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ある朝

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 毎日そう思い直して学校に行くたび、クラスを飛び出して駆け回る子どもを追いかけ、追いかけている間にクラスがガチャガチャになり、机が倒され窓ガラスが割れ朝顔の鉢はひっくり返され、ケンカが起きてその仲裁をしている間に熱があるのに無理して来た子がゲロ吐いてその始末をして、やっと落ち着いたと思ったら授業時間は終わって休み時間になって、休み時間にまたケンカやケガが起きて、仲裁に駆け回ってる間に三時間目が終わって、やっと一時間勉強したらすぐに給食になって、食器が割れてスープを零してそれで火傷してまた保健室連れてって、その間にまた食器が割れてケンカが起きてスプーン床にばらまいて、それでもなんとか食べ終えても掃除がこれまたたいへんで、長箒を振り回して目に突き刺したヤツを介抱してる間に、雑巾投げて遊ぶヤツ、廊下で追いかけっこ始めるヤツ、隅に固まって馬鹿話に興じるヤツ、校庭に逃亡するヤツもいたりして、そいつら怒ったりなだめすかしたりしながらようやく掃除を終え、やっとこさ少しだけ勉強らしいことしようとしても、話は聞かねえノートは取れねえ理解はできねえテストは零点。さようならでようやく終わりかと思いきや、近隣住民の方々からイタズラやら大声やら交通ルール無視やら万引きやらの苦情が殺到する。どうしたらいいんだよもう。精神病みそうだ。
 あああああ、だるい。
 ううううう、いやだ。
 行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない逝きたくない。
 あんな所に行ったらもうほんとに逝っちまう。
 薄目を開け、枕元の時計をちらりと見る。
 時計の針は七時半を回っていた。
 何にしても、副校長に電話しなきゃ。
 殻を抜け出るヤドカリ本体の如く、ズルズルと布団から這い出て棚の上の携帯を手に取る。
 安っぽい呼び出し音の後、受話器をとる軽い音が鼓膜にちくりと刺さった。
 
『はい、柴浦小学校です』

 あれ? この声。
 この明るくてかわいくてハキハキした声の持ち主は。

「……あ、もしもし。あの、川瀬です」

『あれ、川瀬先生? どうしました?』

 高島先生だ。
 俺の一年後輩、今年採用の新卒で、やる気満々生徒にモテモテめちゃめちゃかわいい女の子。

「あ、いや、その……副校長先生は」

『今席外してますが、……よろしければ、お伝えしますよ』

 マジ?
 三秒間の沈黙。
 
「あ、い、いえ、……その、ちょっとやむを得ぬ事情がありまして、登校が……そうですね、もしかしたら十分ほど遅れるかもしれない旨、お伝え願えますか」

『あら、どうしたんですか? 具合でも……』

「え、ええ、ちょっと腹痛で……でも大丈夫です。治まってきたから、ひょっとしたら遅れなくて済むかも」

『無理なさらないで下さいね。分かりました。副校長には伝えておきます』

 無理なさらないで下さいね、だって。
 まともに話したの、もしかして初めてかも。
 緩んでくる頬を無理矢理引き下げ、仕方なく、あくまで仕方なく顔洗って着替えて荷物抱えて家を出る。
 我ながら単純な自分がちょっと悲しい。
 でもまあ、出勤するきっかけになった訳だからよしとしよう。
 通勤客でごった返すホームを先頭車両まで進む。いつも乗り込むお決まりの場所に、いつも並んでいるお決まりの人々。ほらいたいた、このおばさん。いつも三番目くらいに並んでて、携帯メール見てる。待ち受け画面にしてるの、子どもかなあ。サラサラの茶色いロングヘアが美しい女子高生も一緒。毎朝の目の保養できて嬉しい。あれ? あの学生さんがいないな。微妙にさえない感じの、自分の学生時代を思い起こさせるような容貌の……あ、きたきた。走ってきた。これで揃った、いつものメンバー。欠けるはずだった俺も揃って乗り込む、四十四分発急行天ヶ崎行。お寿司さながらぎっちり詰めこまれた俺たちを、今日もしっかり運んでくれよ。





 低い音を立てて扉が閉まり、電車はゆっくり走り出した。
 それぞれの思いを、日常を、箱いっぱいに詰め込んで。







 慌ただしく見舞いの準備を済ませると、北島知子はもう一度冷蔵庫の野菜室を開けた。やはり、ピーマンの姿は見あたらない。
 テーブルにいったん五百円玉を置こうとしたが躊躇うように動きを止め、それをしまうと、代わりに千円札を置いてメモに走り書きをする。

『ピーマン代です。お釣りはあげます』

 寸刻中空を見上げてから、付け足す。

『いつもありがとう。  母』

 メモを読み返しながら少しだけ表情を緩めた知子の耳朶を、つけっぱなしのテレビから流れる無機質な音声が僅かに掠めて流れ去った。







 教室へ向かうため、ようやくチェックを終えたノートと出席簿を抱えて立ち上がった高島涼夏は、職員室の後ろ扉付近に教員が大勢集まっているのを見て眉をひそめた。丸付けに夢中で、全然気付いていなかったのだ。
 もう八時半を過ぎているというのに、何をしているんだろう。
 副校長も、学年主任も、保健教諭も、管理栄養士も、事務さんも、みんな立ち上がって半分口を開け、職員室の一番後ろ、天井からぶら下げられた前時代的なブラウン管テレビに言葉もなく見入っている。
 テレビからは繰り返し、同じ言葉が流されていた。

『先ほどもお伝えしましたとおり、今朝午前七時五十八分頃、JR福地川線におきまして車両脱線事故があり、現在状況を確認しております。この事故で、現在少なくとも三百人の方が未だ車内に閉じこめられていると見られ、現在救出作業を急いでおります。繰り返します。今朝午前七時五十八分頃、……』

「川瀬くんって確か、福地川線使ってたよね……」
 
 副校長がテレビ画面を見上げたまま、ぽつりと呟いた。







 「図工シート広げられたかな。準備のできた人は、良い姿勢にして下さい」

 工藤拓巳は慌てて膝に手を置き、背筋を伸ばして先生を見た。
 今日はちゃんと先生の話を聞いて、良い作品を作りたいと思っているらしい。
 机に広げられた図工シートの上には、今朝お母さんが復元してくれた、ガムテ貼りの牛乳パックがちょこんと鎮座ましましている。

「まさか今日は、牛乳パック忘れた人はいませんよね……え? 宮田さん忘れたの? おいおい、お城作れないぞそれじゃ」

 拓巳はその声を聞きながら、牛乳パックに少しだけ誇らしげな視線を送り、それから窓の外に目を向けた。
 体育の授業だろうか、微かな歓声が響く窓の外には、明るい日差しと抜けるような青空が広がっている。
 青空を眺めながら、作品見て目を丸くする母親の姿を想像したのだろうか、拓巳はその柔らかな頬に、ほんのりとした笑みを浮かべた。









福地川線脱線事故 死亡者(敬称略)

(カ)        
柿沢彩夏       
角田道代    
掛川 柚          
笠原雄三          
釜本信宏          
川瀬祐一           
神田 綾
  
(キ)   
菊池花代    
如月良介    
木曽幸久    
北島元晴    
紀藤真弓    
金城信久    

(ク)
楠 亮二
工藤夏美
国松 孝
来栖智幸
黒川賢治
桑原美鈴
作品名:ある朝 作家名:だいたさん