねた。
作品名:二人の王女(8) 作家名:紅月一花