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ローザリアン

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 原稿が進まない。
 僕は何度目かになる溜息をついて、何杯目かもわからないコーヒーを飲んだ。書きかけの文章をじっと眺め、ペンを取り、またペンを置く。
 行き詰っていた。
 周辺の調査とインタビューは既に済ませてある。たとえどんなに小さな記事でも手を抜くなという信念に無理やり従わされ、僕は原稿を書いている。締め切りが遠いのが不幸中の幸いだったけれど、結局は不幸のど真ん中だから、ありがたいというほどではない。ただの延命措置だ。
 ウエイトレスが僕の隣に来て、何も言わずにコーヒーを入れていった。少し乱暴な仕草は、もしかすると僕へのメッセージなのかもしれない。気がつくと五時間ほど、レストランに入り浸っていた。コーヒーだけはいくらでも飲める所が気に入っている。それでも、僕ほど長居している客は他に見当たらない。湯気の立つカップを手に僕はまたペンを取った。残り数行も書けばこの原稿はひとまず終了だ。あとは上からのお小言と修正をいただいて、頭を下げながら改稿していくだけ。
 適当に終わらせてしまおう。僕はペンを走らせた。締めの文章だというのにやる気のない僕の文字は、紙の上をくねりながら文章をかたどり始める。どうもこの無気力さが、僕の仕事量に直結している気がする。つまり、少ない。毎月の生活だけで精一杯で、先のことなんて全く考えていなかった。ただ、売れるようになりたいとばかり考えている。それも曖昧な形で、ふわふわしている。
 そこまで自分でわかっていながらこの状態なんだから、本当に僕ってやつは情けない男なのかもしれない。いや、情けない男だ。ネガティブな思考が僕を支配し始める。
 すんなりと終わった文章は、そ知らぬ顔をして僕の前に鎮座している。
これでひとまずはおしまいだ。僕は鞄の中に原稿をしまうと、別のノートを取り出した。
 どこまで書いたかとページをめくるついでに、過去の流れを読み返す。そう、これは普段の原稿と違って長い。コラムじゃない。物語だった。僕の趣味……いや、いつか仕事にしてみせる。そのための準備の一環として、ライターの仕事をしているんじゃないか。気の遠くなる話だけど。
 話の流れを追ううちに矛盾に気付いて、修正していく。本当は全てを書き終えてから修正すればいいんだけれど、そうすると僕は気付いていた矛盾まで忘れてしまうからいけない。結局こうして途中で手を入れてしまう。どんな形であれ、書き終えることがまず一番重要だと自分を励ます。
 物語は単純。女と男の恋物語だった。
 昔の友人たちが聞いたら笑い出すかもしれない。他人と付き合うのが苦手な僕が、恋愛小説なんておかしい。自分でもわかっていた。ところがいざ書くとなると、これしか頭に浮かばなかった。奇妙な話だ。ファンタジックな冒険も宇宙を駆ける大きな船も、僕の頭の中には少しだって浮かんでくれなかった。
 台詞を書き始めて、ふと僕は手を止めた。女性の言葉遣いに疑問を持った。調べようもないし、今は聞ける相手もいない。ひとまず後回しにして、続きを書き始める。
 次第に僕の心に霧が現れ始める。よくない兆候だ。こいつが現れると、いつも原稿が止まってしまう。
 疑問の霧が僕の頭を包み始める。
 どうして主人公を女性にしたのか。僕は男なのに、女性のことがわかったつもりでいるんだ。身勝手に作り上げた女性に、果たして魅力はあるのだろうか。
 憶測で書いているこの女性は、本当の女性とはいえないのではないだろうか?
 僕はペンを置いた。
 だめだ。もう、今日はだめだ。
 ノートを鞄に入れ、立ち上がる。ウエイトレスの呆れた顔を見てしまい、更に落ち込んだ。ようやく立ち去る金のない客にせいせいしていることだろう。
 僕は適当な原稿と進まない物語を抱え、店を後にした。
 次はどこへ行こうか。
 というこれが、数日前の話。



◇ 最初の月曜日

「お客様、ご注文をお伺い致します」
 数日後の僕はウエイトレスの声で目が覚めた。緩やかな意識の上昇と筋肉の疲れ。
 眠っていたのだ。
 軽く伸びをすると、隅々まで生き返るような感覚に襲われる。一体いつからこうしていたのかと思い返すも、全く覚えていない。席につくなり眠ってしまったのだろうか。見上げるとウエイトレスは表情のない顔でこちらを見ていた。
「ええと、コーヒーを一杯」
「少々お待ちください」
 辺りを見回すと脚の細いテーブルがいくつか並んでいた。そうだ、ここは駅のカフェだった……大きなガラス窓の外は暗い駅の構内だった。窓に映る店内は椅子の数よりも客がずっと少ない。夜ということもあるのだろう。壁掛けの時計を見ると深夜十二時を回っていた。僕は腕時計も携帯電話も持っていない。時計は数ヶ月前、生活費の足しにしてしまった。携帯電話はそもそも持っていない。
それにしてもずいぶん遅くまで居座ったものだ。夜というより、夜中だ。
「こんばんは」
 声がした。
 向かいの席に、子供が座っていた。
 僕は身体中の毛穴が閉じたのではないかと思った。それぐらいびっくりした。目の前に子供がいるなんて思いもしなかった。視界に入っていたはずなのに、僕は今の今まで、この子を物のようにしか感じていなかった。
「ごめんなさい」
 子供がそういった。服装からも分かるけど、女の子らしい。シンプルな黒のワンピースに黒い上着、両手には黒の手袋をして深く帽子をかぶっている。これも黒。まるで葬儀帰りのような出で立ちだった。少女のくすんだ金髪だけが黒の中で異彩を放っている。うつむいていたので顔は見えなかった。ここで僕は先ほどの「ごめんなさい」が、驚かせてごめんなさい、ということだと気がついた。
「かまわないよ」
 と僕は言った。それにしてもこんな夜更けに、どうして子供が外をうろつくんだろう。服装からして、家出というわけでもなさそうだった。
「君どうしたの? お父さんは? お母さんは?」
「パパはお仕事」
 ママは知らない、と彼女は言った。父子家庭というやつかもしれない。
「ココア飲む?」
「お水のほうがすきよ」
 僕はウエイトレスを呼んで水を頼んだ。ココアよりはいくらか安い。ポケットの財布も安堵したことだろう。もしかすると彼女は気遣ってくれたのかもしれない。僕の服装は、どこからどう見ても貧乏人だ。コーヒーなんて頼むんじゃなかったな、と後悔した。頼まなければ、この子にココアの一杯でもご馳走できたのに。けれどもう遅い。
 ウエイトレスが水とコーヒーを持ってきた。彼女は水を受け取ると、めずらしいものを見るようにそっとグラスを受け取り、そっと水を飲んだ。
 よくよく見てみると少女の風貌は少し変わっていた。上着の襟に隠れて見えなかったけど首には包帯が巻かれていたし、手首にも巻かれていた。目深にかぶった帽子から見え隠れする顔は一箇所大きなガーゼを貼っている。傷の手当てを通り越して、素肌を見せないための処置にさえ見える。
「家出じゃないなら、君、迷子?」
 怪我をしているのかもしれないけど、重症というわけでもなさそうだし、辛そうにしている風でもない。今はそのことに触れないでおいた。少女は小さく首を振った。
「パパが帰ってくるのを待ってるの」
「今日帰ってくるの?」
 少女は再び首を振った。
作品名:ローザリアン 作家名:ミツバ