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サザンクロスの見下ろす町

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 慣れた足取りですいすいと進むヴィオラを、真理絵は必死に見失わないようにしていた。二週間以上もここに滞在しているものの、アジア人の顔つきということで妙に視線を感じることは特になかった。しかし個人的には、こんなところで迷子にでもなったら怖くなってしまいそうだった。平均身長が日本よりも明らかに高いここでは、ちょっと歳が上に見える人であっても、たとえ女性でも見下ろされる。
 夕日の色も薄くなるこの時間帯。前を歩く金髪が止まった。誰かと話している。なるべく人にぶつからないように早足でたどり着くと、彼女と話している人物が目に映った。知らない男性だ。小太りでそんなに背が高くないおかげで、ヴィオラが余計に細く見える。
「あ」
 その男性に隠れるように立っていた女の子を見て、真理絵はとぼけたような声を出した。彼女も真理絵に気付いたらしく、目をしばたいてじっと見つめてくる。その表情が綻んで、「先輩!」と叫ぶのに時間はかからなかった。
 後輩の伽耶という子だった。ということは、この男性は伽耶の滞在している家の父だ。その彼とヴィオラは、彼女が真理絵のほうに来ようとしているのを見て、そっと道を空けてくれた。小走りにやって来た伽耶は、嬉しそうに話しかけてくる。
「先輩も来てたんですか!」
「うん。道路にもたくさん車停まってて、びっくりしちゃった」
 平日はこの町の高校にあるプレハブを借りて、真理絵達語学研修生だけで授業を受けている。その内容のほとんどは英語でしか行われることはないが、休憩時間や昼食時はみんな日本語で雑談する。だから別に、日本語を固く禁止されているわけではなかった。
 それなのに、流れるように出てくる母国語は話していて気持ちがよかった。思っていること、感じている事を、的確に相手に伝えられる。何より相手も同じ国の人だから、文法を堅苦しく守る必要もない。
 日本じゃ、道端で外国人同士が彼らの言葉で喋っているのを見ると、一体何を話しているんだろうとよく気になっていた。今は自分が、その気にされる側になっていると思うと、真理絵はなぜか気分が上ずった。
 お互いの家のことや、休日にどこへ行ったかなどを聞き合っていると、ヴィオラがぽんぽんと肩を叩いてきた。名前を呼ばれると予想していたので、真理絵には少し意外だった。きっと久しぶりの会話で、熱中していたのかもしれない。
 ――そろそろ行きましょう。早めに場所をとらないと。
 徐々に増えていく人だかりと、空の半分以上が黒に変わっているのを見れば、なんとか拾い上げられた単語から推測しても、そんな感じのことを言ったんだろうとわかる。真理絵は返事をして、伽耶に別れを告げた。
「それじゃ伽耶ちゃん、また」
「じゃ、先輩、明日学校で。さようなら」
 数歩歩いただけで、伽耶と男性はすぐ見えなくなってしまった。ヴィオラは人ごみを抜け、川沿いの遊歩道に出る。
 川辺、と言うより、やはり海のようだった。川と公園のあいだは、コンクリートの港のように段差がついていて、みんなそこに腰掛け足をぶらぶらさせている。
 二人分の隙間は、案外早くに見つかった。先に陣取っていた人達に割り込むような形になったが、こういう行動をとるにも、真理絵は嫌悪感をあまり感じないようになっていた。ここでは遠慮し過ぎるのは、逆に失礼なのだ。
 腰を下ろし一息つくと、ヴィオラが川底をライトで照らし、見てごらん、と真理絵を促した。車の鍵を開けるのに、手元を明るくするためのペンライトだ。おそるおそる前かがみになって覗き込むと、比較的浅い川の中で、たくさんのカニが歩いているのが見えた。目を凝らすと、石に見えていたものもカニがじっとしているだけだったりもする。
 と、風船が当たったような衝撃を背中に感じる。そんな軽い感覚だったのに、真理絵は反射的にへりをつかむ手を握り締め、「わっ」と声まで上げていた。
 ヴィオラはそれを見て、からからと楽しそうに笑った。彼女がからかい半分で押してきたのだ。過剰な真理絵の反応に、笑わずにはいられなかったのだろう。
 真理絵は直後こそむっとしたが、どこか子どもっぽい彼女の振る舞いは、今に始まったことではない。つられるように破顔してしまう。自分は今、純粋な明るい感情だけで笑えている。そう感じるほど、ヴィオラの笑い声は屈託がなくて、温もりがあった。
 川向こうに見えていた巨大なクレーンの影も、すっかり闇に塗りつぶされた。工業地帯らしいその地からの電灯が、川面のゆらめきを映し出している。真っ黒な細長い影が水上を動いているのは、花火を上げる舟らしい。真理絵は、ささやかな波の揺らぎと真っ黒な夜空を、何度も交互に目に映す。何もない空をずっと見上げているのもつまらないし、川を眺めている時に一発目が上がって、見逃してしまうのももったいない。
 ヴィオラはペンライトの明かりを頼りに、腕時計の文字盤を確認している。その頻度か短くなっていったので、真理絵は開始時間が迫っていることを察した。彼女から外した目線は迷わずに、星も現れ始めた虚空へと泳いだ。
 数え切れない密集した光の粒が見事な円を描いたのは、まさにその瞬間だった。水も人も、目の覚めるような明るい緑で染め上げられる。開花とほぼ同時に響いた爆音は、腹にまで轟きはしなかった。
 続けざまに赤、ピンク、青の花火が咲き誇り、落ちる火の粉は小さくなって暗闇に飲み込まれていく。しだれ柳を思わせるものも上がり、ぱちぱちと音を鳴らしながらしばらくのあいだ空中に留まっていた。
 海の向こうの地面を歩いたのは、真理絵にとっては今が二度目だった。しかし一度目は、今のように生活に密着した過ごし方はしなかった。学ぶための旅行、という建前もあったせいか。彼らと間を置いたところに立っていて、彼らの様子をテレビを見るみたいにただ眺めているようだった。買い物もしたし、現地の学校にも行った。それでも、自分はそこにはいないような、ふわふわした感覚が消えなかった。
(そっか。花火って日本だけのものじゃないんだよね)
 今年も八月になったら、家族で花火大会を見に行くんだろうな。去年見たその花火に比べると、眼前のそれは小ぶりだった。ほとんどが単色で、二色混ざってたりするものは少ない。
 なんか物足りないな。花火が一旦おさまり、真理絵は見物客を見渡した。ほとんどが家族連れなのはやっぱり同じだ。大人も子どもも、食い入るように空を見つめる表情はやわらかく、こちらまでつられて口角が上がってしまう。
 その内の一組が、すっと立ち上がった。何か買いに行くのかな。真理絵は最初そう思ったが、全員川に背を向け、立ち去っていってしまう。それを追いかけるように、他の人達もぞろぞろと屋台のほうへと歩いていく。
(えっ、もしかしてこれで終わり?)
 慌ててヴィオラを振り返ると、彼女も立ってズボンについた汚れを払っているところだった。始まって三十分も経っていないというのに。
作品名:サザンクロスの見下ろす町 作家名:透水