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第11

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※ここが俺の章の中で一番つまらないよ
 読んでもつまらないしココから読んでも意味解かりませんよ。※

 僕は2008年2月に、長崎刑務所を満期釈放されたこの4年近くの

拘禁で手紙の1通もなければ、面会すらない僕は一人、満期日に

刑務所の堀を出て誰も迎えにこず寂しく、行く所がないので実家を

目指した家に辿り着くと母親が空とボケて、あら、いつでてきたと?

などと冷めた口調で語りかけてきた僕は、とてもいたたまれない悲

しい感情に心が支配されたなぜ笑顔の一つでも向けて、出迎えて

くれないのか?・・・・

その日から僕は生活費に、困憊し、母親と、喧嘩してやっと4年ぶりに

1万円を借りた、仕事ばせろ!男のくせに、寮なんかあるところで働け

母さんも、お金のなかとに、どげんせろて言うとね!せからしか!

あんたに貸しても返してくれんたい!僕は今日やっと刑務所から

出てきたばかりやっけん、金のなか頼むけん少しでよかけんが

貸してくれろ!4年ぶりに美味いもんでも食べたいし

酒も、タバコも、女も欲しか!こいじゃなんも出来ん!云々と

やっとこさ1万円を借りた、しかし1万じゃ4年の空白の溝を

癒す事の出来ん!と、愚痴を呟くと母はお前が悪かことばしたけん

やろうが!母さんに責任のあるとや!と叫ばれた・・・・

僕は心のなかであると、思いつつも口にはださなかった

この小説第1章から詳述したものを、母は理解できないし口に出して

説明しても理解しようとしない。 

而して僕はこの1万円で0からのスタートを切った。

なけなしのこの金は4年間、山積された雑用費用に瞬く間に飛んで行き

僕が4年ぶりに食べたものはチョコレートと、アンパン、コカコーラ

だけだった本当は、焼肉、寿司、ステーキ、此処まで贅沢で

なくとも、せめて外食くらいしたかった、けれど雑用費に奪われ何も

美味しいものを食べれなかった、それで金が無くなり親と喧嘩して

母親は、なんでこの前に貸した1万円を、すぐに使い果たすとか!と

怒号したので、僕はヤクザは

刑務所から出てきたら、酒、女、金、車、と家族、仲間で祝うと!

でも、おいはなんや1万しかなか!4年も男として、務めばしてきたと

に誰も喜ばんし、迎えてもくれん!と心の内を少し吐露した。  

そして金策に奔走し、妹に電話しても、出ないし、祝いの言葉

すらないもう一人の妹も同様、仕方なく僕は市役所へ相談しに行き

僕は窓口で家に戻りたくない、住むところがない、金もない

なんとか助けてくれと懇願した、すると生活保護の手続きをするが

申請に一ケ月ほどかかると

言われ、取り合えずこのお金を貸しますと3千円を貸してくれた僕は

この3千円で1週間くらい実家で、親と揉めバトルしながら暮らして

いた4年抑圧されて解放されても、あまり変わらない・・・・

虚しい、寂しい、苦しい、辛い、切ない、と、僕は2008年2月3日に

4年近くの刑期を終え、僅か20日後の2月23日に、寂しく虚しく

孤独で死んでしまおうと、睡眠薬二百錠を飲み干し部屋で、練炭を

燃やし眠った・・・・

が気が付くと病院のベッドの上で、ペニスにはチューブが突っ込まれ

接続されていた、母は目覚めたときは、いたけれどすぐに僕をおいて

帰って行った、母に経緯を尋ねると僕は裸で、台所に倒れていたので

救急車を呼んで僕は丸1日眠っていたらしい、妹達2人は私達も来ない

といけないのか?等と言っていたらしいが、結局はこなかった

僕が刑務所で毎晩、滂沱の涙を流しているのに、手紙の一枚もない

刻苦を嘗めて苦労し、自殺を謀っても、薄情な僕の、家系は昔から

子供の頃から孤独だった、事はコの小説第1章からで既に触れている。

僕は家に戻りたくなくても、しかたなく帰るしかなかった

嫌な想い出ばかりある、あの家に、すると役所の人が僕を呼び出し

暫く安静の為に(漫画ブラックジャックによろしく!の舞台)西脇精

神病院に入院しないか?と勧められ、僕はその精神病院を訪ねること

にしたしかし病院まで行く交通費がない困った・・・

僕は雨の土砂降りの中、家出をするような、いでたちで、大荷物を

抱え実家近辺のセブンイレブンで、うろたえていた、するとそこに

1台の車が駐車し中で青年が携帯電話をかけていた僕は上述の

説明をした所その青年は気さくに僕を、病院まで乗せて行ってあげる

とトランクを開き重い荷物を、青年は自ら積み僕を4キロもある

病院へ送ってくれた僕はこの青年に感謝して、ありがとうと伝えた

今でも感謝しているこの場をかりて、ありがとう、たすかりました。 

そうして僕は西脇精神病院へ辿り着き、緊急入院となった

病名は自傷行為に、反応性鬱病らしい・・・・ 

僕は入院して、家に戻りたくないのでアパート探しに東奔西奔して

物件を見つけ、契約した、ここでは1ヶ月入院をしたが

僕の主治医は、まだ若く経験も浅くて僕の心の訴えを曲解しまともな

アドバイスもなく、或る時は、先生曰く、私が入院を許可したので

君に生活保護が降りたんですよ!と、勘違いも甚だしい恩着せが

ましい言辞をはき、担当のケースワーカーも僕のことを胡乱げな顔で

対応し僕の意図に、逆行する病院であって癒してくれる事はなかった

し同じ入院患者とも仲良くなり、友達になり深く話しをして行くと全

く僕と同感であると皆が言う。

あとに詳しく話すが、ここに覚醒剤で心を壊し、助けを求めて入院し

てきた29歳の美人女性がいたが、その子もこの病院は

救えず放置した。 

僕は此処であの女神、初恋のあずみを、忘れさせてくれる女性と

知り合った僕はこの12年、刑務所を往復しつつも、出所後の僅かな

時間の中でたった1人の女性と付き合った、彼女は高校生の男の子と

中学生の子持ちの34歳の女性で、いわば不倫で僕に旦那に飽きて

離婚したいと打ち明けられた、僕が佐賀少年刑務所を出所した

折の2000年頃の僕が28歳の時である、彼女とは10回くらい逢瀬した

が僕の心にはあずみが、居座って離れないこの34歳の女性には

僕の心の中の女神、あずみを消す力がなく僕は燃えずに、単なる肉

体関係だけの虚しい行為でしか認識できず、僕は自殺を繰りかしつつ

未遂に終わり、同時に万引きを行なった、僕を熱く燃えさせる女が

現れないあずみ、以外は考えられずに、現在38歳になるまで、生気を

喪失して刑務所を流転した僕を刑務所に、堕ちない様にしてくれる

人間友達、女がずーっと現れなかった14年間・・・・

でも僕はこの、あずみの呪縛から封印から、僕を解き放ち解放して

くれる女性と10年目にやっと出遭えた・・・

僕は、はるみという女性患者と10年ぶりに、恋をした僕達は互いに

惹かれ話をし入院生活も20日頃僕と、はるみは、病院生活の短い

時間制限の中を掻い潜り、隙をさがしては病院の敷地内にある公園の

晴れた太陽の燦々と射す青空の空間で2時間も3時間も2人で隠れて

熱いキッスを交し合い時には彼女の病室に僕が潜り込んで
作品名:第11 作家名:万物斉同