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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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あやかしの棲む家

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 夕焼けが蒼く染まろうとしている。
 ついに克哉は動き出した。
 まだ穴を覗く気にはなれない。そこで音を頼りにすることにした。
 床の埃を払い耳を近づけ澄ませる。
 音が聞こえた。規則正しい何かを叩く音だ。
 もうしばらく聞いていると、女の声が聞こえてきた。
「菊乃さんまだですのぉ? わたしお腹が空いてしまったわ」
「申しわけございません慶子様。今日は捌く量が多かったものですから」
「静枝さんのせいね」
 会話の最中だったら覗いても平気かもしれない。
 克哉は意を決して穴を覗き込んだ。
 そこにいたのは心惹かれた侍女とはじめて見た女だ。眼鏡を掛けたこの女は二〇代後半くらいだろうか。
 どうやらここは台所らしい。
「静枝さんはすぐに玩具を壊してしまうものだから、わたしはもっと楽しみたいのに」
 声から察するにこちらが慶子と呼ばれたほうだろう。だとすれば侍女のほうが菊乃だ。
 二人はまだなにかを話している。だが、克哉の耳には遠い声に聞こえた。克哉の意識は別の場所にあったのだ。
 まな板に乗せられたあれはまさしく……。
「こんな物のどこが美味しいのかわたしには未だにわからないわ。わたしは殺すのが楽しみだから」
 慶子はそれを見てそう言った。
 身体の芯から克哉はぞっとした。
 菊乃はなんの躊躇いもなく、それから肉をそぎ落として調理する。
 それ以上は見ていられなかった。
 恐怖はあったがこの調子で別の穴も覗く事にした。
 まずは音を確かめる。物音と気配がした。けれど天井近くからではない。
 そっと穴を覗き見ることにした。
 どうやらここは食堂のようだ。
 勝手口で見た侍女が配膳の用意をしている。その脇に寄り添うようにいる幼女。克哉はその幼女の頭に目を凝らした。
 ――角だ、角が二本生えている。
 まるでその姿は鬼だ。
 角に見えるだけで瘤かもしれない。それにしても異様な位置にある瘤だ。
 ふっと角の少女が天井を仰いだ。
 克哉は眼があったような気がした。だがこんな小さな穴で眼が合うはずがない。
「どうしました、るりあ?」
 勝手口の侍女が角の少女――るりあに尋ねた。
「…………」
 るりあは何も言わず首を横に振って、天井から眼を離した。
 気づかれたのだろうか?
 ほかの住人は克哉に気づいているのか?
 気づいていて知らぬ振りをしているのか?
 まだ誰も屋根裏には来ない。
 油断を誘っているのか?
 不安はいくらでも生まれる。
 克哉は次の穴を覗いた。この穴は前に覗いたことがある廊下だ。
 廊下の向こうから少女の影がやってくる。
 美花か美咲、どちらかだろう。
 そのとき、廊下の横の部屋から激しい物音が聞こえてきた。
「うるさいわよ!」
 美花か美咲の少女は物音のした戸に向かって叫んだ。
 音は静かになる。
 克哉はさらに目を凝らした。
 物音がした部屋の戸に赤い札が貼られている。
 封印されている部屋に誰かいたのか?
 いたからこそ物音がしたのだろう。そして、美花か美咲の叱咤で静かになったのだ。
 ここで克哉はふつふつと恐怖が沸いてきた。
 蘇る恐怖。
 こちらを覗いていた眼。
 あの眼を見てしまった部屋だったのだ。
 赤い札のあった部屋はもう覗くまいと誓った。
 そして、屋敷の中を歩いたときの記憶をたぐり寄せた。
 赤い札のあった部屋はどことどこにあったのか?
 ――正確には思い出せない。
 穴を覗く前に赤い札の部屋を把握する必要がありそうだ。
 今の時点でほかに覗けそうな穴はないか?
 この屋根裏の入り口があった部屋だ。
 さっそく克哉はその部屋の穴を探した。
 屋根裏の来たばかりのころは気づかなかったが、やはりこの部屋にも穴があった。
 克哉は気配を探った。人の気配がするような気がする。話し声や物音は聞こえない。覗くか覗くかまいか迷うところだ。
 なにがあろうと驚かないと心に決め、深呼吸をしてから克哉はその穴をそっと覗いた。
 少女が机に向かって読書をしているようだった。美花か美咲か、瓜二つなので見分けは付かない。
 先ほど見た少女とこちらの少女。たしかに雰囲気が違う。姿形は同じでも、そこでどうにか見分けられるかもしれない。
 しばらくようすを伺っていると、戸の奥から声が聞こえてきた。
「美花さま、失礼してよろしいでしょうか?」
「どうぞ瑶子さん」
「はい、失礼します」
 勝手口で見た少女――瑶子は部屋に入ってきた。
「お薬がまだのようなのでお持ちしました」
 瑶子はそう言って盃が美花に渡そうとした。
 本にしおりを挟んで美花は怪訝そうな顔を瑶子に向けた。
「もう飲みたくありません」
「そんなことをしたらお体が……」
「本当にそうなのか、試してみなくてはわかりません」
「美咲さまも静枝さまも飲んでいらっしゃるのですよ?」
「そうですね、それが当たり前のように。わたしはこの家で生まれ、この家で育ち、何の疑問を抱かずそれを飲み続けてきました。しかし最近になって思うのです。それを飲む行為は正しいことなのか」
「そうおっしゃらずに」
 瑶子は盃に朱い液体を注いだ。
「飲みたくないと言っているでしょう。これからは食事もお母様やお姉様とは別の物にしてください。食事を摂るのもこの部屋です」
「そんなこと静枝さまがお許しになるはずが……」
「今日のところは具合が悪いとでも伝えておいてください。あとでお母様と話をしてみようと思います。どうぞそれを持って行ってください」
「失礼いたします。しかしこれは部屋の隅に置いておきますから」
 瑶子は部屋を出て、正座をしてから一礼して戸を閉めた。
 部屋の隅に置かれままになった盃と銚子。美花はそれを見つめ続けている。克哉も同じように見つめた。
 あの朱い液体はなにか?
 美花の躰が震えはじめた。
 視線は盃に注がれたまま美花は何かに葛藤しているようだった。
 拳を強く握り、歯を食いしばっている。
 それも長くは続かなかった。
 美花は盃と銚子に駆け寄った。
 そして注がれていた盃に手を掛けたのだ。
 美花は泣いていた。
 泣きながらその朱い液体を一気に飲み干した。
 さらに銚子から盃に朱い液体を注ぎ、銚子が空になるまで飲み干した。
 美花の口元から朱い液体が垂れている。
 指でそれを拭った美花は、しばらく眺めたあと、指事それをしゃぶった。
「……できなかった……我慢できなかった……意志ではどうにもならない本能なのね」
 美花はぐったりと壁にもたれかかった。
 あの朱い液体が克哉の想像するものであれば、それはおぞましい行為であった。
 しかし、今目の前で泣いている少女は、すぐにでも抱きしめてあげたかった。
 美花の葛藤は克哉にも伝わったのだ。
 静かに克哉はその穴をあとにした。

 陽が落ち、空は月明かりに照らされていた。
 椅子に腰掛け休憩をしていた克哉は蝋燭に火を点けた。
 克哉はその場を移動して食堂の穴を覗く事にした。
 食事の頃合いを狙うつもりだった。その時間であれば、この屋敷の住人が多くその場に集まっているはずだ。まだ知らぬ住人がいるかもしれない。
 まずは耳を澄ませてようすを探る。小さな物音がいくつか聞こえる。女の話声も聞こえてくる。