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金木犀の手

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 私は彼女の思いやりのある寛容な態度にすっかり気を許してしまい、実に色んな事を話したのです。

 夜、私は長瀬さんの電話を待っていました。大体いつもかけてくるから、何となく待っていたのだけど、いつも仕事中に話すのを嫌がるので私はいつもこの時間に待つハメとなるのです。私は電話があまり好きではありませんでした。いつも思ってしまうのです。電話している時間があるなら会いに来れるんじゃないの? と。
 けれど、彼はいつでもお手軽な電話で済まそうとするのです。切ってしまえば、それで済むのですから。それで、私の付き合いは済むのですから。もし私が出なければそれはそれで仕方ないと思うのです。だから私は、いちいち電話を気にしながら行動しなければいけないのです。しかし、そんな行為は自然、待つ事気にする事によって相手からのレスポンスに心なしか期待をしてしまう事でもあります。その分の期待に応えられるくらいの電話でもないのが何となくわかっていて、待つのが本当に苦痛でした。
 店が終わる時間を過ぎても電話はかかってきませんでした。しばらくしてメールが届きました。「お疲れ様。疲れたからもう帰ります」私は急いで電話をかけました。しかしもう帰ると数秒前に送って来た長瀬さんはとうとう出ませんでした。仕方なくメールを送りました。
「お疲れさま。もう家なの?」
「今、人と一緒だから」
「そうなんだ。誰?」
 返答はありませんでした。私はもうかれこれ一週間近く会っていなくて電話だけだったのもあり、思わず長瀬さんの気持ちを無視したメールをしました。
「会いたいんだけど、会えない?」
「今日は疲れた」
「今日じゃなくてもいいんだけど」
「先の事はわからない」
「会いたくないの?」
「会いたいけど、予定は未定だから」
「私はずっと待ってるんだけど」
「もう疲れたし、人もいるから、そろそろメール終わりにするから」
 それっきり何も返ってきませんでした。頭の後ろでなにかがじわっと滲み出しました。私がなにか悪い事を言ったのでしょうか。いいえ。きっと。不倫の付き合いでは言っては行けないような悪い事を言ったのでしょう。シミが頭を満遍なく埋め尽くし、もう何も考えたくもありませんでした。一気に疲れて、虚しくなったのです。


「私、金木犀って大好きよ」
 会いたいのにその感情すら邪険に扱われてしまった長瀬さんの愚痴を、又しても彼女を訊ねて聞いてもらっていた時でした。不意に彼女が言ったのです。見ると、彼女の部屋の窓からは金木犀の木が見えました。今を盛りに咲きこぼれて、その甘い匂いを周囲に漂わせていました。ここまで匂いそうな程。いえ。ちゃんとさっきから匂っていたのです。
 彼女の部屋には、金木犀の花が渦高く小皿に盛られて彼方此方に効果的に配置してあったのです。空気までが、あの明るいオレンジ色に染まっているようでした。彼女はその中で本当にリラックスして、透明な貝の中にいるみたいに見えました。実際、白い指をゆっくりと確認するように1つ1つ組んでは広げてを繰り返している様は、本当に貝とかイソギンチャクなんかの類いを思わせました。濃くて甘い空気の中、その白く細い手を眺めていると、なぜだか気分が悪くなるようでした。
「もうダメかもしれないんです」
 濃い空気のせいでしょうか。まるでなにかに憑かれたように私は呟きました。
「そうなの・・・」
「長瀬さんが私の事をどう思っているのかが、わからないんです」
 彼女は笑っているような悲しんでいるような、何とも表現出来ない微妙な表情を静かにしました。
「でも、なにより家庭を大切にするあの長瀬さんが、あなたと付き合うのはよっぽどよ」
「それは、そうかもしれませんけど・・・」
「長瀬さんにとっては、それが全てなのよ」
「そうでしょうか・・・」
「羨ましいわ」
「どうしてですか?」
「私も経験した事あるから、そんな風に考えてしまう辛い気持ちとか何となくわかるの」
「そうなんですか?!」
 私は彼女も不倫の経験があると知って、急に更に親しみが湧いてきたのです。
「ええ。私は誰にも言えなくて、かなり辛かった」
「結局どうなったんですか?」
「私は選ばれなかったわ」
「そんなに魅力があって優しくても選ばなかったんですか?その男はただのバカですよ」
「ありがとう。でも、結婚している人と付き合うのはそういう事よ」
「そうだけど・・・」
 急に揺るがない現実を突きつけられた気がして、私は落胆しました。
「彼が家庭を選べば私が泣いて、彼が私を選べば奥さんとお子さんが泣いて。結局どっちも幸せになんて無理な事なのよ。誰かが必ず泣く事になるわ」
「それは・・・」
「仕方ない事よ。だって、あなたは長瀬さんと結婚したくないの?」
「え?結婚?」
 結婚。考えた事もありませんでした。一緒にいたいとは思うけど、それは結婚したいという事になるのでしょうか。それすらボンヤリしてしまいよく判断出来ませんでした。
「私は結婚したいと思ってたわ」
「考えた事もなかったです」
「じゃあ、最終的に長瀬さんとどうなりたいと思っているの?」
 何だか彼女の雰囲気が鬼気迫るものに感じてしまい少し怖くなってきました。最終的にどうなりたいのか。私は答えられませんでした。考えられなかったのです。金木犀の匂いに心身ともに麻痺してしまいそうでした。 息苦しい・・・
「一緒にいたいだけです」
「それが、結婚するって事になるんじゃない。なんだかんだ言っても結婚している人と付き合ってしまった以上、あなたには奥さんの気持ちを思い遣る資格なんてないのよ。その奥さんから旦那を奪って結婚したいと思っているって事なんだから」
 結婚すら考えた事になかった私は軽く考えていたという事なのでしょうか?けれど、奥さんの気持ちを忘れてしまって、自分だけ見てしまうのはいけない気がするのです。
 私は不道徳な事をしているのは充分わかっています。長瀬さんにしても。でもだからこそ戒めないといけない事があるのではないのでしょうか。結婚が全ての最終形ではない気がしますし、奪って手に入れた人は同じ事をする癖があるみたいです。だから特にはこだわっていませんでした。それほど、まだ長瀬さんに対しての気持ちが大きくないからかもしれません。
「私は長瀬さんがどうなっていくのか、見守っていくつもりよ」
「長瀬さんの事、好きなんですね」
「ええ。好きよ」
「そうなんですか」
 無防備な私は彼女のそんな言葉にも一向に反応しませんでした。そんなに好いてくれる優しい友達がいる長瀬さんは幸せだなぁなんて事まで呑気に思っていたのです。
 それから数日後でした。夜珍しく長瀬さんと長電話をしていました。彼は珍しくまだ店にいたのです。話題は彼の過去付き合った女性の事にさかのぼっていきました。
「あなたの周りは女の人もたくさんいるし、あなたを好いてくれる人も何人かいるからいいじゃない?」
「そんな事もないよ。俺はもてないんだ」
「あなたの事を好きな人、気付いてないのね」
 その時に、どうしてそれが口から出てきたのかわかりませんでした。ですが不意に彼女が浮かんできたのです。私はそれを質問しました。
「彼女と寝た事ある?」
作品名:金木犀の手 作家名:ぬゑ