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かがり水に映る月

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01.その夜に、僕は落ちてはいけない恋をした(3/3)



ここ数日英人の夢のフィルムは、擦り切れてしまうではないかというほどに、同じ映像だけが焼きついていた。
いつも、同じ場所同じ景色から始まる。
病室の入り口。そこに英人は立っていて、その景色を彼はいやというほど知っていた。
真が眠り続ける病室である。そして、入院している病院である。相部屋だが夢の中ではいつも、真以外の患者は視界に入らない。
だが、窓のカーテンが閉めきられていることからするに、おそらくは寝静まっているだけなのだろう。
布団に丸まって、その膨らみを確認できるはずなのだが――英人は生まれて数度しか、明晰夢を見たことがない。
目覚めてからも夢を強く記憶しているふしはあるものの、夢の中で見ていないものは覚えているはずがない。

カーテンがひらりと、弱くはためく。
「真!」
窓が開いているはずがない。深夜も、昼間もそれは変わらない。カーテンを揺らすほどの風を通す隙間があるとしたら――英人の中で最悪の想像ばかりが脳裏をかすめる。真が目覚めて、飛び降りたのではないか。
いや、飛び降りる気はなかったけれど、夜気が気持ちよくあたっているうちにふらりと意識が遠のいて、ということも在りうる。
英人のそんな予感は、幸いながら外れていた。
脱出ではない。
侵入だった。

「……あ、うあ……!?」
駆けつけようとした足が、急に縫いとめられたように床から離れなくなり、英人は上半身をつんのめらせて傾く。
何とか転ばずにすんだものの、それ以上は手も足も動かなかった。金縛りにあったように、それ以上真の傍に行けない。
あいつと。
目の前の人影と、違って。

人影はどこから現れたのか、病室を右往左往している。患者の寝顔を覗き込んでは、また次の患者のもとへ。
英人はそれを、ずっと見ていることしかできなかった。首は動かないが、眼球は自由が利く。
人影が死角に入ってからも、先ほどまでとは違う音や空気は感じない。目的があって侵入したのではないのだろうか。
そして、それは最後に、真のベッドのそばに立った。

やめろ。

声が出ない。
ぴくりとも動かない真の肩をやさしく掴み、そっと持ち上げる。そっと、首筋に人影の頭部が近づいた。

やめてくれ。

息だけを吐いているという実感すらない。
人の生き血をすするなど、正気の沙汰ではない。おそらくそうしているのであろう姿を視認しているのは、英人だけ。
恐怖が蛇のように、自の身にぐるぐると巻きついてくる。そうやって、離してくれない。
だが、それ以上に怒りに似た感情の方が英人にとっては強かった。
自分の恋人を、目の前で汚されるような、それどころか犯されているような――。
無力な英人をあざ笑うように、人影は顔を離し、英人の方を向いた。暗闇のため色は識別できず、それは無彩色に見えた。
唇から垂れるその液体は、どす黒いコールタールのような、粘性のある何か。
それは、血じゃない。血であっていいはずがない。恋人の身の内を流れているのは赤い血で、でも、今は暗闇で。


「……あだっ!!」
意識が浮上したのは、唐突だった。次いでじんじんと痛みを訴える後頭部。
どうやら、夢の終わりに身体がバネのように跳ねてしまったらしく、頭を思いきり玄関にぶつけてしまったようだ。
さすりながら、辺りを見渡す。病室ではなく、そこは見慣れた自分の居住空間だった。
暗色の分厚いカーテンは遮光性に優れ、部屋に太陽の光を招き入れない。英人は、太陽の光が、昼間の世界が好きではない。
自分が、白日の下で生きること、晒されることに強い嫌悪感と抵抗を感じるのだ。
「そんなんだから、友達も壁を感じちゃって近づいてきてくれないのよ」と真が呆れていたことを思い出す。
もう、そんなことを言ってくれる存在もいないのか。親族を除いては。いや、親族でも言ってくれるのかどうか。
そんなカーテンが少しだけ開いた状態になっており、そこから光がさしていた。どうやら、日中らしい。
詳しい時間は確かめないとわからないが、眠る前の記憶は夜明け前。いつのまに眠ってしまっていたのだろう、と考えをやめないまま立ち上がる。
靴を脱いで、部屋へと入りポケットの中にあった携帯を開いた。
「……うわ。バイト、今日は遅番だったよな……」
時刻は夕刻。確認後、止まっていた時が動き出したかのように、カーテンの隙間から差し込む光はどんどん弱くなって、しまいにはほぼ無になった。
働かなければいけない。
生きなければいけない。
洗濯物から仕事用の服を取り出し、必要な荷物を雑にテーブルの上や周囲に集めていく。
そうしているうちに、英人は昨晩の出来事のくびきから解放され、意識のすみにそれを追いやっていった。
今思えば夢の一部だったのかもしれない。人間は、いいようにいいように、都合よく物事を解釈していく。
英人もまた例外ではなかった。


作品名:かがり水に映る月 作家名:桜沢 小鈴