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ギャロップ ――短編集――

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【逆らえない】



 帰宅して、かろうじてパジャマにだけは着替えて、風呂も入らずに布団に潜りこんだ。
 今日が休みだったから、アラームさえかけずに眠りこけた。目を覚ましたのが、午前十時。ゴミの日をすっかり忘れ去っていた。玄関に転がっているゴミは、ひとまずベランダに引越しだな。冬で良かった、と覚めきらない頭で思っていた。

 あと数日で年が変わろうという師走の末。快晴という言葉しか思い浮かばないほど、空はからりとしていた。
 心地よい温もりを手放すのは惜しかったが、布団から起きようと身体を捻ると、右ひざ小僧の皮膚が突っ張った。嫌な予感がしてそこを見ると、血が滲んでいる。完全に乾ききっているであろう血液は、パジャマと患部をくっつけるノリのごとく……剥がすところを想像して、眉間にしわが寄った。
 とりあえずそのままにして、トイレに入る。
 出た足でゴミ袋を掴み、ベランダへ向かった。日差しは黄色いけれど、窓を開けると冷たい空気が全身を包んだ。それでも、風がないから穏やかに感じる。いつまでもうだうだしている頭にはちょうど良かった。ピンっと背筋がはる。深呼吸をしてゆっくりと息を吐きだすと、白い靄が漂った。ベランダに放置してあるスリッパに足を突っ込むと、すぐさま寒気が押し寄せてきた。
 ベランダの隅にゴミ袋を捨て置いて、急いで部屋に戻った。

 あとはこれか……。右ひざ小僧を見下ろす。
 怪我をした事は、ちゃんと覚えている。いつもの帰宅路。寒さから逃げるようにして、早足で歩いていた。履き慣れた靴と、使い込んだカバン。障害は何もなかった。何もない平らな道で、盛大にこけたのだ。アスファルトとの喧嘩には到底かなわず、右のひざ小僧がずるりとむけた。
 洗って消毒して、絆創膏でもはっておけば――こんな事にはならなかった。
 洗面所の棚にある消毒液を取り出して、畳の上に転がっていた箱ティッシュとともに再びベランダへ。

 歯を食いしばり、一気に右脚のパジャマを引き上げた。我慢できずに湧き出てくる叫び声を、口腔内で押しとどめるようにして、荒い息だけを吐いた。その勢いのまま、患部に消毒液をぶっかける。今度は我慢せず、「うぐぉあー」と雄叫びを上げた。
 外気の寒さに加えて、消毒液の冷たさとアルコールの蒸発で体温が一気に持っていかれる。寒いし痛いしで、身体ががたがたと震えた。乱暴にティッシュをひっつかみ、流れ落ちている消毒液を拭う。勢いのあまり飛びだしてきたティッシュが一枚、手を離れ、ひらりと宙に舞った。ふわりと舞い踊り、くるりと一回転すると、あっという間にベランダに落ちた。

 こんなに軽くても重力には勝てないのだ。ティッシュが怪我をすることはないにしろ、必ず地に戻るのだと、至極もっともなことを考えて、ずきずきと疼くひざ小僧をみて笑った。



◆お題:『朝のベランダ』で、登場人物が『踊る』、『アルコール』
今回、人物はではなく物が『踊る』ことになりました。