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篠原 楽園の君に

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その人間は、いくつになっても夢見るような眼差しをしている。まるで、遠いどこかが見渡せるように、焦点をぼかしている。穏やかで、春の陽だまりのようにやさしい微笑みを口元に浮かべ、庭に目を遣っている。
「おまえ、泥棒が来たって気づかないだろうな?」
「ああ、いらっしゃい。盗られるものがないから、別にいいんじゃないですか?」
「もう、いいのか?」
「ええ、ようやく・・・帰してもらえました。実家で散々に叱られて来ましたよ。」
「当たり前だ。・・・すぐに、麟とジョンも来るぞ。快気祝いをやるんだってさ。」
「細野は?」
「ちょっと遅れるけど来る。おまえがやりっ放しにしておいた仕事の所為で、あいつは連日泣き見てたぞ。具合が悪くなるんなら、もうちょっと後のことを考えて倒れろ。」
 三週間前、予告もなく、こいつは倒れて入院した。体調不良というよりも、かなり悪い状態だったのか、すぐに退院できたのに実家に戻っていた。それが家に帰りますと連絡が入ったので、様子を伺いにやってきた。
「あー、あれは・・・ちょっと手間取ったでしょうね。各部門と折衝中だったから・・・ということは、細野のお小言もあるのかぁ。やだなあ。」
「やだなぁじゃねぇーよ、若旦那。ちったぁ、自分の身体のことを考えたらどうなんだ? いくら、細野だって他人なんだぞ。健康管理の範囲だって限られてるんだからな。」
 その言葉に、ああ、と頷いた。そして、また庭に目を遣って、近々、科局は辞めますと洩らした。
「・・・先生にも言われました。ちょっと働くのは無理になってきたので。」
「おい」
「・・・よく保ったでしょう? さすがに、この間は自分がびっくりしました。・・・何の兆候もなく、いきなりこられたら、僕だって予防のしようがない。・・・家でのんびりとさせてもらうことにします。」
 それが、どういう意味なのか、橘は知っている。本人だって、承知している。それは、もうすぐ、こいつがいなくなるということだ。
「実家に帰ってたのは、そういう訳か?」
「ええ、ちょっと・・・ひとりでは危なくてね。別に、何もなかったんだけど。」
「よく笑っていられるな? 」
「え? 深刻ぶっても仕方ないでしょう。・・・すいませんが、後のことは、お願いします。細野のことは松本さんに頼んであります。」
「・・わかってる・・・その話はするな。」
 予め決まっていたことだった。それでも絵空事だと思いたかったのだ。十年付き合った友人が、そのまま元気で一緒に退官まで働けると信じていたかった。




 それから、再び出会った。少し線は細くなっていたが、やはり夢見るような瞳だった。
「妹の夫ということは、僕の弟なんですねぇ、橘さん。」
「五月蝿いよっっ、おまえは。・・・ったく、そういうことなら、はっきり、そう言えばいいじゃねぇーか。散々っぱら、泣かせやがって。あいつは頭おかしくなったと思ったんだぞっっ。」
「ちゃんと、妹は説明したと言いましたよ。信じてなかったのは、橘さんじゃありませんか? まあ、信じろというほうが無理だけど。」
 クスクスと笑っている。でも、こいつは地球の重力に負けて寝込んでいる。こちらで治せないから治療に出向いて、完治して慌てて戻ってきたのだ。こいつの妹が、絶対に元気になった姿を拝ませろと、無理遣りに約束したからだ。完治したが予後治療までしている間がなくて、こいつはフラフラとしている。それでも、こんなに時間がかかった。とんでもなく遠い場所へ出向いたことはわかる。ウラシマ効果が物語る時間の流れが、それを教えるからだ。
「それで?」
「もう住めませんから、顔だけ出して、あちらに帰るつもりでしたけど・・・」
「駄目だ。一回、送ってやったんだから、今度はおまえが妹を送ってやれ。そんなに時間はかからない。なにせ、ババアだからな。」
「でも・・・僕は・・このままなんですよ。」
「仕方ない。あいつ、三年前から若いもんが着る服なんか買い始めて・・・ずっと待ってたんだ。寂しい思いをさせてたはずだ。最後ぐらい送れ。送ったら、どこへなりと行けばいい。」
 ずっと待っていた妻のことを考えたら、胸が痛んだ。信じているには、あまりにも長い時間だったに違いない。それに、夫はおかしくなったとばかり思っていた。後少しというところで、ようやく待った甲斐を酬われた。それなら、そのまま天国まで送ってほしい。
「頼むよ。あいつが今でも可愛いと思っているなら・・・すぐに消えるなんて言わないでくれ。」
「・・・橘さん・・・」
「あいつの約束は、それも含んでるはずだ。おまえ、四十年なんて時間が、どんなに永いかわからないだろう? 長いんだぞっっ。」
 耳元で怒鳴りつけたら、びっくりして目が大きくなった。障害は取り除かれたから、これから送るぐらいの時間はあるはずだ。
「聡さん、お兄ちゃんは具合が悪いのよ。怒鳴るなんて、やめてちょうだい。」
 声が聞こえたのか、妻が走り込んできた。ついで、こいつの女房もやって来た。
「雪乃、慌てることはなんだろ? ゆっくりしていけるんだよな?」
 実質的に、その決定権を握っているほうに直談判する。こいつを生かすも殺すも、女房次第だ。
「そうね。体調が思わしくないから、滞在させていただけると有り難いわ。」
「なら、決まりだ。」
 くるりと向きを変えて、人差し指を突き付けた。
「篠原、まずは俺の死に水だ。それから、愛だ。いいな? せいぜい、体力つけておけよ。・・・重力ごときに負けてたら、俺の棺桶は担げないんだからなっっ。」
 ゆっくりと夢見るような瞳は自分を睨んだ。それから、ふっと細められる。こいつにとっては、一年二年の感覚しかない時間だ。治してもらって戻ってきた。それでも、同じ時間軸には戻れない。だから、あの時で友人としての時間は終わったのだ。
「・・・居ても、いいんですか?」
「もともと、おまえのうちだよ、ここは。」
 雪乃、と自分の妻の名を呼んで、目を伏せた。ええ、とだけ妻も返事をする。
「まだ、担げませんから、せいぜい長生きしてください。できる限り、こちらにいます。」
「できる限りじゃなくて、俺ら夫婦が消えるまでだ。」
「でも・・・十年も二十年も年を取らない地球人はいません。橘さんは長そうだ。」
「引っ越すさ。この家売り払えばいい。・・ああ、麟が隠棲してる場所がいい。あそこなら、他人はいない。・・・とにかく、身体を治せ。」


 とんでもないことを言った自覚はある。でも、どう考えても自分が先で、妻が残る。ひとりぼっちで眠るなどということは、できれば回避してやりたい。
「聡さん」
「・・・俺は謝らないぞ。」
 居間に妻がやってきた。非難轟々だろうと予測はついていた。
「お兄ちゃんが笑ってたわよ。とんでもないことを命じられたって。・・・でも、なんとかしてくれるみたいです。雪乃さんがそう約束してくれました。」
 ほっと内心で安堵した。随分と年を重ねて、草臥れた妻になったが、それでも少女のように嬉しそうに微笑んだ。
「ずっと、夢に見てたのよ。・・・あのままのお兄ちゃんが逢いに来てくれる夢を。いつも、何て迎えようって考えてたの。」
作品名:篠原 楽園の君に 作家名:篠義