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てっしゅう
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novelistID. 29231
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「哀恋草」 第三章 吉野山

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「お心遣いありがたき幸せに感じ入ってございます。我らはすでに兄弟のごとく仲良くさせて頂いておりまするゆえ、父上様にはご安堵してくださいませ。我ら二人は客人ではござりませぬゆえ、何なりとお手伝いさせていただきとうございまする」

作蔵は大きく頷いて、みよの顔を見ながら、
「こちらのお二人はみよと同じように娘と思うて、暮らしていただこうぞ。良いのう?」
「はい、父上、みよも望む所でございます。久どのは姉上、光どのは私が姉・・・そうなってございまする」

作蔵はその言い方が可笑しかったのか、大笑いをした。そうか、三人は兄弟なのか・・・もう、と言って喜んでいた様子が、久の目に焼きついた。光の目にも焼きついた。後白河の平氏追討の宣旨が出された元暦2年(1185)の二月まで、久と光は穏やかな生活を作蔵とみよの下で送っていた。

作蔵は勝秀と同じぐらいの齢であろうか、背丈は六尺ほどもある大きな体躯をしていた。山での力仕事になれたと思われる締まった筋肉の持ち主だった。久は作蔵がこの山奥で身体の弱っている妻と暮らしていることが、哀れに思えていた。思いの人、勝秀の性欲を顧みても、作蔵のそれはより強かろうと思えたからだ。

しかし、作蔵は出来た人物だった。久には本当に娘のように振舞ってくれていた。まして色目を使うような行為は決してなかったのである。久は、勝秀のように男を感じる事はなかったが、その優しさと力強さに大きな安心感を感じていた。自分たち親子にとってこれほど頼もしい事はない。久はここでの暮らしが永遠でも構わないと、考え始めていた。

しかし世間の荒波は遠くから久たち親子をゆっくりと飲み込もうとやってきたのである。年が明けて元暦二年二月、源義経は数百の兵を引き連れ京を発った。播磨の国に腰をすえていた平氏の拠点を裏山から夜襲し散々に後退させる勝ち戦だった。この時にわずかな船で、維盛主従は福原(神戸)の港から小船で紀州に逃げてしまった。平氏の本体は宗盛の指揮の下、屋島に兵を退けた。幼い安徳天皇と平氏一門の運命は風前のものとなりつつあった。


作蔵は久や光それにみよのために新しい着物を買ってやりたいと街へ出かけて行くことにした。摂津や京のように華やかではないが、そこそこの生業を見せていた平城(奈良)の街へ吉野の兄が行きつけの反物商を訪ねた。当時は通貨がそれほど重要な役割をなしておらず、物々交換や絹などの織物で高額なものは取引されていた。

林業を古くから営み、豪商として聞こえの高かった作蔵の兄は、京から絹織物を支払いの対価として預かり資産としていた。他にも朝廷筋から鏡や掛け軸、書など朝廷への献上品なども下賜され、保管していた。中でも鏡には目がなく、たくさんの収集を楽しみとしていた。兄は作蔵と違い、女性(にょしょう)好きで知られ、集めた鏡はその数だけ歴史があった。

炭を兄に託して朝廷や豪商などに商いをしてもらっていた作蔵は、兄から支払いに絹や書を貰っていた。その反物商から三人と妻への4品を買い求め、吉野の兄の許に立ち寄ってから帰ってきた。久も光もみよもその綺麗な反物に夢中になっていた。三人はそれぞれに好きなものを選び、縫製を母様に頼んだ。身体は弱っていたが、針仕事は一流の母様であった。新しく加わった娘達のために着物を縫う事は、今出来る最高の幸せだと日々感謝している母でもあった。


弥生3月は吉野の山が桜色に染まる。作蔵は妻を残して4人で花見見物に出かけた。朝から山菜のおこわを作って手提げ籠に詰め、山道を吉野川まで下り、六田の渡しを越えて大峰連峰まで裾野は下千本、中腹は中千本、そして山頂付近まで上千本と名づけられた、たくさんのシロヤマザクラが咲き誇る、名所に着いた。まだ麓の桜しか満開になってはいなかったが、その美しさに、久も光もこの世の極楽に見えた。

この当時は行楽の名所として栄えていたわけではなかった。山岳仏教のご神木として奉納され続けた結果桜がこれほどの数になっていった。今は3万本といわれるシロヤマザクラだが、当時はまだ数千本の桜の数だったと思われる。それにしてもその美しさにこの時期訪れる見物客はちらほらと居た。

昼時になって4人は持ってきたおこわを桜の木の下で食べた。心地よい薫香が漂う中、この世には争いごとなどなかったような穏やかでゆったりとした時間が過ぎて行った。作蔵は後で兄の所に立ち寄ろうと3人に話した。雪解け水を大量に運んでいる吉野川の川音を聞きながら野鳥の声や風の音に耳を澄ませ、自然が織り成す雄大さに時間を忘れる久と光の二人だった。


「さあ、出かけるとしよう。今宵は兄のところで泊めてもらおうぞ。夜道を帰るのは物騒じゃからのう。いずれ世話になるかも知れぬから、久と光はよしなに頼んでおくとしよう。齢50にしてなかなかの色男じゃが、気が強い男ゆえ機嫌を損ねぬよう言動にはご注意なされよ」

そう言い聞かせて、吉野川沿いを上手に歩き始めた。民家がなくなり、辺りが山道に差し掛かってきた辻を川とは反対に曲がり、小高い丘の上にそれは立派な瓦葺の母屋が姿を現した。馬屋と納屋のある堂々とした家だった。門をくぐって中庭にその人の姿が見えた。作蔵は近寄り声をかけた。

「兄上、参りましてございます」
「よく来た。そちらが申しておったお三人だな・・・」
覗き込むように顔を見て、
「なかなかの器量良しのお三人じゃのう。中に入られよ。共の者があないするで、遠慮無しに寛がれよ。今宵はごゆるりなされ明日発つが良いぞ、のう作蔵・・・」
「そのつもりでございます。お世話かけまするな、兄上」
「何を水くさい、この世で二人の兄と弟。無礼は許さぬが、遠慮は無しで過ごされよ。娘子たちも愉しまれるが良い」

三人は頭を下げてそれぞれ名を名乗り居間に上がりこんだ。兄の従者と思われる若者が椀を運んできた。葛湯である。その滑らかな舌触りと美味しさに三人は感動した。一かけらの桜の花びらを浮かした風情がその美味しさに華を添えていた。吉野はまた葛の産地でもあった。


「これは葛湯といって、葛の根から作った粉を湯で溶いたものじゃ。滋養があるで女子には良いそうじゃ」
「葛・・・でございますか、初めて食しましてございます」
久はこのような山奥に京にも劣らぬ美しい桜と、上品な頂きものがあったことに驚きを隠せなかった。都人は金持ち公家や帝、豪商などだけが風流を楽しみ、庶民や武士、商人達はごく普通の貧しい暮らしをしていたのだと、改めて知らされた。

久は葛湯と今宵の接待に感謝の意から、いままでずっと封印していた、勝秀よりの手鏡を作蔵の兄に献上した。

「此度は我らがお世話になり申し厚くお礼申し上げまする。この品は私の主勝秀より預かりし一品、お気に目していただければ幸いにござりまする」
そう言って、久は上座に座っている作蔵の兄一蔵(いちぞう)に手渡した。

「礼には及ばぬぞ・・・どれどれ、ムム!こ品は・・・何という事じゃ!帝にまつわる品物・・・どこで主は手に入れられたのか?」
「はい、主は、後白河様に仕えておりました。頂き物は武功の礼にだと思われまする」