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「月傾く淡海」  第五章 赭星の行方

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摂津国の枚方にある樟葉宮に辿り着いた息長軍は、とりあえずそこを仮宮と定めて落ち着いた。
 盟主である深海は奥殿に籠められ、真手王も常に傍らにつき従う。王の間にしては殺風景な室に入った二人は、武装を解いて久々に一息ついていた。
「……しかし、これが仮にも大王の宮とはな。まだ、息長の館のほうがずっと立派ではないか」
 古びた木造の室内を見回した真手王は、溜め息をつきながら言った。
「仕方ないさ。長い間、誰も使ってなかったっていうんだもの。でも、皆が掃除してくれたおかげで、随分綺麗になったじゃないか」
 深海は真手王を慰めるように笑う。
 彼らが到着した時には、蜘蛛の巣さえ張っていたのだから、それに比べれば住み心地は良くなった方だ。見栄えに拘わらなければ、それほど不自由はない、と深海は思った。
「だが、大変なのはこれからだぞ。お前は、大王として豊葦原の頂点に立たねばならぬ身なのだからな」
「……わかってはいるよ。だけど、未だに実感が湧かないんだ。まだ、不思議な夢を見ているみたいで……」
「おい、肝心なお前がそれでどうする。俺は、お前に全てを賭けているんだからな。--この命さえ、すべて」
 真手王は、深刻な面持ちで深海を見つめた。
「--うん。わかってるよ。だから僕は、お前の願いを叶えるために、立つ決心をしたんだ。真手王、これからもずっと僕の傍にいて、支えてくれるんだろう?」
 深海は信頼しきった声で、真手王に尋ねる。
「あたりまえだ。それこそが、俺の昔からの悲願だったのだから……」
 二人が信頼に満ちた目を見交わした時、室内に先触れが現れた。
「申し上げます。物部軍が、宮に到着いたしました」
「なに、物部の軍が? 随分早かったな。大連どのに、すぐにこちらへ来るよう伝えておくれ」
 深海は気を急きながら、先触れに指示した。
 ほどなく、荒鹿火が鎧姿のまま二人の前に現れる。
「--深海さま、無事に樟葉宮にお入りになられまして、よろしゅうございました」
 荒鹿火はひざまづき、床几に座した深海に向かって頭を垂れた。
「大連どのこそ、ご無事で何より。もっと遅くなられるかと思っていたが、速やかなお着きでしたな。それで、戦況はいかがでした!?」
「--は。少々手こずりましたが、瀬田川にて大伴軍を食い止めることに成功いたしました。我が方の犠牲は、最少にて押さえられております」
「そうですか、それはよかった……」
 荒鹿火の報告を聞くと、深海は微笑みを浮かべ、安堵の息をついた。
「……して、深海さま。これを……」
 荒鹿火は前に進み出ると、抱えていた朱塗りの筐を深海の足下に捧げた。
「大連どの、それは?」
「我が物部が代々司って参りました、大王の玉璽にございます」
 不思議そうに問うた深海に対し、荒鹿火は恭しく答えた。
「玉璽。これが……」
 深海は息を呑みながら、足下の筐を見つめる。
 この玉璽を持つ者のみが、正当な大王を名乗る権利を得られる。古より、幾多の覇者が目指してきた物。この大八洲・豊葦原の真なる人主たる証。
 それが、今この目の前に……。
「深海さま。どうか、その玉璽をもって、この樟葉宮にて新たなる大王としてご即位くだ
さいませ」
 荒鹿火は平伏して深海に言上した。
「ここで……即位を?」
「はい。正式な大王として、その正当な権威をもって大和入りを進めるのです。その方が、
この先敵軍と戦っていく上でも、我らに有利となります」
「そう……なのですか? --真手王、その方がいいのかな?」
 深海は、即位式を行なうのは、大和の宮入りしてからだと思っていた。
 しかし、ここで即位をと荒鹿火に勧められた彼は、判断のつかぬまま、傍らの真手王に助言を仰いだ。
「--そうだな。まあ、こんな見窄らしい所でというのは気に入らんが、一番重要な玉璽は我々の手にあるわけだし、大王を名乗ってしまった方が、確かに今後の戦略上は有利だろう。敵方の内部も切り崩せるし、民も味方につけられる」
 真手王は考えを巡らせながら、冷静に答えた。
「--わかったよ。真手王がそういうのなら」
 深海は真手王の顔を見て、納得したように頷いた。
「では、早速にも即位式の支度を整えさせますので」
 玉璽を置いた荒鹿火は、深海に一礼し、そのまま退出しようとする。
 その時、深海はふと思い立って荒鹿火を呼び止めた。
「あ、待ってください、大連どの!」
「何でございましょう、深海さま」
 下がろうとしていた荒鹿火は、立ったまま深海の方を振り返った。
「あの、姫は、ご無事ですか? 確か、彼女はあなたの軍におられたはず。稲目も気にしています。できれば、すぐにでもお会いしたい」
「……」
 荒鹿火は、厳粛な表情のまま立ち尽くした。
 彼はその眼に一度躊躇うような色を浮かべたが、やがて決然と口を開く。
「……深海さま。お気を落とさず、お聞きください。姫は、先の戦いのおり、自ら先陣をかって出られ--見事に戦いぬかれた末--壮絶な戦死を」
「姫が--あの姫が、戦死!??」
 喫驚し、激しく衝撃を受けた深海は、足下の筐を蹴飛ばして立ち上がった。
「そんな……ばかな。何かの間違いでは……」
「いいえ、我が軍の者が、確かに確認いたしております。姫のご活躍で、大伴を足止めすることができたのです」
「けれど……亡くなったなんて……」
 深海は虚ろに呟き、顔色を失う。
「深海さま。姫は、このような関わりになったのも運命だから、少しでも新王の為に役立ちたいと申されて、危険な役目を全うされたのです。どうかその意をお汲みになって、立派な大王としてお立ちください」
 深海を諫めるように早口で言うと、荒鹿火は足早に彼らの前から退出した。
 深海は愕然と、室の床に膝をつく。
「僕の……僕のせいだ。物部と大伴の争いになんか、なんの関係もない人だったのに。僕が息長に連れてきてしまった為に、あの人は、あんな若さで命を落としてしまったんだ……」
「別にお前のせいじゃない。大連どのも言われただろう。あの姫が、自分で望んだことだと」
 嘆く深海を横目で見やりながら、真手王は冷淡に言い切った。
「だけど、僕に会わなかったら、死ななくてすんだのは確かじゃないか!」
 深海は大声で真手王に向かって叫んだ。
「あの姫の血縁の人々がどれだけ悲しむか……そうだ、謝ろうにも、結局あの姫の真名や素性さえ知らないままだったんだ……」
 深海の全身を、重い罪悪感が苛んだ。
 本来違う道を歩むはずだった、通りすがりの人の運命を歪めてしまった。自分が、大王などというものを望んだが為に。
 この時、深海は初めて己が目指した物の大きさ--恐ろしさを、身に染みて思い知った。
 それは、深海の意志に関係なく、周囲のあらゆる者を飲み込んでいくのだ。無数の犠牲を出しながら、ただ一人に与えられる『高み』へとめざす道。
 「姫の死」という現実を突きつけられた深海は、改めてその奥に潜む深い闇に気がついた。それまで彼は、「大王即位」という事を、漠然としか思い描いていなかったのである。