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一生懸命頑張る君に 1

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Episode.4 半年の壁 part3




『口に出して、伝えなきゃわっかんねえよ』
そう、はっきりと琥瑦は言い放った。
琥瑦は真っ直ぐに武隆を見詰めた。
(そういや、琥雨はそういう奴だったな…)
武隆は、昔を思い出していた。

―――…
武隆と琥瑦がまだ共に走りつづけていた頃。
ちょうど今日とは全く正反対の天気だった。
暖かい光が武隆と琥瑦を真っ赤に染め上げている。
「今日も、武隆には負けたなあ」
いつも通り練習して、その帰りだった。
「たった0.01秒差じゃ、勝ったとは言えないよ」
「…試合はたった0.01秒差でも決まっちまうじゃねぇか」
愚痴を言うように琥瑦は溜め息をついた。
(いつもなら、こんなこと言わないのに)
武隆はぼんやりとそんな事を考えていた。
二人の影はより長くなっていく。
琥瑦の方が微妙に長くなっている。
(琥瑦の方がいいじゃあないか)
武隆はそう思った。
足は速い、背は高い、たくさんの友達がいて、勉強はぼちぼちだが、才能に溢れていて…。
特に走ることに関しては。
武隆は琥雨の才能に負けないように、必死に努力した。
それでも、琥瑦はやはり強かった。
武隆は負い目を感じていた。
そんな事を考えていると、琥瑦はいきなり、くるりと振り向いて、こう言った。
「お前は良いよなあ」
武隆は自分で言ってしまったのかと焦ったが、それは琥瑦の方だった。
まるで心の中を見透かしていたかのようだった。
琥瑦は続けた。
「武隆は、やろうと思ったら必ずやるしなあ」
琥瑦は、ただただ笑ってそう言った。
空が赤みを増して、陰影を強めた。
ただ、琥瑦がこのあとなんと続けたかはぼんやりとしてよく思い出せなかった。


(なんで今そんな昔の事を思い出してんだろう)
あの時、『お前は良いよなあ』と思ったのは、琥瑦の方だけだっただろうか。
武隆は意味もなく、泣きたくなって、うつむいた。
外は依然、雨が降りしきっていた。
『言わなきゃ、わっかんねえよ』
琥瑦は、確かにそう言った。
武隆はもう、琥瑦には言えないと思った。
それは、その日の朝の事だった。

―――・・・
朝だというのに、空のご機嫌はあまりよろしくないようで、空にはどぼんとした灰色の塊が浮いていた。
今にも落ちてきそうである。
武隆はいつもどおり起きて、ランニングの準備をした。
ストレッチをしながら、武隆はふと、身体の調子がいつもと違うことを感じていた。
(いつもより伸びねえな)
だが、あまり気には留めなかった。
低気圧が近い。きっとこれもそのせいだろうと武隆は考えていた。
外にでると、ポツリポツリと降ってはいたが、武隆はゆったりと走り始めた。
まだ朝の五時。明るくならず、ただモノトーンの世界が広がっていた。
武隆は正直、体がだるいと感じていた。
なんとなく蒸しているのにも関わらず、どこか寒気を感じる。
武隆は小さい頃から、身体が余り弱い方だったとはいえ、陸上をしているうちにそれは克服されたと思われた。
だが、何かおかしい。
ぼんやりとして、身体が言うことを聞かない。
武隆はぼんやりとただ走っていた。
(引き返したほうが、いいのかな)
そう思い始めたとき、前方に、小学校の時指導してもらったコーチ、秋田勝が見えた。
秋田コーチ!
声を掛けようとしたが、その前に秋田の方が振り向いた。
「工藤くん!」
彼はとてもはきはきとしていた。
武隆は、具合の隠すように笑って、お久しぶりですと答えた。
でも長いつきあいだ。
すぐに見抜かれてしまった。
「顔色悪い気がするんだけど、気のせいか?」
武隆ははきはきととそんな事無いですと答えた。
「走れます。だから大丈夫です。心配無いですよ」
だから…
そう続けようとした。
武隆はそのあとの言葉を考えてもいた。
しかし、彼の意識は、宙へと消えてしまった。

起きるとそこは病院だった。
外は雨が強まっているのか、窓に当たる雨水がひどく音を立てていた。
武隆の意識は、白い天井とうるさく響く雨音のみ。
武隆自身、何があったかぼんやりとしか覚えていなかった。
突然、声がした。
「...武隆が...そんな..いくら身体が弱いからって.....なんで...なんでうちの息子が.....ッ」
母の声だった。
武隆は、ところどころ聞き取れなかったが、一つだけ分かった。
自分は母親にまた心配を掛けてしまった、と。
武隆は、母が自分のことで、隠れて泣いていることを知っている。
琥瑦との一件も然りだ。
武隆は自分のおかれた状況が把握出来ない。
頭がぼんやりとする。
(そういや、秋田コーチは…)
武隆は思い出そうとしていた。
母の泣き声はただただ響くだけ。
病院は静けさの中に、雨音を混ぜていた。
武隆はふと起き上がろうとした。
(あれ)
まるで力が入らない。
じたばたもがいていると、医者らしき人と、母が飛んできた。
「武隆ッ!」
母は嬉しいとも悲しいとも取れない微妙な表情で武隆を抱きしめた。
母さん。
武隆は小さな声で呟いた。
医者の人が電気をつけると、部屋の白さが不思議に浮き上がって見えた。
「武隆君、調子はいかがかな」
「体があんまり言うことを聞かない…です」
医者は微妙な表情をして、武隆と同じ目線で立った。
「…武隆君、信じられないだろうけど、君は―――…」
武隆は、目を見開いた。
「君はもう、走れないんだ」
雨はざあざあ音を立てる。

細かいことは分からなかったが、走れないということが分かっただけで充分だった。
入院が決まったらしい。
武隆はこの時、白血病にかかっていた。
あまり進んでいないらしいと武隆は医者から聞かされた。
武隆はただただ頭の中で走れないという事実が駆け回っているのを感じていた。
(もう、走れない)
気付けば武隆は一時的に帰宅していた。
母親はずっと泣いている。
いつの間にか帰ってきていた父親と話し合っている声が聞こえる。武隆はただただ空を見つめていた。
(結局、俺は琥瑦には勝てないってことだ)
雨模様は風邪のようにうつるらしかった。

「もう、俺は走れねぇんだよ・・・・ッ」
武隆は、声が震えていることに気付いた。
そして、なぜか告白している自分に気づいてしまった。
(なんで、琥瑦にあんなに言いたくなかったのに)
きっとそれは、いつも隣を走っていた琥瑦に見放されたくなかったから。
きっとそれは、そんな自分を見て琥瑦に幻滅されるのではないかと思ったから。
琥瑦はどんな顔で武隆を見ているのか。

雨は続く。

作品名:一生懸命頑張る君に 1 作家名:雛鳥