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「聖バレンタイン・デー」

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   聖バレンタイン・デー

 「天(てん)ちゃーんvv」
 後ろから追いかけてくる聞き慣れた、というよりむしろ聞き飽きた脳天気な声に、天野光(あまのひかり)は校門に向かう足を一瞬速め、それから諦めのため息を吐(は)き出した。
 本当なら全速力で走ってでも振り切ってしまいたいところだったが、彼の後を追ってきているのは彼の同居人であり、それが毎日のことなので、無益な努力はとうの昔に諦めていた。
 とはいえ、お誘い合わせの上、仲良く帰りたいという相手でもなく、あわよくば追いつかれる前に帰宅できればいい、くらいの淡い期待を持って、早々に帰り支度を済ませ、教室を離れ、できる限り速やかに帰路につくのが常だった。
 それでも同居人は毎日彼を追ってくる。
 いい加減うんざりしていて、精一杯、それを態度に表しているつもりなのだが、相手には全く伝わってはいないらしい。
 「うるさいぞ、松本(まつもと)」
 走り出したい衝動を抑え、光は振り返った。
 走って逃げ出したところで、松本――松本王子(おうじ)が彼をよばう声が大きくなるだけのことだからだ。
 「天ちゃん、今日は何の日だか知ってる?」
 光の不機嫌な顔の前に、王子は満面の笑みを突き出した。
 やはり、それか。女子供じゃあるまいし――、何故こいつはこうもイベントごとが好きなのだろう。
 光はつい先日の自宅マンションの大惨事を思い出した。――十日たった今でも部屋のあちこちから豆が出てくるのだ。
 ――幼稚園児かよ、全く。
 「バレンタイン・デーだよ、バレンタイン・デー」
 王子は光の様子など気にする風でもなく、嬉しげに――光の主観を交えて言えば――踊った。
 光は王子にもわかるようにため息をつき、王子のニコニコ顔を視界から外すために視線を上げた。
 途中、もう一つの、光が見たくないものが視界をよぎる。が、それはもう完全に見なかったことにして、光は踵(きびす)を返した。
 「天ちゃんはもらった?チョコ」
 すぐに王子が追ってくる。
 「ああ、何個か机に載ってたな――要るんならやろうか?」
 「やだ、俺、天ちゃんの手作りがいい」
 即答された内容に、光は「絶対いや」という顔を作って王子に向けた。