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映画に観るディストピア(世界終焉・人類滅亡)

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映画「ザ・ロード」
原題:The Road
監督:ジョン・ヒルコート
製作総指揮:トッド・ワグナー、マーク・キューバン、マーク・バタン、ラッド・シモンズ
製作:ニック・ウェクスラー、ポーラ・メイ・シュワルツ、スティーヴ・シュワルツ
脚本:ジョー・ペンホール
主演:ヴィゴ・モーテンセン、コディ・スミット=マクフィー
共演:シャーリーズ・セロン、ロバート・デュヴァル、ガイ・ピアース、モリー・パーカー、マイケル・ケネス・ウィリアムズ
原作:コーマック・マッカーシー(2006年)
音楽:ニック・ケイヴ、ウォーレン・エリス
米 2009年(日本公開2010年6月26日) 111分
受賞歴
第5回ユタ映画批評家協会賞・主演男優賞 その他ノミネート多数

★ストーリー
世界の終焉を迎えた未来。荒廃した大地を、ショッピングカートを引いた父親(ヴィゴ・モーテンセン)と少年(コディ・スミット=マクフィー)が南に向かって歩いている。親子の全財産は、防水シート、ポリ袋、毛布、双眼鏡と拳銃だけだった。わずかな生存者は皆、燃料と食物を探してさまよっていた。そんな中、道端の車中で寝ていた親子は、トラックに乗った武装グループに襲われる。少年を捕まえた若い男に向かって父親は銃弾を放ち、難を逃れる。彼らは人食い集団だった。父親は少年に、自分たちは“善き者”であり続けることを説く。父親は眠る度、少年の母親(シャーリーズ・セロン)の夢を見る。世界の終焉を迎えたあと、彼女は重い心の病を患った。そして少年を産むと闇の彼方へ消え、自ら命を絶った。父親は彼女と決別するため、写真と結婚指輪を捨てる・・・。

☆映画総評
ディストピア物の中でも、断トツ!そんな物語であり、映画ですね!この明るく無い未来!を描くとのは、昔から、多分、本当に昔から、人類の滅亡を、昔の人?それとも人類の頭の中の脳の容量が1,300グラム前後になってから、誰ともなく想像し、夢想したんでしょうかね?それとも人口が100万人を超えてから?なのか!1000万人を突破した辺りから、人類滅亡なのか、地球上の生物が全て滅ぶ?みたいな感じを実際に体験したんでしょうか?その位、太古?の昔から人類は自分も含めて滅びる恐怖?を渇望?として胸に抱いていたんですね!

原作をアメリカの小説家コーマック・マッカーシーが2006年に書き上げ!2007年にピューリッツァー賞フィクション部門を受賞。あの「血と暴力の国」が映画化され題名は変わったけど映画『ノーカントリー』もアカデミー賞等を受賞していますから、もはや作家のコーマック・マッカーシーはアメリカの代表的作家として有名なのでしょう。この作家も実は売れるまで結構大変な極貧生活をしていたのをウィキオエディアで読んだような気がしまして、多分、その時の経験がこの小説の映画化『ザ・ロード』に反映されているのかもしれません。

原因は定かでは無く、核戦争後では無く、地球環境の突然の変動?地殻変動?なのでしょうか?地球規模で地震が頻発し、空が、世界が灰色に覆われ、段々と地球全体が小氷河期時代に突入し気温が低下し出した世界観が映画『ザ・ロード』です。おまけに、世界の終焉後10年と言う世界だから、21世紀初頭のインフラ、ガス・電気・水道は完全に崩壊し、小氷河期は地球上の動物を殆ど死滅させ、10年後には植物でさえも枯れ始め、地震で地盤が緩んだのも原因して、大木が根元からバタバタと倒れるシーンもあったりします。

この映画の特質する点では、世界の終焉!地球規模の地殻変動からの小氷河期から10年後では殆どの文明社会の人々は生きる希望を失い!基本的に自殺を選びます。そして、それが顕著に現れるのが女性!主人公役・ヴィゴ・モーテンセンの妻役のシャーリーズ・セロンも世界の終焉後から自殺を渇望し始めます。そのきっかけの一つが、この絶望の中での自宅での出産だったとは!彼女は子供を産むことを拒み続けましたが、結局、夫の強い希望により男の子を生んだんですね。

この世界終焉の世界観を昔から小説、マンガ、アニメ、映画等で描いていて、初期のディストピア物って、必ず最後には希望!とか人間性!みたいな物が根底に描かれ、ある意味ハッピーエンドに近い終わり方をし、個人的には違和感を感じていました。映画『世界が燃え尽きる日』の世界観も酷くて、基本的にはアメリカ軍が開発した最新式軍用装甲車でアメリカ横断?しながら、時には放射能?で異常にでかくなったサソリの襲撃にあったり、生き残った荒野の悪者たちとのスッタもんだの末、おいおいって感じで、全く無傷なカリフォルニアビーチ?みたいな所に辿り着いて人々の歓迎を受けてめでたし、めでたしには、正直、小学年低学年に観てひっくり返ってしまいました。

このなんちゃっての世界の終焉は、そこから?セキを切ったように量産され、映画『マッドマックス2』で、一つの世界観を構築します。所謂、生き残った人間達のインフラの奪い合いでの壮絶な人殺しのサバイバルです。その世界観?主人公や登場人物の内面や精神は、ただただ、日々をサバイバルし、一応、身体は健康そのもので、未来を悲観する言葉は微塵も無く、ただただ無秩序な世界でタフに生きるだけで、食料が無い、病気の人々がいる、未来に絶望して自殺者が後を絶たない!な世界観が欠落していました。

そして、タフに生きていれば、また、人間同士が協力して、同じ文明社会が築けるような、そんな安易な世界観!だけの世界の終焉モノが多くなったのです。その安易!な世界の終焉モノ、ディストピア物に終止符を打ったのが、この物語であり、この映画『ザ・ロード』です。日本でのディストピア物の『ドラゴンヘッド』にかなり近い世界観ですが、しかしながらマンガ『ドラゴンヘッド』は地殻変動が始まり、そこから何ヶ月?の世界だけですから、10年後の絶望とは程遠く!映画版『ドラゴンヘッド』では主人公の妻夫木君が何の説得力も無い「絶対に生き残ってやる!」みたいなことを富士山の爆発?みたいな火山の噴火を見ながら叫ぶんですが、これには「やれやれ!」でした。

世界の終焉から10年後の世界は、生き残っている者の殆どは掠奪(りゃくだつ)者で、食料の枯渇により、遂には同じ人間を食料にするという食人軍団が増え始め、人間狩りが当たり前な人間性の欠片などない、善悪とか性前悪とか!全く論じることを排した世界が展開され、映画内でも食人の館の地下には食肉用に捉えられ痩せ細った全裸の人間達が隠されていて、少しづつ食べられているのか?片腕や片足の無い人もいたりして、リアルそのものです。

この完璧なまでの絶望とした人類の終焉を描き切った作家のコーマック・マッカーシーの才能にも脱帽ですが、それよりもなによりも、昔から人類は世界の終焉に魅せられ続けるのはなんなのか?とふっと考えたりします。今の世の中が圧倒的多勢の人々が生きにくいと思っているのか?現在の社会システムがもはや破綻しているのを自然の力で崩壊してもらいたいのか?それとも単なる人間の奥底に眠る原始的な破壊願望なのか?どっちにしても人間が生きている限り世界の終焉願望は消えることはないのかもしれません。