小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

Reborn

INDEX|7ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 



「これ見てみて。」
友人は黒くて何の装飾もないトートバッグからクリアケースを取り出すと、A4用紙を一枚私に手渡した。友人はいつもこの小ぶりのトートバッグを携帯していたが、何が入っているのか私にはずっとわからなかった。友人の秘密ではあったが、常に外側を目にするという意味で半分秘密でないようでもあり、私が特に興味を持たないという意味でも秘密でないようなものだった。知りたいのに知れないとき秘密は秘密になる。誰も知りたいという欲求を持たなければ秘密は秘密ではない。
「ああ、面白いね。」
A4用紙には、縦二列、横五列になった写真が印刷されていた。写真用で光沢のある厚手の贅沢な用紙だった。緑色でしわくちゃな袋が割れて、そこからきらびやかに純白の綿毛がはみ出していた。綿毛の所々には茶色の硬そうな種がついていた。何かの植物だったが、私には一瞬それが花のように見えた。この植物の一茎からは、いくつもこの鋭い繊細さを備えた袋が分かれ出てくるのだろう。それを様々な角度から撮った十枚の写真だった。
「風船唐綿っていってね。花もきれいなんだけど、俺は実の方が好きなんだ。実っていっても、この綿毛が花みたいに咲く、「咲く」でいいのかな、まあこんな時期が一番好きなんだ。」
 大炎のラーメンはチャーシューが分厚いことで有名だ。私は食べきれないとわかっていながら1050円のチャーシュー麺を頼んだ。肉のおいしさは麺やスープのおいしさと溶け合っている。たぶんおいしさ同士の境界はあいまいなのだ。
「ロックンローラーだ。」
六人組の男たちが隣の座敷と、隣の隣の座敷に分かれて座った。隣の隣に四人。隣に二人。隣の座敷の二人は、身を隣の隣の座敷の方へ寄せていて、同僚や上司の噂話を始めた。その男たちの一人が、座敷に上がってくるとき私を見てそう言ったのだ。私は襟にファーの付いた上着を着ていて、髪を長く伸ばしていた。そして私の中途半端に男前で目つきの悪い風貌を見て、彼はそう言ったのだろう。
「ロックンローラーだ。」
彼は繰り返した。群れた人間に特有の思い上がった陽気さが、彼の言葉の流出を無駄に容易にしたのだろう。私は特に不愉快とも思わず、客観的にはそう見えるのか、と妙に納得した。ロックは好きだからそう言われて本望だ。私は無視して乱された意識を整えると写真の観賞を続けた。
「聡君が何人もいるみたいだね。」
「え?」
「この視点から見ている聡君と、この視点から見ている聡君。そしてこっちも、全部。」
私は写真を一つ一つ指さしながら言った。
「それぞれ違った聡君がそれでも同時にひとつの風船、なんだっけ?」
「風船唐綿。」
「そうそう、十人の聡君が同時に一つの風船唐綿を見てるんだ。十人に分裂した聡君は、それでも一人一人今の聡君と同じだけの能力があって、でも一人一人世界観が違うんだ。その十個の世界観がこのA4用紙の上で照らし合わされている。どれが正しいというわけじゃない。植物の感じ方にそれぞれの世界観が現れていて、植物の写真の向こう側には十個の価値の体系がある。」
「ははは、深読みしすぎだよお。俺にそこまでの考えはなかったね。ただね、知り合いの写真の先生が個展みたいなのを開くから、ついでに何か出さないかって言われて、とっさに自分が好きな植物をいろんな角度から撮ってみたくなったんだ。確かに一枚一枚撮った時の心理状態はそれぞれ違ってたと思うけど、俺が感じてたのはむしろ感情の波立ち具合かな。フレームに収まる映像が変わるだけで感情の具合が少しずつ変わっていくんだ。その推移を一つの波の満ち引きみたいに表した、というのが正確かな。」
「おおそうか。俺は大げさに言いすぎたね。」
「雄太らしいんじゃない?」
「あはは。」
 大炎の壁は、下から半分くらいまで濃い茶色の木の板で敷き詰めてあり、それより上はクリーム色の塗装がされていた。その壁に規則的に窓が開けてあり、その窓から外を見ると、駐車場の灌木が風で大きくなびいていた。いつの間にか、同じ作業着を着ていた六人組の男たちはいなくなっていた。
「写真を撮るときって孤独なのか孤独じゃないのかよく分からないんだ。」
友人が言った。
「風景とかと一体になったようにも思えるんだけど、逆に自分は風景からはじき出されたようにも思える。レンズの向こう側とこちら側には大きな断絶があるようにも感じるんだ。」
「孤独かあ。俺もそれに似た孤独を感じるよ。相手は風景じゃなくて人間だけどね。俺もいつもレンズのこちら側にいて、向こう側にいる人たちと交渉できないように感じるんだ。つまり、俺は一生懸命レンズ越しに人を愛するんだけれど、レンズの向こう側の人達には俺が見えていない。俺は愛されないんだ。最近「二都物語」って映画を観たんだけど。あのディケンズ原作のね。」
「ディケンズ?」
「「クリスマス・キャロル」を書いた人。」
「ああその人。」
「その主人公のカートンって奴がまるで俺にそっくりなんだ。「俺は誰からも愛されない。楽しみは酒だけだ。」って言うんだ。そいつがルーシーっていう女の人に恋をして愛の告白をするんだけど、そのとき、「俺は何も見返りは求めません。あなたは姿も心も美しく俺とは不釣り合いだ。」とのたまう。それでルーシーの夫の身代りになって処刑されるんだけど、それはルーシーを愛してたからなんだ。その時の彼の台詞。「俺は今まで誰からも悲しまれないと思ってた。でも今ならだれかが悲しんでくれると思う。」俺の心境もそんなもんだよ。孤独と自己否定と空虚さ。俺は歪んでるんだ。」
「雄太は歪んでないと思うよ。むしろ真っすぐだ。今まで人に裏切られたりしたかもしれないけど、そのときも真っすぐに振る舞って来たんだと思う。」
友人の言葉は少しずつ私の感情に満ちてきて、それは涙となって私の眼をじんわり潤わせた。だが私はここでは泣くまいと踏ん張って、何とか弱弱しく言葉を継いだ。
「まあよくわかんないけどね。」
友人の言葉はまぶしすぎた。私はまぶしくて目を覆ったが、一方でその光にとてつもなく惹かれた。目を覆った手の指の隙間から、怖々と光をのぞいては、すぐにまた目を覆った。

作品名:Reborn 作家名:Beamte