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人間屑シリーズ

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「それで、話と言うのは?」
 辺りに人がいないのを確かめた後、池垣が平静を装いながら聞いてきた。その一段下がった声のトーンで、この男が本当は動揺しているであろう事が推測出来た。
 その動揺は当然クロにも伝わっているだろう。クロは未だ悲しみを湛えた表情のまま言葉を紡ぐ。
「崎村カオリさんが……死を望まれています」
 男の表情が焦燥に変わるであろうと私は想像していたのだが、予想に反して男の顔に浮かんだのは安堵で、一つ大きく息を吐くと池垣は堰を切ったように喋り始めた。
「なんだ、そんな事か。わざわざ学園にまで君達のような見ず知らずの人間を送り込んでくるから、一体何事かと思ったよ」
 そんな事? 一千万を残したいとまで願う程に密な関係の人間が“死を望んでいる”とまで言われて、そんな事で済ます事が出来るなんて、この男は余りにも冷たいんじゃないか?
「そんな事……ですか」
 クロは唇を噛みしめながら、池垣に問いかける。
「……君達が彼女にどんな風に頼まれたのかは知らない。また君達のような年若い者ならば彼女に惑わされ、彼女に同情したのかもしれない。でも一つ忠告しておくよ、あれは君達のような若い子にどうこう出来るような女じゃあ無い」
 一体私達と崎村カオリとの関係を、どのようなものと思ったのかは分からない。分からないが、池垣の顔には今や余裕すら浮かび上がっていた。
「彼女が死を望む事はいつもの事だ。君達も見たんじゃないのか? 彼女の足に刻まれた傷跡を」
 足に刻まれた傷? 一体どういう人間なのだろう、崎村カオリという女は。
「リスカ……いや、彼女の場合は太ももだからサイカットとでも言うべきかな? とにかく彼女の死にたがりは、もう癖なんだ。けれど、今までただの一度だって死んじゃあいない。いつも周りを……ちょうどこんな風にかき乱しているだけだ」
 そう言い終えると、池垣は私達に背を向けようとする。
「もういいだろう? 私と彼女は最早何の関係も無い」
 そう冷たく言い放った後、学園へと戻り始めた池垣の背に向かってクロが重たく声を発した。
「彼女は生命保険をあなたにかけています。金額は一千万。あなたに一千万を渡す為に、彼女は今度こそ死のうとしているんですよ」
 ピタリと池垣が歩みを止める。
 振り返ったその顔には、今度こそ動揺が浮かんでいた。その池垣の表情を見て、クロは心底嬉しそうに唇を噛みしめた。
「なん……だって……?」
 動揺する池垣に今度はクロがたたみ掛ける。
「そのままの意味ですよ。彼女は最後にあなたに一千万を残して、本気で死のうとしている。それだけです」
「どうして……」
 池垣の声が震える。
「どうして……私と……彼女は……もう一年も前に離婚しているんだ……」
 なるほど、この男は崎村カオリの別れた元夫だったんだ。
「愛しているんじゃないんですか、まだあなたの事を」
 クロが無感情に言い放つと、池垣はその場に崩れ落ちるように膝をついた。
「そんな……そんな事が……私は彼女の自傷行為も心の闇も全て受け入れるつもりで結婚した……でも出来なかった……だから逃げた……逃げた……その私が……」
 池垣はブツブツと独り言を繰り出し、自問している。
 そんな彼を見下ろしながら、クロはそれはそれは綺麗な微笑みを湛えたまま彼に向って囁く。
「今度こそ、彼女を助けていただけませんか? 彼女は――あなたを求めている」
 池垣は冷たいアスファルトに膝をついたまま、クロを見上げた。
「私に……何が出来ると……」
 クロの真っ黒い瞳がウサギを追い詰めた獣のように、ぬらりと輝く。
「簡単な事ですよ。支えてあげるんです。心で」
 その時――
 池垣が震えていたのは、きっと寒さからでは無かった。



作品名:人間屑シリーズ 作家名:有馬音文