小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

はじっこに、歌を

INDEX|2ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

「子どもの頃、砂場をずっと掘ってればブラジルまで行ける、とか思いませんでした?」
メロディを伴わない発声、つまり普通の会話としての声に呼ばれてスケッチブックから顔を上げる。
デッサンの対象としては理想的なまでに動かない一之瀬の後ろ姿が、さっきスカートのひだあたりを描くために視線を移したときと何も変わらず、3歩ほど離れたところにあった。
「一之瀬は思ってたんだ」
「先輩はそうじゃなかったんですか?」
「んー、どうだったかな」
生返事だというのは自覚しているものの、鉛筆を走らせるのはやめない。スカートから脚へ、校則に忠実な長さのハイソックスへ、まだ白さの残るスニーカーへと、スケッチブックの中に一之瀬を忠実に作り上げていく。背景は描かない。学校の冴えない裏庭なんて、描き飽きた。
「私は、思ってましたよ」
一之瀬は、いつもそうしているように、聞く相手が私しかいないのに、私に背を向けて声を出す。
「子ども用のちゃちなシャベルでしたけど、けっこう掘れるんですよ。穴が深くなってくると、このまま地球を貫通出来るんじゃないかって、どきどきしたものです」
「いいじゃん、夢があって」
「ホントですね。夢以外のものがなかったって、それだけの話なんですけど」
一之瀬の立ち方はきれいだ。ちゃんと背骨が仕事してるって感じで、いつでも学校中に聞こえるほどの音量を出す準備が出来てる。
木みたい。それも、風に煽られてるやつ。
枝がどれだけ揺れようと、中心は地面に根付いて意地でも動かない、あの力強さによく似ている。
「ねぇ、一之瀬」
「何ですか?」
「何か歌ってよ」
「・・・さっきまでずっと、歌ってたじゃないですか」
「合唱部の大会用の複雑なやつじゃなくてさ、もっとこう、小学生でも歌ってそうなやつ」
「私アルトだから、小学生用の合唱曲は大抵、主旋律じゃなくなっちゃうんですけど」
「それだと何か都合悪いの?」
「歌詞が唐突に切れて、代わりにコーラスに入ったり脈絡もないことを早口で言いだしたりすることになるんで、単体で聞くとかなり不気味だと思いますけど」
「んー、その辺は合唱部の君に任せる。美術部の年寄りには、よーわからん」
「先輩と私って、一つ違いでしたよね?」
「高校生の一つ差って、年寄りの10年に匹敵する違いだと思うんだよね」
「やめてくださいよ。私まで年寄りみたいじゃないですか」
一之瀬は「やれやれ」と言いたげに首を振り、肩をすくめてみせる。それでも決してこちらを振り返ったりはしない。
一之瀬は私を振り返らない。
私たちがこうして放課後の部活の時間を人気のない、忘れ去られたかのようなうら寂しい裏庭で過ごす間、お互いに向かい合わないことは一種の不文律になっていた。
「小学生のとき習ったような歌がいいの。愛とか、明日とか、希望とか、そんな夢しか入ってないようなのがいい」
背を向けた一之瀬からは表情が読みとれない。
それでも、息を吸い込む音が聞こえた。
合唱特有の、短くてもたくさん吸い込めるような、素早くて鋭い吸い込み。
一之瀬が歌の最初の単語を発声した瞬間、学校の隅っこの裏庭が、集団から除けられた余りもののここが、誰にとってもはじっこでしかない私の居場所が、地球の真ん中になった。

作品名:はじっこに、歌を 作家名:やしろ