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後ろ姿の少年に7 【後ろ姿の少年に】

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  【後ろ姿の少年に】

 あれから三十年近い月日が流れた。

 わたしのまわりにも、そしてわたし自身にもいくつかの変化が生じた。母は祖母が亡くなったあと、ひとりでは、いよいよどうすることもできなくなった農家をたたみ、別の土地に引っ越した。その費用や今後の生活資金をまかなうため、住んでいた土地と、農地の約三分の一を手放した。先祖伝来の土地を手放すとき、母は「父ちゃんに申し訳が立たない」「父ちゃんさえいてくれたら」と繰り返した。
 だが、からだをこわしている母だけでは、農業を続けるどころか、広い畑に雑草を生やさないようにしていくことさえ難しかった。姉やわたしが一人前になって、仕事につき、生活を軌道に乗せるまでは、しばらく土地を切り売りしていくしか方法はなかった。ただし、母は土地が人手に渡っていくのを、ただ茫然と見送っていたわけではない。その苦しい思いの代価として、姉とわたしに身の立つような教育をつけさせてくれた。わたしはこのことを本当に感謝している。

 その後わたしたちの住んでいた土地には、三軒の住宅が建った。

 まだ土地を手放して間もない頃のことである。ある日の夕方、母とわたしは住んでいた場所の見納めに出かけた。わたしが遠い大学に合格し、その地方へ旅立つ前の日のことだった。夕方の薄もやの中で、かつてわが家のあった辺りに眼をこらしても、何ひとつ見つけることはできなかった。こいも、豚小屋も、豚小屋の脇にあった便所も、かつて水を汲んだ井戸も、夏に涼しい陰を作り冬に緑の葉を残す、家のまわりの数多くの木々も、もはや残ってはいなかった。地面はきちんと整地されて目の前に黒々と広がっていた。ただ、小型のブルドーザーと木を切り倒した後の切り株だけが残っていた。

 わたしは清々としていた。必ずしも良いことばかりあったとは言えないこの場所が、いや、いっそ、苦しみと悲しみばかり強く心に刻まれたこの場所が、すっかりなくなり、明日(あした)わたしは新しい土地へと旅立って行く。わたしの心は、まだ見ぬ土地と生活を思って喜びに昂揚していた。

 だが、母は違っていた。切り株の上の土を、幼子の頭でも撫でるように丁寧に払って、ゆっくり腰をおろし、がらんとした地面を黙って見つめている。おそらく、土地を手放したことを後悔しているのだ。しかし、わたしに母をなぐさめる言葉はなかった。この土地に縛られ、この土地で苦労し、この土地を恨んだ母が、なぜ土地を手放したことを悔むのか、わたしには全く分からなかった。わたしは母のそういう態度に反発さえ感じた。母とわたしはそれぞれの思いを抱きながら敷地をひとめぐりすると、黙ったまま家に戻った。

 翌日、わたしは遠い大学へと旅立った。

 わたしの新しい生活が始まった。目に見、耳に聞き、手に触れるすべてのものが新しい、大都会に暮らし、大学の講義に出席し、日々新しい人々に出会い、そして何人かの新しい友だちができた。だが、わたしは新しくなっただろうか。残念ながら、過去を忘れて新しい気持ちで出直すことはできなかった。それどころか、初めてする自己紹介のとき、同級生の話す言葉の一つひとつに違和感さえ覚えた。彼らの言葉は知的で抽象性が高く、しかも語彙が難しいうえに独特のレトリックもあるから、ひどく大人びて聞こえた。

 大学の自治活動か何かの問題を話し合う際に
「ぼくたちは、たまたま物理的に同じクラスに集められているだけで、議論をするための集団ではないんだから、みんなで意見の一致を見る必然性は、本来的にはないと思うな」とか
「その話は理論的には可能だけど、技術的には無理だね」とか言われても、わたしには何のことか、さっぱり分からなかった。

 彼らの言葉はわたしの言葉と違っていた。もちろん、彼らとわたしが別の日本語をしゃべっていたわけではない。一つひとつの言葉の用法も、文章の意味も、わたしは、ほぼ分かっていたつもりである。ただ、彼らの言葉が、どうしてもわたしの心に響いて来なかった。それはおそらく、彼らの言葉の背景にある経験と、わたしの言葉の背景にある経験に、共通するものがなかったからのように思われる。彼らの言葉を聞きながら、わたしの経験が、彼らのものと、いかにかけ離れていたかを、わたしは事あるごとに意識せずにはいられなかった。

 わたしは、彼らの前で自分の言葉を使うことを、次第に控えるようになった。そうして自分も彼らの言葉をしゃべりたいと思うようになった。なぜなら、その言葉は、何よりもまず議論の言葉であり、その頃の学生には、何かにつけ自分の意見を持って、仲間と人生万般を論じなければならないという脅迫観念のようなものがあったから、もしその言葉を操れなければ、友人との交際においても予想以上に肩身の狭い思いをしたのである。そのうえ、それは大学の講義や演習の言葉ともつながりがあって、是非とも覚えないわけには行かなかったのだ。

 幸い、大学の四年間で、わたしは彼等に混じって、何とかその言葉を使うことができるようになった。だがそれなら、わたしの言葉はいったいどうなってしまったのだろうか。わたしはその言葉を忘れてしまったのだろうか。ここでも、残念ながら、というべきだろう。
 わたしはわたしの言葉を忘れることができなかった。いくら、わたしが彼らの言葉をまねてしゃべれるようになっても、わたしには、いつも、これは自分の言葉ではない、自分にはどうしても彼らとは根本的に違った何かがある、という頑なな思いがあった。そうしてわたしの言葉は、彼らとわたしを確実に遠く隔ててしまったもののようである。わたしは、どこにいても、自分だけが人と違っているのだという感覚に苦しめられた。あるときは、逆に、その感覚あるがゆえに自分は自分らしいのだとさえ思うこともあった。

 わたしは不機嫌になった。友だちと楽しく話しているときでも、話している自分の内側に別の言葉が現れ、わたしの本当の言葉は、ほかの人々には決して分からないのだと告げるのだった。そんな様子が時々外に現れたのかもしれない。あるとき友だちの一人はこう言った。

「おまえ、一人で歩いているとき、どうしてあんなこわい顔をしているんだ?あれじゃ、もてないぜ」

 わたしは動揺した。自分の心を見抜かれたと思った。もちろん、友だちの言った通りに、もてたいと思っていたわけではなかった。いや、もてたいと思っていないわけでもなかったが、それとわたしのこわい顔とはとりあえず関係がなかった。友だちも、あるいは、軽い冗談のつもりで言ったのかもしれなかった。だが、実にその言葉は、わたしの心の奥底の一番痛いところに届いていたのである。

 わたしを人と違わせ、苦しめている、その言葉とはいったい何だったのだろうか。

 それはよくよく煎じ詰めてみれば次の一言につきていた。

『人はどうしてこんなに悲しいのか』