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拝み屋 葵 【壱】 ― 全国行脚編 ―

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「よく分からんわいねぇ」
 首を傾げる少年を余所に、葵は紙切れにさらさらと奇妙な紋様を描き出した。その手慣れた様子からは、相当な回数をこなしていることが窺い知れる。
「よっしゃ」
 葵は描き上げた紙を自慢げに見せた。
「か、何?」
「これな、“正直札”いうねん。ええから右手の親指出してんか」
「じゃまないけど、何?」
 少年は言われたまま素直に差し出す。
「わっ こそがしい」
 葵は少年が差し出した親指に毛筆で赤い液体を塗りたくった。
「ほれほれ、ここに捺しつけや」
 ぺたりと捺印させると、葵は満足気に笑った。

「♪ててててってて〜 正直札〜」

「……」 少年は何の反応も見せなかった。
「……」 葵は何かを待っている。
「……」 少年は何の反応も見せなかった。
「……」 葵は何かを待っている。
「……」 少年は何の反応も見せなかった。

「ツッコミはないんかいっ!」
「え……?」
「ほら、あれや! 腹にポケット付いとる青いタヌキのアレや!」

「あー」 少年は何かを思いついたようだ。
「……」 葵は何かを待っている。
「……」 少年はよく分からないのでとにかく微笑むことにした。

「『ネコや!』いうツッコミいれんかいっ!」

 アブラゼミの大合唱がピタリと止まる。

「も、ええわ。とにかく、これを持っておけば素直に正直な気持ちが口にできるっちゅうステキグッズやねん。これ持ってお母はんに謝るとええよ」
「きのどくに」
 少年はぺこりと頭を下げて、葵から一枚の正直札を受け取った。
 それとほぼ同時に高速バスが停留所に到着する。
 バスの乗降口が開き、タラップを降りる足音が聞こえてくる。カンカンと鳴る甲高い音は、女性が履くヒールのみが出せる音だ。
「ほら、はよ行きいな」
 葵は道具を片付けながら、少年に声を掛ける。
「うん」
 少年は最後にもう一度だけ深くお辞儀をして、バスに向かって走り出した。
「かぁか! 堪忍してま!」と叫びながら。
 葵はその背中を見て悲しげに笑ったが、次の瞬間には表情が消えていた。

 ―― 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前

 葵はそう唱えながら、人差し指と中指を揃えた右手で四縦五横を切る。
 彼女の眼前に描き出された九字紋と呼ばれる格子状の印は、少年の背中に吸い寄せられるように真っ直ぐ飛んだ。
「九字は一切の不浄を払う。魂をこの地に縛る悪霊よ、退け」
「かぁか……かんにん……」
 ごう、と風が吹く。だがその音が人間の耳に届くことはない。
 少年の身体はキラキラとほのかな輝きを発しながら色を失い、やがて透けて消えていった。
「あら? いまの子、地縛霊だったのね」
 高速バスから降り立った女性は、特に興味があるわけではないのだけれど、といった風情であっけらかんとしてそう言った。
「あんた……」
 高速バスが発進する。他に降りる客はいなかったようだ。
 丈長のワンピースに薄手のカットソー。素足にピンヒール。襟足の後ろ側で緩く編まれた髪がそのまま前に垂らされている。物静かで朗らかな優しいお姉さんといった、葵とはベクトルが正反対な印象を与える。
「なんや姉さんやんか。もしかして、依頼人いうんは姉さんかいな?」
 葵が姉と呼んだ女性は、首を少し傾けてにこりと笑った。
 姉と呼んでいるが、二人は血を分けた姉妹ではない。彼女は葵と同門で学んだ姉弟子なのだ。
「仕事を手伝ってもらうつもりだったけど、たったいま止めたわ」
「そか。ほんならウチこれから用事あるさかいに」
「待ちなさい。葵」 脇を抜けようとした葵を呼び止める。
「なんですのん」
 葵は不快を示す表情を隠そうともしない。
「さっきのやり方は、同門としても姉としても見過ごせないわ」
「隙を見せた瞬間に捕縛して、子供の魂に憑いてた悪霊を払ったんやけど、何か問題でもありましてん?」
「あの子は母親に謝りたい一心で留まっていたのよ」
「なんや、知ってはったんかいな。ほんならもっと早う姉さんの手で救えたのと違いますか」
「私はボランティアをするつもりはないの」
「ほんなら、口も出さんといてください」
 葵は歩を進めて姉の脇を抜け、二人は背中を向け合う形になった。
「あんな強引なやり方はないわ。あの子は悪霊に負けていなかった。母親に謝ることさえできれば、自力で成仏できたはずよ」
 葵はひっそりと微笑えんだ。姉の本心が分かったからだ。姉の言葉はあの少年に対する思いやりと慈愛で満ちている。
 葵は足元に落ちている紙切れ―少年に持たせた“正直札”―を拾う。
「姉さん、相変わらずやね。もう少し素直になったほうがええよ」
 葵はたったいま拾った紙切れを、姉の肩口から差し出した。
「なによ?」
「ウチは姉さんがおったから厳しい修行もよう逃げださんと耐えれたんや。お師匠はんがウチに身元不明の依頼を受けさせるんは、姉さんからのSOSかも知らんと思とるからやねん。お師匠はんも、姉さんの帰りを待っとるさかい」
「葵……」
「その札のせいでいらんこというてしもたわ。これな、心を素直にするお守りやさかい。姉さんにも効くと思うで」
 葵は強引に札を渡す。
「これ……式の契約……あなたまさか、あの子と!?」

 式とは“式神”のこと。それは陰陽師たちが従える使い魔のこと。使役するには力づくで調伏する方法と、合意の上で契約するなどの方法がある。
 詰まるところ、この札があればあの少年の霊を呼び出すことができるというわけだ。
 あの少年の母親の前で。

 あの少年がこの世に留まるためには、少年自身が悪霊と化すか、すでに地縛霊と化した悪霊の力が必要だった。母親の捜索に時間が掛かり、少年と地縛霊の結合がかなり進行してしまった。少年と地縛霊を分離するには地縛霊を払うしかなくなったのだが、少年も一緒に払われてしまう可能性があった。上手く分離できたとしても、今度は少年が地縛霊に成り果ててしまう可能性もあった。
 そこで、少年を自分に取り憑かせる方法を思いつく。あとは、誰かに母親の前まで連れて行ってもらうだけだ。彼女はそれを葵に頼もうとしていたのだが、その必要はなくなってしまった。

「葵……あの、ね……その……」

 彼女は妹弟子である葵に抜かれ、腕を磨くために師の元を飛び出した。葵の力を認めつつも受け入れられない、そんな悶々とした日々を送っていた。そんな経験が、いまこの場で言うべき言葉を発することを邪魔していた。
 何か理由があったわけではない。負けを認めるのが悔しかっただけ、ただそれだけのこと。
 だからそれは、ほんの些細なきっかけさえあれば、意外なほどあっさりと乗り越えられてしまうものだ。

「姉さん、もっかい言うで。 それは“正直札”なんやで? ウチを嘘つきにせんといてや」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。


 ―― ありがとうね

 拍手喝采を送るかのように、アブラゼミの大合唱が二人を包んだ。


               ― 正直札 了 ―