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人間屑シリーズ

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一人目の契約者



 一人目の契約者は崎村カオリという二十八歳の女性だった。
 彼女はほとほと人生に愛想を尽かしているらしく、とにかく死にたくて死にたくてしょうがないので、一日も早く殺してくれと――そういった内容のメールが届いた。
「どう思う?」
 クロは私に尋ねる。
「どう……って……」
 どうと言われても私には、言葉が無い。本気で殺害を願っているのなら、クロが殺人者になってしまうというだけだ。
「僕はね、この人は死を望んでなんかいないと思ってる。その証拠にほら」
 そう言って彼は崎村からのメールを私に見せる。
「一千万の受取人が他人なんだ」
 携帯には池垣隆一という名前が表示されていた。
「誰……? 親族じゃないっぽいけど」
「さて、誰だろうね。でも受取人を自分自身や親族では無く、他人に設定する。それは他の誰かに執着している証拠だと思わないか? つまりは他者との世界に固執しているのさ、現時点でもね」
 今でもなお誰かにしがみ付きたいと思いながら死を望むなんて、なんて……。
「滑稽だね」
 私の言葉にクロはにぃっと唇を引き上げた。
「その通り。かくも人間とは愚かな生き物だ」
「クロは吸血鬼だから良いよね。人間を見下せて。私は……」
 私は人間だから……この契約者を見下す事なんて本当は出来ない。
 私だって死を望んでいる。でも私は両親を思うと死ねないのだ。私がこの世界と決別したい理由は両親そのものだというのに……。幼かった日々の幸せな思い出が、私に死を拒絶させ続けている。
「シロ。君はシロだよ。いかなる赤にも染まらないシロ。それは決して人間と貶められて良い存在じゃあない」
 クロは真面目な顔でそう言うと、そっと私の右手を握った。私の右手はクロの冷たい左手にどんどん侵食されて、やがて二人の境界が消えていく。
 ――心からの安息がそこにはあった。
「ありがとう。クロ」
 私は俯いたまま、そっと言葉を吐き出した。
 クロの左手が私の右手を一度だけギュっと握った後、彼は私の瞳を見つめたまま話を続けた。
「さて、それじゃあ少し調べてみようか」
「調べるって? 何を」
「池垣隆一についてだよ」
 一千万の受取人に指定された男。一体どうやって調べるの? その価値は? 私の頭の中では疑問がいっぱい渦巻いている。
「まずはネットだね、これで何もヒットしなかったら次の手に進む事にするさ」
 クロはそう言ってパソコンのモニターをつけ、ネットに繋ぐと検索サイトに“池垣隆一”という名前と私達の住んでいる市を入力した。
「どうしてこの市って分かるの?」
「一千万の振込指定先の銀行支店名が駅前だったから、この街の住人である可能性は高いと思う」
 そう言っている間にも検索結果が表示された。
 モニターを見ると、クロは満足そうに微笑んだ。
「実に運が良いよ、シロ。池垣隆一――恐らくこれは彼だろうね」
 私もクロの横からモニターを覗き込み、表示された文字列を読みあげる。
「池垣隆一……私立東聖学園、化学教師。年齢は……三十五歳」
 モニターに映っていたのは、私立東聖学園のホームページ内教員紹介ページだった。池垣隆一という教員のプロフィールと共に、顔写真が掲載されている。精悍な顔つきの、女子に人気のありそうな男だ。
「年齢的にも契約者と近いし、何らかの関係性はありそうじゃないか」
「どうするの? これから」
「行ってみようか、東聖学園に。今は……六時ちょい過ぎか。ここから東聖学園までは二十分もあれば行ける。もしかすると、会えるかもしれない」
 そう言ってクロはさっさと玄関へと向かってしまったので、私も慌ててその後を追った。靴を履き、玄関から廊下へと足を踏み出しながらクロに問う。
「会ってどうするの?」
「聞くのさ、崎村カオリについて」
 ドアをロックしエレベーターへと乗り込む。
「聞いてどうするの?」
「哀れっぽく言うんだよ、彼女は苦しんでいる。死を望むほどにってね」
「そんな事言ってどうするの? 第一生き残ってしまったら、クロの……食糧にはならないよね」
 クロが私の右手を握る。
「この計画はね、一度成功してしまえば後は恐ろしいスピードで浸食していくよ。だから最初の契約者には何としても生きてもらわなければいけないんだ。僕の食事はその後」
 エレベーターの扉が開く。私はクロと手を繋ぎ、二人の境界を白い世界でぼかしながら闇夜の中、東聖学園へと歩きだした。



作品名:人間屑シリーズ 作家名:有馬音文