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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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 須臾と細かな打ち合わせを始めたソルティーを見ながら、ふとそんな事を考えてしまうのは、今自分が居るのは仕事だからと言う忘れられない事実が有るから。
 幾ら自分が一緒に居たいと思っていても、現実的に無理だと恒河沙でも判っている。
――ソルティーは偉い人なんだもんな、俺なんかと違って田舎の出じゃないし。
 今此処に自分が居るのは仕事だからだと割り切りたいが、そう簡単に割り切れる程大人ではない。
 どうすればずっと彼の側に居られるか、そればかりを考えてしまう。
「どうかしたのか?」
「えっ?」
 いつの間にか自分を見ているソルティーに、恒河沙は慌てて首を振って「何でもない」と口にした。
 言葉にしなくても、何時も自分を気にしてくれていると判るのは嬉しいけど、それだけ何時か必ず訪れる別れの日が恐くなっていく。
 そんな初めての恐怖を恒河沙は感じだしていた。





 レス・フィラムス教団。
 火の精霊神ツァラトストゥラを信仰対象とし、その教えは同じ精霊を守護神とする他の神殿よりも温厚だった。
 教団の掲げる紋章は、力の象徴である炎の番犬が喰らう大きく傾いた天秤。その傾いた天秤に乗せられているものは、富と貧しさ。力がその傾きを、天秤を壊すのだと言う。
 『力は戦うだけに使われるのではない。人を護る時にこそ、初めて力とは必要になるのだ』と、レス・フィラムスの創始者は始まりの言葉で語った。
 他の神殿が『力とは戦いの中で進化する』と銘打つ中で、そのレス・フィラムスの教えは斬新で、疲れ切った人の心を打つ言葉だった。
 しかし、時が過ぎ、先人達の教えが風化し、彼等の掲げる教えは様変わりを必要とした。
『絶対的な力こそ、人を護る盾となる』
 それは人を誤らせるには充分な、魅力的な言葉だろう。
 確かに絶対的な力を持てるなら、その力は護りの盾となる。しかしそれは、逆にその力を手にするまでの道のりに、多くの屍を築き上げなくてはならない事だ。
 どんな形の力で在ったとしても、それを持つ者によって力は盾にもなるが刃にもなる。
 その事に気付く事の出来ない人が、どれ程の数になるのか。
 少なくともレス・フィラムス教団は道を誤った。
 間違いなくそれが事実だと後の歴史はそう語るが、今はまだその時ではなかった。



 湿った壁に真っ赤な篝火の色が映り、天井には煤が幾重にも層を成して付着している。
 長い廊下には、低くくぐもった声が流れたり途切れたり。
 それは数人の男の声。呪縛の言霊を奏でる、幾つもの重なる言葉。
 その焔にも似た熱を浴びる廊下の突き当たりに立つ人影が三つ。
「もうそろそろ、その首を縦に振ってはどうだ」
 中央に立つ男の口が忌々しげに語る。
 年の頃は五十代前半に見受けられ、頬の中程まで黄色い体毛に覆われた彼の目は大きく吊り上がっていた。深い体毛の生えた耳は掌大の大きさで、彼が獣族の血を多く受け継いでいるのが判る。甲高い声を響かせ目の前で自分を一切見ない少年に向かって、微かに薄い唇の端に侮蔑の笑みを造りだしていた。
「お前の仲間は直に捕らえられる。お前が強情を張れば、その時誰か死ぬかも知れないのだよ」
 はっきりとした恫喝を口にするこの男の名は、ルカヌス・エジンスロ。そして彼の言葉に耳を貸さず、退屈を欠伸で表している少年がシャリノだ。
「所詮ただの盗人は、仲間の命より己が大事か」
 ルカヌスが吐き捨てた言葉に、シャリノは声変わりもしていない澄んだ声で笑う。
「何が可笑しいっ!」
 ルカヌスは吊り上がった目を更に吊り上げ、感情をそのままに声を上げた。それでもシャリノの笑い声は止まず、それどころかルカヌスに向かって見下した目を向けた。
「貴様等に俺の仲間が捕まえられるかな? 同じ失敗を二度と繰り返さないのが、俺達ランスの掟だ。もう二度と、お前に仲間は捕まえられない」
 シャリノの自由は半径2フィラスだけ。
 ルカヌスとシャリノの間には、見えない壁が常時張られている。彼を閉じこめられる唯一の方法だが、言い換えるなら、凝縮した小さな結界を常に張り続けなければ、彼を此処に閉じこめる事が出来ない事の証明でもある。
 それだけの力をルカヌスは何としても手に入れたかった。戦の為に、いや、己の野望の為に。
「たかが盗人だ! お前がその気なら、必ずお前の仲間、いやお前の妹の首をお前の目の前に晒してやる」
 だから何としても人質を用意しなくてはならない。
 そんな焦りに包まれた脅しを、シャリノは楽しそうに笑い飛ばす。
「出来るならな。しかしその前に、お前の首を落とされない様にしないとな。俺の妹は気性が激しいからな」
「そう言っていられるのも今の内だっ! 私の手から誰も逃がしはしないっ!!」
 劈くような金切り声を上げ、屈辱に震える肩を怒らせながらルカヌスは両隣の男を従えシャリノの前から立ち去った。
 その高慢な後ろ姿をシャリノは耳を塞いで見送る。
「ったく、女じゃあるまいに」
 何処か男臭い言葉を吐きだし、やっと居なくなってくれた事にほっとした。
 この一月の自由のない投獄生活より、三日に一度はああしてシャリノの耳に不協和音を奏でるルカヌスが、一番始末に悪い。
 今の所低俗な脅しをする事は、仲間に何も起こっていない証拠だ。だからシャリノは安心して此処で腰を落ち着かせていられる。
 だが、そんな余裕綽々のシャリノにも、一つだけ気を重くしている事が有った。
――ミシャールに手を出したら、ぶっ殺すぞベリザ!
 それを考え出したら、もう夜も満足に眠る事が出来なくて、二人を別々の所に吹っ飛ばせば良かった等と考えてしまう有様だ。



「一寸、ほんとにこんな格好のまま行かなきゃなんないのかよ」
 朝からぞれぞれが身支度を終え、昼時を間近に控えた神殿を前にして、自分だけが相変わらず動きづらい服装なのには、当然ミシャールは納得出来なかった。
 ソルティー達の目を盗んで買い揃えていた身動きの取りやすい、要所要所だけを隠すだけの体の線を見せつける服は、見つかった時点で処分された。
「だから何度も言ってるじゃない。あんな格好で中に入ったら、それだけで危険人物扱いだって」
 淡い空色のドレスを握り締め、あまりの恥ずかしさに逃げ出そうとする彼女を須臾が捕らえ、頭を下げる様に宥め賺す。
「君は地方のお嬢様で、お供を引き連れて教団に寄付をする為に此処まで来たの。だから汚い言葉も使わない、大股で歩かない、何時も笑っている。良いですか?」
「……判ったよ!」
「承知致しましたわ」
「……承知致しましたわ。これで良いん……これで宜しゅう御座いますか? オホホホ!」
 こめかみに筋を浮かび上がらせて口に手を当てる姿に、須臾は満足そうに頷く。
 ソルティーと須臾が考えた策は至って簡単なものだった。
 莫大な寄付を見せつければ、幾らなんでも門前払いはされないだろう。良家のお嬢様を演じるミシャールが、どれだけお淑やかに出来るかが問題だっただけだ。
 勿論見せ金を用意したのはソルティーだ。
 持っていた宝玉を数個王貨に換金し、見せ掛けだけは豪勢な袋に入れてミシャールに渡すと、中を見て呆気に取られた後、気持ちの悪いほどの笑顔をソルティーに向けた。