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住めば都 ~整形外科病棟~

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10、術後二日目



術後初めての日曜日。
この日はドレーンも、おしっこの管も取れて、晴れてトイレに行けることになった。
トイレもなかなか大変。
何せ、かがめない。ガッチリとコルセットで固めているから。
神経を圧迫していた痛みはなくなったとはいえ、なかなか不自由なのだ。
『おしっこに行きたい』と思っても、すぐに行ける訳ではない。
ベッドの柵を持ってヨッコラショと起き上がり、ズックを履く。
これも、かかとがうまく入らない―― かがんでいつものように指を使ってができないのだ……そこで登場するのが、便利グッズの長い靴べら――これはホントに重宝させてもらった。そして、ベッドのそばにおいてある歩行器を引き寄せて、ゆっくり進む。
トイレに入ってからも時間がかかる。

しかし、これも数回すれば慣れてきて、歩行器ではなく杖で行けるようになった。

午後、 母と姉がやって来た。
「命に関わることではないし、もう会えないんじゃないんやからわざわざ来なくてもいいよ。来るのが大変だよ」
と言っていたのに、85歳の母が見舞いにやってきた。
足が痛くて長く歩けず、一人では来れない。また姉の手を煩わせることになってしまう。

しかし、このときの母には、姉のことより、私のことしか頭になかったようだ。
子どもが幾つになっても母親とはこういうものだろうか。
この歳になっても母親が健在だと言うのはありがたい。しかし、姉には申し訳ない。

「あ〜、しんど。遠いね、ここは。」
「しんどいって、お母ちゃん、車でずっと寝てたやん」
半ば呆れ顔で姉が言う。

母は、まだ私の子どもが小さかった頃、熱を出したといっては熱が下がるまで看病してくれた。私の泊まりの出張がある時は、2時間かけて実家から出てきて子どもたちの世話をしてくれていた。
母無くしては私の子育てはなく、仕事も続けられなかった……そんな元気な母だったのに、寄る年波には勝てず、一人で出てくるのさえおろか、歩くのも困難になってきている。
しかし、生前、脊柱管狭窄症で手術し、うまくいかずに再び歩けなくなった父のように私がなるのでは…心配とばかりに娘の手術の経過を自分の目で確かめたかったのだろう。同じように腰を手術するとは、遺伝なのか……。

他愛もない話を2時間ばかりして母と姉は帰って行った。

入れ替わりに、息子がやってきた。
息子はノートパソコンを持ってきてくれた。病院でのパソコンはOK.但し、PHSで。と言うことだったので、息子にそう言って、病院で使えるパソコンを持ってきてもらった。
これで、気になっていたメールもOK。退屈になったら、SNSだってOK。
退屈な入院生活に張りを持たせてくれた息子に感謝だ。