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父の肖像

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『父の肖像』

実家の仏間に父の肖像写真が飾られている。眼鏡をかけ、どこか冷ややかで、澄ましたような顔をしている。亡くなってから三十年以上の時が経つが、写真を前にすると、自然と遠い昔の出来事が色鮮やかに蘇ってくる。幼い時に海に連れられて行ったこと、父の退職、大学進学、父の入院と死。いろんなことがあったが、あまり会話をしたことがない。会話こそなかったが、その度にいろんな思いが自分にはあった。だが、父はどうだったのだろう? 写真を前にすると、「俺をどう思っていた?」と問いたくなる。

その日の朝、いつものように顔を洗い、言いつけられた家の掃除を終えると、庭に出てみた。
強い日差しが容赦なく降り注ぎ、庭の緑の灌木も、隣の家の黒い屋根瓦も、強い日差しの中で金属のような光沢を帯び輝いていた。見上げれば、空も硬い青に染まっている。セミの鳴き声もかまびすしい。そよぐ風さえもない。立っているだけで自然と汗が流れる。何もかも夏色で、その日が猛暑になることを予感させた。
「ヒデオ、これから海に行くよ。何を驚いているの? ずっと、『海に行きたい』と言っていたでしょ。だから、今日、行くことに決めたよ」と母が楽しそうに話かけてきた。
確かに、夏休みになってから毎日のようにせがんでいた。母は父と相談して決めたのであろう。八月初旬の日曜日、父、母、自分と弟の四人で海に行くことになったのであるが、当日の朝になって初めて言われた。
「さあ、早く、ごはんを食べなさい。みんなで出かけるから」
 慌てて、食卓に向かうと、二歳年下の弟のアキラが先に食事をしていた。
食事を終えると、柱時計が午前八時になったことを知らせた。すると、既に出かける格好をしていた父が、「行くぞ」と号令をかけた。
麦わら帽子を被りリックサックを背負って家を出た。
母は弟の手を引き、自分は父に引かれて歩いた。会話もなく、強い日が差す中を、ただひたすら海に向かって歩いた。
昭和三十年代、まだ小学校四年生頃の話である。広大な水田に囲まれた僅か百戸足らず寒村は、今も昔も四方を見渡しても水田しか見えない。そんな村の貧しい一家族が、ただひたすら海に向かって歩いたのである。それは、江戸時代だろうと、明治時代だろうと、昭和三十年代だろうと、さほど変わらぬ光景であったに違いない。
厳しい夏の日差しの中で、水田を縫うような道をただひたすら歩き続けると、一時間ほどで海の手前にある低い山の入り口に着く。さらに一時間くらい山道を歩くと、海に着くが、下り坂になると、松林の隙間から海が見えてくる。生まれて初めて海を見た時の感動を今も忘れることができない。海は空よりもさらに青く、まるで絵具の青のような混じりけのない青だった。
海が見えてから、胸を躍らせて浜辺に向かった。浜辺に着くと、さっそく海に入る支度をした。支度が済むと、すぐに父が手を引いて海に入ろうとした。
波打ち際に来たときである。目の前で、大きな波が大きな音を伴って崩れる。想像したよりもはるかに大きい。そんな大きな波が次々と襲ってくるのを目の当たりにして、急に怖くなり、父の手を振りほどき後ずさりしてしまった。もう一度、父が手を引く。だが、一度、芽生えた恐怖心が簡単に消えるはずはなく、同じように手を振りほどき、後ずさりした。
「海に行きたいから、連れてきてやったのに」と呆れた顔で父は見る。
「入りたくないのか?」と父が問いかけるが、言葉が出ない。
自分の子供が臆病であることをまるで知らないかのように、「海に入らんのか?」と不機嫌そうに繰り返す。
近くでは、弟が母と手を取り合って楽しんでいる。いや、母と弟だけではない。浜辺も海も人だらけで、みんな楽しげに遊んでいる。
父はさらにもう一度手を引き、海に入ろうとするが、やはり後ずさりをする。
「せっかく海に連れてきてやったのに」とぼやき、咎めるように見る。
何も言えず、立ち竦んだまま父を見ると、父はほとほと呆れた顔をしている。
波打ち際から少し離れた砂浜に舟が置いてある。父はその舟のところに連れて行き、「入らないなら、ここに居ろ。いいか、離れるな」と言った。
 父はめったに感情を顔に表さない。何を考えているのか、何を思っているのかもあまり語らない。そんな父が冷ややかな視線で見る。間違っても愛情からではないことはすぐに分かった。その視線が子供心にどんな心理的な影響を与えるのか、特に気にすることもなかったのだろう。だが、この件がきっかけとなって、生涯、父を好きになることはなかった気がする。
「いいか、離れるな」と繰り返すと父は母と弟のところに行った。
一人だけ残された。舟にもたれて、三人が波打ち際で遊んでいる姿をただ眺めていた。

「やっつけろ! もっとだ!」
父は大のプロレスが好きだった。普段は感情を滅多に表さない父も、プロレスのときだけは感情を露わにしてテレビの前で叫ぶ。
金曜日の夜八時になると、一人、テレビの前に座り、まるで子供のように興奮しながら観る。
殴り合い、蹴飛ばす。すさまじい喧嘩みたいなプロレスのどこが面白いのか、全く分からず、あるとき、「こんなの面白くない。チャンネルを替える!」と言って替えたら、近くにいた母が珍しく厳しい口調で、「いいじゃないの。プロレスを見させてあげなさい」と怒った。母の怒りに恐れをなし、直ぐに元のプロレス番組に戻した。それ以来、金曜の夜八時はテレビの前に座ったことがない。

 新潟の燕市には、たくさんの金属工場や洋食器工場がある。父が勤めた小さな洋食器工場もそこにあった。実家から工場まで汽車を使って片道、ゆうに二時間近くはかかったであろう。定年退職するまでの三十年間近く休まず通い続けた。どんな日でも母が作った弁当を入れたリックサックを担いで、朝早く家を出て工場に向かった。そんな父を見て、働くことの厳しさのようなものを知った。
小学校の低学年の頃、昭和三十年代の冬のことである。その冬は長く厳しかった。来る日も来る日も吹雪というのも珍しくなかった。その日も凄まじい吹雪だった。夜が明けきらぬ時刻に出かける父を、母と一緒に見送った。リュックサックを背負った父が玄関の戸を開けると、雪が凄まじい勢いでなだれ込んできた。荒れ狂う闇の中に父の後ろ姿がふっと消えた。その時、働くことに厳しさを初めて教えられた気がする。その後ろ姿は今も瞼に残っている。
仕事を終えると、父は真っすぐに帰ってくる。着替えが済むと、直ぐに夕食をして、一合の酒を静かに飲む。夕食を終えると、風呂に入り早々と寝る。
新聞も本も雑誌も読むところを見たことがない。それもこれも字が読めないせいだと思っていた。無論、聞いたことはなかったので、本当のところは分からなかったが。そんな父がプロレス以外、何の楽しみで生きているのか分からなかった。
 
あまり語ることのなかった父だが、胸の奥にあるものを、自分の前で吐露したことがある。祖母の法要が終わった後のことである。仏前で父がポツリと言った。
「わがままな女だった。俺が小さい頃に家を出た」
作品名:父の肖像 作家名:楡井英夫