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小さな鍵と記憶の言葉

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第3章


3 広い広い、城のなかで  “A Castle and a Corridor”


「さて、アリスのお披露目の式――アリスのティーパーティー《大御茶会》についてですが」

 口の中でとろけるクッキーをいただいていると、ふいに執事長…三月兎が切り出した。私は白磁のカップを倒しそうになったのをギリギリで回避して彼を振り仰ぐ。

「ちょっと待ってください。私はまだアリスになるなんて」
 折角のクッキーにむせ返りそうになる。これもギリギリのところで堪えて、ケーキを更に盛り付けようとしている彼の手を止めることに成功した。
 ううん、勿論、そのブルーベリーのケーキは食べたいところではあるのだけれど。
「なんですって?」
 今まで一貫して穏やかだった彼の顔が僅かばかりの驚きに満ちた。それに少しだけ動揺を取られながら、それでもそれより気にしなければいけないことがあった。
 そうだ。《アリス》だ。済し崩し的にこの部屋に留まっているけれど、私は客人もしくは迷子であってこの部屋の主ではない。

「私はアリスじゃないんです。ただ頼まれただけ。フィンっていう人も、そのうち帰してくれるって言っていたし」
 言葉を選びながら、それでも簡潔にそれを伝えようと頑張ってみる。本当はアリスになるつもりなど少しもないのだけれど、そこは口に出さなかった。
 彼は噛み砕くようにして、自分の持つ疑問を私を通して確認する。
「白兎が、ですか?」
「ええと……はい」
「本当に?」
 三月兎の動揺がますます深くなる。と言っても、眉根をちょっと寄せるくらい。嘘をついている訳でもないのに、言葉に詰まってしまう。それでも懸命に、断片的に、フィンが言っていたことを思い出しながら証拠になりそうな文節を拾い出して、付け足していく。
 鍵を渡されたこと、この『ワンダーランド』を支えるために決意が欲しいこと、それから、それが嫌だとしても必ず家に帰してくれるということ。
 私の拙い説明の前に、ゆっくりと三月兎の困惑が消えていく。時折挟んでいた再確認の相槌は納得の頷きに代わり、最後には幾分かの間空を見つめ、何か心得たように深く頷いた。

「そうですか……いえ、彼が決めたのならそうなのでしょう。決定権を貴女に全て委ねたというのなら、私達も逆らうことは致しません」
 彼の顔にまた微笑みが戻る。少し残念そうなその暖かさに、何故だか後ろめたい気分になる。でも駄目なのだ。私はここの人間ではなくて、ただの、責任感を重荷に感じるような高校生なのだから。
 心の中で首を振って、意識して紅茶に再び口をつける。ミルクティーにしても香る芳しさがすぐに落ち着きを取り戻させてくれる。

「ですがまさか、彼が帰ることを赦すとは思いませんでした」
「何故? そんなに怖い人なの?」
「いいえ、そうではありません。寧ろ、彼は貴女に優しい」
 どこがかしら。いぶかしみながら、黙って彼の言葉に耳を傾ける。
「ですが、そうですね。ここにいる間は、それを言わないほうが良いでしょう。貴女が帰ると知れば無理にでも引きとめようとする者がいるかもしれない」

 三月兎の淋しさが、急に手に取るように明らかになる。さっきまであんなに朧げだった何かが、強く強く彼の内側から溢れるようだった。
 隠すこともしない、隠し切れない何か。
 それは『アリス』に対するものなのか、もっと別のものに対するものなのか。

「皆、大切なのですよ。失うことを怖れているのです」
 ただしその淋しさが、どうして浮かび上がるものなのかは分からなくて。

「それってやっぱり、命、とか」
「いいえ」
 三月兎はゆっくりと首を振った。

「私達には、それよりもっと大切なものです」

 この言葉の意味を、私が理解するのはもっとずっと後のこと。